2010年末のシェレメチェヴォ空港での屈辱の2泊3日 | 飛行機に乗って

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飛行機が好きです。
機種とかよりも航空会社やエアライングッズ、空港が好きです。
旅先で乗った飛行機や、使った航空会社、集めているエアライングッズについて、報告します。
行先は東欧・北欧と偏りがあるので、あしからず。
利用する航空会社は主にスカイチームです。

空港という空間が少し嫌いになった。


そして飛行機が予定通りに飛ぶことを当然のことと思ってはいけないことを思い知らされたのが、


2010年年末のSVO空港での出来事だ。




暖かい天気で雪が溶け、それがまた凍り、アイスリンク状態になり、


なおかつ、それを防ぐための薬剤が不足していたことで、


12月26日からSVO空港は大混乱となっていた。


ちなみにドモジェドヴォ空港では、さらに停電が追い打ちをかけていた。




そんなことも知らず、一行は27日夜、


東京行のフライトに乗るため、SVO空港に到着。


そこで、電光掲示板で見たのは、、、


前日26日の東京行のフライト。しかも遅延。


どの便も前日から軒並み遅延、もしくは欠航。







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自分たちがその日乗るはずの便名は2時間前にも関わらず、掲示板にはない。


しばらくして出てきた自分たちの便名には、無情にもCancelledの文字。







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発券カウンターやチェックインカウンターには、情報を得るため、チケットを他の便、他の日に振り替えようとする人、払い戻そうとする人でごった返し。


ベンチにも行き場を失って、ひたすら待ち続ける乗客でいっぱい。







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気づくと、手荷物検査のプレートが空港のあちこちに置かれ、


そこで人々は座っていた。空港からの計らいだろうか。







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寝場所を確保するため、閉鎖されているチェックインカウンターや、


ベルトコンベアに座り込む人も。









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一行は当日のチケットを翌々日のものに変えたが、これが結果的に


翌日の便に乗ることを難しくし、一日早く帰れなくなる原因となり、仇となったことは理解していなかった。




アエロ・エクスプレスの駅にタクシーで行くまでに渋滞に巻き込まれたこと、


運転手ともめたこともあり、市内に重い荷物を持って引き返し、


ホテルを探すのはつらかったため、空港でとりあえず一夜明かすことにした。


夜になるとベンチが少し空きはじめ、3席分を確保、そこで寝た。




空港は暖かかったが、明け方になると肌寒く、寝冷えをした。


なので喫茶店の紅茶で朝の体を温める。




空港側は正確な形で、事態の状況を待っている乗客には伝えなかった。


食材の配給が始まったのは、翌朝になってから。


水やジュース、さらに質素なサンドイッチを自由に持って行けるスペースができた。







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28日になり、28日の便が飛び、席があれば29日のチケットで28日の便に乗ることを


狙っていた。しかしギリギリまで28日が飛ぶかはわからず、


なおかつ、たらいまわしにされ、次第にあちらこちらのカウンターの列に並ぶ気力が


失われていく。


28日は予定よりも5時間ほど遅れたようだが、結局あきらめ、2泊目に突入する。






読書や人間観察、昼寝、ネットカフェ、散歩をしていたが、


四六時中「飛べ、飛べ」と空に祈っていた。




ようやく29日の便が表示され、ほっとする。







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依然、空港には人があふれ返し、


客が職員を怒鳴りつけ、警察官が巡回する。


職員が逃げ、警察官とやり取りをする、怒り狂った乗客も。


国内線では、欠航を発表された客は、「アストラハン、アストラハン」


と行先を大合唱し、抗議していた。





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空港にはマスコミの取材が多くあった。







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ようやく東京行の便のゲートにたどり着いたが、


なにやら隣のゲートから罵声が聞こえる。


チェックインもして、出国手続きもしたにもかかわらず、


飛行機の機種が変更され、全員は乗れないというトルコ行きの飛行機。


職員に客が詰め寄り、


トルコ人はゲートカウンターのマイクを奪い、なにやらトルコ語でまくしたてている。









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ゲート前にたどり着いても、飛行機は来ないかもしれない。


最後までハラハラだったが、3時間ほど遅れて出発。


チケットを切る職員も私服だった。たぶん駆り出されたんだろう。







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日本ではあまりニュースにならなかったようだが、


Youtubeでは空港の混乱の様子や、アエロフロートの釈明などを


日本について詳しく知った。




12月30日の昼間に成田に到着。




年末年始の静けさの中で、空港の喧騒が地獄絵図のように頭に焼き付いていた。


何度、「XX便XX行きはキャンセルになりました」のアナウンスを聞いたことか。。。




2011年3月にヨーロッパに行ったが、モスクワ経由はこのトラウマで回避した。