今日みたいな時は無理に寝ようなんて思ってはかえってイカンと思い
思いっきり自分の気持ち探検に没頭したせちです。
ある出来事があって
その出来事とは別に
久しぶりに拝見したSNSでの仁さんのシェアにあった『直感的源論』
と出会いました。
ハッとしたそんな深夜に
わたしは 自分の気持ちに気づき、
本気で夫との関係にケリをつけようと思いました。
それは、
夫だけが理由ではなく、
夫といて 自分が変われない自分が嫌で。
負け犬でいい。
ここからもう逃げよう。
わたしは、
軽やかに生きたい。
がんじがらめな人生は絶望と同じ。
と 以前から思っていたことが吹き上げて
決断。
そして、
ふと 仁さんの記事を検索して
自分の持っている信念に気付かされました。
夫が言う言葉に縛られていた自分だけれど、
それは、わたしの信念を夫を使って言わせてるという記事だった。
(2015年の記事です)
まさか
と、思いつつ、
夫の言葉を 書いてみる。
…
……
あ。
間違いない…
あたしが思ってることまんまだ…
そう 知りました。
(仁さんが『ふーん族』と
そーでない族のこと書いているのを同時に知りましたが、わたしは そーでない族なので)
この気持ちを仁さんの記事のコメントに!と思ったらば、 コメント出来なくて
いまの仁さんの記事に(話がずれてても)コメントさせてもらおうと思ったら
その記事が
これがまたビンゴで
今日はどうなっているのかしら状態
お寺の鐘が打たれたように
頭にゴーンって音が響き渡っている状態です…
職場の友人が
「せちは、もっと楽しめばいいのよ。そうしたら、旦那さん、そんなせちを好きだったはずだから、そんな事考えなくてもよくなるのでは?」
という話をしてくれたことを思い出します。
自分ばっかり好きなことして
息子が可哀想!
息子のこと真剣に考えてない!
息子が可哀想だ!!
自分のことばっかり考えて、お前はサイテーだ!!
オットが以前、私をなじった言葉を思い出し、それを自分で盛って創作し、夫からそれを言われるのを無意識に恐れていました。
でも、これは そのまま、
夫へのわたしの言葉であることに気づき、
衝撃でした。
自分を楽しむことを許していない。
それをすると
後から私は必ず嫌な思いをする。
そんな信念が二つ
自分の中に深くあることに
気がつきました。
夫婦だから
子育て中だから…と
夫を悪者にして
自分を被害者にし
自分を閉じ込めてたらだめだ。
そう自分に思いました。
わたしには離婚の前に
トライすることがありそうです。
それから準備を始めても遅くない。
そんなことを巡らせ
一睡もせず
な わたしのひとりごとでした。。。
もう一つ、
わたしの心を打った記事。
「わたしは暴君である」
(megさんの記事から)