今日はゆっくりと
去年12月に時間について『はっ』とさせられたことを書きたくなりました
言葉にうまく出来ず、訳わかんないコト書いてるかもしれません。
ご容赦くだされ
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
わたしにはやりたいことがいくつかあって、
「こんなことやっている時間があったら、あれをやりたい」と思う事がしばしばありました。
だんだんやりたいことが明確になっていったとき、
さらに「無駄な時間」に対する意識が強くなっていったんです。
それで、
時間の使い方について、
何か名案はないものかと考えるようになりました。
そして、
気付かされました。。。
どうやったら、やりたいことに時間を多く傾注できるのだろうという自身の問いに、
私が無駄だと思っている時間も、
私がやりたいことをやっている時間も、
すべて『同じ』時間
私が持つ(生きている)時間として、
やりたくないこをやっている時間も
やりたいことをやっている時間も
どちらも遜色なく平等に
『私の生きている時間』なのだと。
書いてみると
そりゃそーだ!!ですよね(^^ゞ
なんとうか、
超シンプルな答えなんですけど(笑)
ずっと気付けなかったコトだったのです(爆)
「無駄な時間を過ごしている」
「こんなことしているなら…」
とかいって、
随分長い間、
よくイライラしていました(笑)
でも、確かに
無駄だなぁ~って思っている時間も、
ちょいと客観的にみてみると、
わたしの生きた時間なんですよね
ものすごく当たり前のことなんですけどね
気がつけなかった…
そして、
私の中で得意の『妄想図式』が頭の中をめぐってゆきます
つまり、
あたしがどんなことしていても、
自分が自分のしていることに優劣をつけているだけで、
もともと「優劣」なんてなかったわけだから、
今まで 私が過ごした時間に無駄な時間なんてひとつもなかった。
みんな私の血となり肉となってきたってことだ
つまり、
おつかいで苦手な初対面の空気にドギマギしながら、
「やーだなーーー」ってヒヤヒヤしながら過ごす時間も、
あたしの血と肉なのだ
(↑このとき、丁度おつかいに行かねばならない時だったのです。。。どんな時やねん)
そっか…(むくむくと妄想劇場が湧き興る)
だんだん、生まれた時から死ぬまでのこの道が
レッドカーペットに思えてきたせち…
このドアですら(←おつかいでやってきた初めての場所)、
私劇場なんだわ。
レッドカーペットでなくて、
ゴールデンロードにしとこっ♪と思ったわたし。
わけわかんないかもしれませんが、
私の中で、なんかものすごく腑に落ちて、
その後、自然と時間に焦らなくなりました。
何をやっても、
『こんなこと』って思わなくなりました。
…振り返ってみると、
やりたくないことを片付けようとやっきなって、
やりたいことを全然やってなかったことに気付きました。
シチュエーションは変わっても、
結局、いつも同じことをぐるぐる繰り返して
悩んでいた。
ゴールデンロードは常に自分の選択
「あの道、この道、迷うなぁ~」
なんて悩んだりしたけど、
どんなことをしても、
どんな選択をしても、
道はもともと一つしかなかった
自分のしていることが常に答えなのだったのね…
そう気付いたら、
主導権は自分だという自負が生まれました。
どんなことも、
全ては自分の為に起こっている。
それをただ味わうために(体験するために)
あるっているのだと思ったら、
急に愉快になり、
急に気持ちがでっかっくなってしまった(笑)
なんかね、やるしかないっ
っておもっちゃったんですね
…かなり訳わかんないコト書いちゃいましたかね?
ゆるしてちょ