はじめから 息子はまったく問題なく
わたしの問題なのだという実感
いつも息子のことを書くたびに
最後はここに回帰する
何度も何度も同じ「気づき」を
あっちから、こっちからと
学んでる…ね
(てへ)
そして
息子のことと同時に考えていたのが、
からだのことでした。
わたしは、お医者さんから「治らない」と言われ ずっとお付き合いしていく病気が2つあります。
アドラーの考え方で、
病気をもっている自分について考えていたら、今回も大きな気づきがありました
息子のことを書き終わって
そのことを書こうと思い
同時に読みすすめてると
(またも)さっきまでとは違う感覚の驚きと気づきがやってきたのです
その度に、からだと心は繋がっていると感じ、それについて理解もしていると思ってたのですが、
本を読んで、
はたと、切り離して考えているところがあると気づいたのです
それは、こんなフレーズからでした。
心と身体が別のものであること、理性と感情が違っていること、意識と無意識があること、それは事実です。
しかし、たとえば、カッとなって他者を怒鳴りつけたとき、それは「全体としてのわたし」が怒鳴ることを選んだのです。決して感情という独立した存在がーいわばわたしの意向とは無関係にー怒鳴り声を上げさせたとは考えません。ここで「わたし」と「感情」を切り離し、「感情がわたしをそうさせたのだ、感情に駆られてしまったのだ」と考えてしまうと、容易に人生の嘘へとつなかっていきます。
ハッとしました。
あれ?
これって…
出産してから 、生理前のイライラがすごいわたくし。
自分でも辟易してしまうことがよくあります。
わたしはそれをずっと「ホルモンがそうさせる」と思い、仕方がないと思っていました。
でも、この文章を読んだとき
「あれ?」と思ったんです。
ホルモン自体が
私のイライラを発散させているわけではないのね?もしかして…
ホルモンが発信したものを
表現することを私が選択してる?
まって…
(考える)
え?
全体としての私が、
イライラを表現させるために、
ホルモンに呼びかけてるってことなの?!
(私の発想そのまま書いたてるので、表現ちょっと変かもです)
どっひゃー!!!!!
まじぃーーーーー?
でも。。。
身体のことも
身体がみんな私の意識に呼びかけて、
身体も意識も魂も…わたし全体(all 私)で、
Allわたしが一致した気づきと意識の中で
生きていけたら最高なのね?!
だから
全体としての私が
あっちからぁ
こっちからぁと
そんなサインをあの手この手で発信してるのかな?
って思ったのです。
だとしたら
すごぉ〜い!
全体としての私が、
こうやって本や からだを使って
自分と向き合って
本来の生き方をしてほしいのではないか?
一つ一つ感じたことを
自分で認めて
「これが私」なんだよって
いつもいつも発信してくれてるのではないのだろうか?と思ったのでした。
そーなると…
自分で認めがたいところがいっぱい出てくるけど
それが、
自分に素直になるってやつなのかしらん
うーん。
まだ消化不良中〜
さぁ、
また続きを読もう
…………………
アドラー心理学は、個人心理学というのが正式名称なのだそうです。
個人=individual
語源的に「分割できない」という意味があるそうです。
これ以上分けられない最小単位。
人間をこれ以上分割できない存在としてとらえ、「全体としてのわたし」を「全体論」と呼ぶそうです。