eye これからの眼差し | The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

The yoko's room〜もっとdeepに感じていこう〜

路地に惹かれ、珈琲が好き♡

そして、何より、
感じること、気づきが大好きです。
心が、喜んだり、悲しくなったり、怒ったり、笑ったり…丸っと自分を受け止めて、自分のまんま、deepに味わって生きたい。わたしの想いです。

昨日の朝、

常々…
なんとなく感じてた
息子の可能性を一番最初に抑えているのは自分なのではないか…
という気持ちが


朝起きて、
ふと自分に降ってきた

“言われるのが嫌だから、気をつける”を止めよう

そう決めた時、

その“なんとなく”が
はっきりと輪郭となって見えてしまった。

(男鹿でババヘラアイス頂きました)

昔から、
“気持ちよく時間を過ごしたい” という思いが わたしは強くて

誰かに何か言われ、スルーできる時は良いけれど、スルー出来ない時、そのことに 心を煩わせる事が、本当に、本当に苦痛だった。

その悶々とした時間が
たまらなく嫌だった。



なん度もそんな苦痛を繰り返しいくと、
何に対してそう感じているのか、反応的に分かるようになり、

その対策として、
“自分がこのことを人前でしなければ、心煩わすこともない”
と断定し、

人が居る時、それをしないよう気をつける。と決めた。




が。
しかしである。


そんなこと 初めから出来てたら
そんなこと気をつけることなんて
そもそも しなくて良いわけです。

もともとその行動は、
わたし そのものだったので
気をつけようにも
“やってしまう”
のであります真顔


何度も後悔して
何度も反省し
何度もトライ

そんなことを重ねていくうちに
“心煩わせるない”ために
とても人の目を気にするようになりました。



はじめは、
親を悪くいう人が許せなくて
親をなんとかしよう…と子供ながらに思ったのです。

そんなこと
なるわけありませんw

出来るわけありませんw



次に、
わたしが立派になれば、
親はよく見られるし、わたし自身もなんか気持ちよいと思ったのです。

これはなかなか (わたしにとって) 功を奏しました。

(男鹿の水族館)


振り返ると
とても必至に生きていました。

親は。というと…

わたしがどう生きていようと
本当にわたしがどう生きてても

彼らは、自分自身に忠実に好きなように自分を表現し、喜怒哀楽を生きていたように思えます。




何を言われてもいい。


やりたいことをしよう
したいこと思ったことをしよう

ちっちゃいことでも
でっかいことでも
なんでもいい

心が、やりたいと動いたら
少しでも動いてみよう
やってみよう

そこに意味なんてなくてもいい


そして、
人からなんか言われたら
言われた後に、
自分がどう感じ、何を思ったか それらを感じてから どうするか決めよう

そう、未来の自分に委ねることに決めたら
自分を信頼するということは、こんなところからも生まれるのだと感じ、嬉しくなった。

そんなことを感じてた時、

自分の今までの滑稽とも思われる
切なくも 健気な わが歴史を痛感。

(同時に、自分を受け入れなければ 自分を知ることは出来ないのだ。と…つくづく痛感真顔

唖然とし、そのあと、なんだか無性に笑えました。


息子に、煩わしい気持ちをして欲しくない。

そんな思いから、
なんとなく それが彼らしさの何かを 押さえつけてるのではないかと 感じつつも やめられなかった 彼を守るための 事前の鎧。

“人前でちゃんとする”

人様から何か言われないように…


バカバカしいDASH!

でも、
全くもってやめられなかった。
気づけなかった。

そんなところに起因していなんて
思ってもいなかった…



人様の目より
私の目だったのだ

誰よりも厳しく
誰よりも規制していたのは
人様ではなく

私の目。


笑うわ…ね。
ほんとに。。。



言われた後からでよいのだ。

やってみないと
やってみてからでないと

何が起こるかなんて
誰もわからない

(抱き抱えられる犬 含む)

それを彼らはいつも見せてくれてたのに

頑なですわ、わたし
相変わらず

頑なさは
鈍さを伴のね


そんな自分も大好きでしたけど
また ひとつ脱皮いたします。ね



love & free せち