日常から離れて気づいた“許せない”という心 | The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

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路地に惹かれ、珈琲が好き♡

そして、何より、
感じること、気づきが大好きです。
心が、喜んだり、悲しくなったり、怒ったり、笑ったり…丸っと自分を受け止めて、自分のまんま、deepに味わって生きたい。わたしの想いです。


元気な母の姿が今後見れなくなるかもしれないと連絡があって、地元から遠方のわたしは急遽、北海道に帰省しました。


一人で飛び立つは超久しぶりです。

このご時世なので、
あちこちゆっくり出来ないのが残念ですが、
そのおかげで、急であっても席がとりやすくありがたかった。


いつも同じことを繰り返す生活をしていると
知らないうちに自分の本意ではなかったものに迎合しているのだと…日常からひとり離れ実感。


非日常の中で
日常にいた自分を感じる時間が大好きです。


そして、
しばらく会っていなかった家族や親戚に会って、
今までと違う意識で話したり感じたりしている自分を感じ、感慨にふけるのも好きです。

成長したなぁとか、
変わったんだなぁと感じること。

そして、
変わらない自分を見つめて気づく時間。



今回は、
もう本当に…

しょうもないほど
いいもわるいもひっくるめて自分は自分でしかない(その人そのもの)と痛感した旅でした。


わたしには姉と弟がいて、
弟が長男。彼なりに頑張ってるんです。

でも、
なんでそーなん?ってこともあって、
親戚からなぜか姉が怒られたりするのです。

姉がその役を買って出てるのを帰省してはじめて気づきました。

姉は、弟に対して、私たち姉妹が思うことをそのまま弟にぶつけたらダメだって、今回の帰省で何度もわたしに言いいました。

弟に言いたいことはわたしたちにもある。
親戚のいう比にならないほど。

それでも、彼なりに頑張ってるんだから
それ言っちゃったら兄弟なんて簡単に壊れる。
だから、まず頑張ってる弟に感謝をしようと。


親戚と会ってお叱りを受けたとき、
それらを弟に伝えてその通りになるのなら
現実はとっくになんとかなってると姉と声が合ったときは姉と二人で笑った。

そうなのだ。
ひとは直せるものならとっくに直ってる。

だからって、不満などを我慢して伝えないのがよいかといえば、それとこれとは話は別ともわたしは思ってる。

ただ…
“コト”というのはなんでも
一辺倒ではないことを
私たちはとうに体験した年齢になっていて…


理屈じゃないですよね…



ことばには、
人、ひとりのいろんな想いがのかって絡んでる。

その思いのひとつひとつを大事にできるとこがあれば大事にする心もちを…試されているような気もする。

そして、
どんなにあれやこれや言われたって
人は変われないこともたくさんある。
同時に
それでも人は、とっても愛されているんだって…今回の旅で痛感した。

だったら…

だったら、
まんまで生きたらいいだけやんね
そう自分に呟いてた。

わたしの母は、
とても愛される人で、とても嫌われる人で。

それは彼女の信条や心情からくるもので、
それを大きなエネルギーで表現出来る人だから
愛される人からは愛されるし、それを嫌う人には嫌われるのが顕著に見えてしまう人…

子供の頃はそんな母を守りたくて仕方なかったけど、
今回の旅も含めて、そんなの本当にいらなかったんだなぁ…と痛感する。

人は、どんな自分であれ、間違いなく自分を生きていて、自分しか生きていない。

姉弟も、わたしだってそうだ。

誰かの意見に振り回されたりしてても、結局、それも自分を生きていることと同じだと実感して思う。

悩んだっていい、怒ったっていい。
逃げたっていいし、挑んだっていい。

そんなことがあって当たり前で、
そんなことがあって人生なんだ。


何を大切に生きていこう…

自分が大切にしたいものはなんだろう
自分がしたいことはなんだろう


結局のところ
人は、絶対愛してくれる誰かがいて
大切に思ってくれる誰かがいるのだと母をみてつくづく思う。

だから、究極、
どんなに間違ってると言われたって
どんなに失敗したって
それを許してくれる人が必ずいるのだと
実感して思った。


一つの事柄に
いろんな見方が様々とあって
ただそれで賛否されるだけなんだと。

誰も間違ってないのだと
つくづく思った。

それで誰もを許すのではなく、
それで自分の信じるものを堂々と信じればよいのだと。

以前のわたしは、誰も間違ってないのだから、人を許すことを最初に選択して、大事な自分の気持ちを後回しにしてしまった。だから何度も苦しんだ…

そうではなく、
自分の信じるものを信じていれば、自分のあらゆる気持ちを大切にできる。それを大切に出来た時、自然と人も許せるのだと思った。



この頃、
感じてることがあった。。。

“自然”に人はあらゆることに繋がれていくと。

その流れを信じれずに、こうしようとか、こうしなければと無理して、頑張ってエネルギーを出してしまうけれど、自分を許して、自分の感じるままに感じてあげられたら、“無理”や“無用な頑張り”(必要な頑張りはありだと思ってます)せずとも、着くべきところに自然に繋がれてゆくのだと思ってて…

まだ机上的な考えだけれど
それがいまのわたしに大切なのではないかって感じてるこの頃

8月に入ってから
いままで自分で感じてなかった“許せない”という想いがなぜか抑えきれないように湧いてくるのです…この感情が本当にしんどくて、なんとかならないものなかのかとずっと思ってたし、試行錯誤してました。

もう8月も終わりそう真顔

許せたら一番よいのだけど、
どうしても許せない…

許せない自分の心が許せなくて、
それがまたしんどかった。

そんな想いを抱えているうちに、今回の帰省…

大切に思う人たちの素直な言葉をたくさん聞いていたら、わたしもそのまま感じてていいのかもしれないと思った。

ただただ…“ものの見方、考え方”なだけで、誰も間違ってなかったんだと痛感。

自分もただものの見方で許せないだけなんだろう…いま、その見方が変えられなくても、いつかこうしてそんなことを痛感して糸口が目の前に現れたように、自然に“許し”もしくは“違うもの”へ繋がれていくのだろうと私の中の奥底のようなところで納得した。

“許せない”気持ちはまだあっても、それで自分を苦しめるものが随分減ったように思う。

時々、心を“ちくん”とさせるけど、
以前より苦しくない。

それを感じてる時間も
わたしにとって意味があるのだろう。

わたしをいま苦しめるそのことが明ける時が楽しみになってくる。

きっとそうしたものが、
わたしにとっての自己信頼というものなのかもしれない…


非日常でわたしを気付かせてくれたひとつの話…


love & free せち