相鉄瓦版。
このフリー冊子が好きです
宮城では読めません
古くからの友が送ってくれます
この275の最初の話は
料理愛好家の平野レミさんでした。
レミさんのレミさんによる
いかにレミさんという人間ができたのかが
レミさん節で書かれてて。
痛快で楽しかった。
レミさんのお父さんのことを書かれてたところは、バスの中で読みながら、うるっと来ました。
レミさんが、高校を辞める時、お父さんは一言、『やめろ』と認め、その後、レミさんがシャンソン歌集になられるのに力になってくれたそうです。
親戚が東大など進学されてる中にあって、
ご両親から勉強しなさいと言われななかったと。
わたしの両親も
勉強しなさいは言わなかった。
小学生の時は、夏休み、冬休み以外、宿題をやらなかったどーしてもやりたくなかった。遊びたかった。
でも、決して…
堂々とやらなかったのではなく
どーしよー、やらんかったと、
毎日思ってた小心者。
わたしの両親も、
進学についても自分で決めなさいみたいな。
(行かないなら行かなくても全く構いませんよ、みたいな)
なんていうか、
進学にとどまらず、両親には放任主義みたいな感じがあって(それが寂しいと思うことがありました)、自分の人生、自分で決めないと!というのが私の中にすごく強くありました。
6つ歳下の弟も同じ環境なのに、気づくと、さしてなんもしないので、そんな生き方もアリだったの?!と感じたのは、もう大分、大人になってからでした
レミさんのお母さんは、優しかったと。
お料理が好きなのは、お母さんの横でお料理して、台所を汚しても、汚したことも何も言わず、ニコニコされてたと。
わたしの母は、
料理が好きでしたが、台所に入られるのが嫌だったみたい。
でも、掃除とか洗い物が苦手な人なので、食器洗いは、目下、私の役目でした。
基本、何か重大な節目にも何も言ってこない人だけど、機嫌が悪くなるととにかく、肝から出てくる声で怒るのがすごくて、怖かった。
理不尽だなぁって、思うことも多かったけど、母のこと、大好きだった。
中学の時、
わたしは、なかなかの反抗期で
担任が、わたしのこと、腹に据え兼ねたらしく
母を電話で呼んだ時があった。
担任と二人で母を待ってると
自転車でやってきた母が担任に
『この忙しい時に、なんで呼ばれるー!』と快活に、愉快そうにやってきた
担任と私は、なかなか深刻な感じだったし、娘のことなのに、“なんか起こったみたい!”とワクワク気味な母に、なんというかて“え?”な感じになった2人だった。
担任は母に『母さん、聞いてくれ。コイツ、本当に腹が立つんだ!』から始まった
(時代が時代でこんな感じですw)
先生も人間。
怒るんだ。私に限界超えたんだな…
と、その時思ったの、今も覚えてる。
私が生徒として、
大好きだった先生は、
後にも先にもこの時の担任。
『忙しい時に呼ばれるから何だと思ったけど、そんなことかぁ』と言いながら母は、わたしにそれは本当か?と聞いた。
わたしは何と答えたか覚えていないけど、
その時、母からひとつも怒られなかった。
むしろ、母は笑ってた。
二人で家に帰ると、
母が言うように、家は、ほんとに忙しい時で、
母は働きに来ている15人分くらいのまかないを一人で作ってて。
それを食べ終わってゆっくりしてるやん衆どもが、茶の間でみなゆっくりしてた。
娘に何かあった時、
いたたまれない父は仕事に入ったようで、そこにいなかった。
母は、学校でのことを、
自分の武勇伝としてやん宗たちに話してた
そう…
彼女はそんなところが…ある
楽しそうに娘の出来事に
母がどんなタンカきったのかとか、
そんな話を面白おかしく話してた。
なんかね、
めんどくさい自分を自覚してたけど
よくぞグレずに大人になったよね、わたし
って、今も思うw
この時のエピソードが
わたしの中に今も色濃くあるのは
母は、
(彼女の武勇伝は別にしてw)
深刻にならず、
なんでも面白い話にしてしまうことと、
偉い人が、どんなに何かいってきても
鵜呑みしなかった。
わたしの言い分を聞いて確認する。
彼女の確認は、
“事実”とかじゃなく、
“わたしの言い分”
わたしが嘘でも“やってない”と言えば、
彼女は全力で目の前の人と闘う。
そんな人だって
小さな頃から感じてた。
そんな母をカッコいいって思ってたから
わたしは、私の正義を大事にするんだって思ってた。
今となって…
自分が親になってみると
わたしも母のような子育てをするのだろうと、どこか思ってたんだけど…
そうでもなかった
いや、全然違ってた
そんな自分をカッコ悪いって思ってた。
はじめての子育て。
なんもわからん子育て。
戸惑いと不安でいっぱいの子育て。
でも、ある時から
それが自分!しゃーない!!って思ったらラクになった。
しゃーない!!って思うまで…はたからみれば大したことなくても、自分にとっては、ホント、なかなかの葛藤で。
カッコ悪いと思ってたものを自分だと認めるって…わたし、受け入れたくなかったものwほんと
よくよく考えると、
母と私では、まるで環境が違ってたし、
彼女とは、何より人生の経験値が段違い。
彼女は…特殊だうん。
わたしも特殊で特別な人生を送ってみたかったけど
全然及ばない。
無理…
彼女の人生、私だったら…挫折する。
…今ならそれを理解出来る。
でも、わたしに母は、理想の母親像だった。
全然及ばない自分に、
息子に申し訳ない気持ちでいた。
でも、言葉が達者になってきたこの頃の息子の言葉を聞いてると、
彼にとっては、わたしという存在は、彼にとって大好きな母。
どんなにドジで
頼り甲斐なくて
学校から電話くるとめっちゃドキドキしてる私であっても。
もし、
自分を母に寄せるとしたら、
どんなしょーもない自分でも
そのままの自分をそのまんま息子に見せるだけなんだと思っていること。
このわたしで
君の親、やっていきます。
君が私のこと、どう思おうと、どう扱うも君が決めることを受けいれる。
母とわたしが違うところは、
その扱いが、私にとって嫌なものなら、わたしは君に反抗するし、嬉しいものであれば、めっちゃ喜ぶ。
わたしの意思は、君に伝える。
“わたしに従うように”は、したくないと強く思ってる。
難しい時もいっぱいあるけどね。ぽそ
母の想いを
息子とのことで知ること、たくさんある。
自分が思ってた親像になれない不出来な自分に何度もガッカリするけど
思いがけず
夫がそれをフォローしてくれてる存在だと気づかされる。
母が逝っても、あまり寂しさを感じないのは、母とは違うけど、胆力が母と似ていると感じる夫にわたしは、安心してるように感じる。
レミ節、すごいなぁ
レミさんの言葉に
両親のこといっぱい思い出させてもらう。
自分と息子、夫こと、思う時間を過ごせた。
レミさん、ご馳走様でした。
食いしん坊 ヨーコ