★★★ 転院 (40歳)★★★

【2020年2月】
色んな人達のお陰で1週間後に転院先の予約が取れた。

とはいえ、4年半の間に
4回も手術を受けて、2回も放射線を受けた、ステージ4の患者を受け入れてくれるだろうか。

落ち着かず、毎日ソワソワ
万が一の時の為に別の病院にもステージ4の患者でも受け入れて貰えるのか聞きに行った。


タモキシフェンが何年も効いていなかった となると とにかく早く治療を受けたい。
抗がん剤を提案される事も覚悟しているし、不調過ぎて あれだけ嫌だった抗がん剤ですら早くやりたい!

リュープリンの投与日を妥協しなくて本当に良かったと思う。



【2020年3月】

転院先にて。
予約していたリンパ浮腫外来よりも、治療が優先という事になった。


診療情報提供書を見ながら看護師と一緒に経緯を確認した。

最初の手術の時点では大した事ないガンだった

何度も放射線を受けていて、もう当てる所も無いし、局所ではなく全身の治療になるから放射線はやらない」

と言われ、セカオピと一致してホッとした。



明るい笑顔で迎えてくれた担当医は『安定している大人』という感じだった。

しかも、これまでの闘病に対して
大変だったと思います
と言ってくれた。こんなに優しい乳腺外科医は初めてだったからビックリして言葉が出なかった。


ガイドラインを見せて、今後の治療法を勧める根拠と自分の意見を言ってくれた。

再発治療に『決まり』はないそうだが、日本乳癌学会のガイドラインに沿っている事、セカオピで提案されたのと同じ薬である事にダブルで安心した。

最初の病院、セカオピの病院、今の病院で
ホルモン療法が良く効くタイプ』と言われたし、苦しい治療は後回しにしたいから希望した通りの第二次ホルモン療法を勧めてくれて嬉しかった。


今後はPET、CT、MRI、レントゲンや血液検査を慎重に行ってくれるし、
他の診療科と連携して病院全体でフォロー、緊急時も24時間 365日対応してくれるらしい。


診察に同席してくれた見る目がある家族も良い医師だと思ったそうで、一緒に大喜びした。

心も体もズタボロだったが ようやく心から安堵する事ができた。
こんなに良い医師が身近にいるなんて、早く転院すれば良かった!と何度も言った。



【今後の治療薬】
リュープリン(注射)
+フェソロデックス(注射)
+ベージニオ(内服薬(分子標的薬))

ベージニオは1日2回 ✕ 毎日 服用 
1錠 3000円


【翌週】
新しい治療がスタートした。

効くから頑張りましょう!」
と担当医が笑顔で言ってくれた。


【2020年4月】
新しい治療を開始してから4週間。

今までのタモキシフェン+リュープリンは副作用も無ければ 効果も無かったから
副作用が出るなんて、効いてる感じがして良いな〜』
と思っていたら副作用が強くて減量になってしまった。

『早く腫瘍を小さくして、早く不調を取りたい!どんな副作用にも耐えてみせる!!』
と思っていたから減量への抵抗があったが、担当医を信じた。


【2週間後】
手術前からの手の痺れや不自由(厳密に言えば2018年6月から)を臨時で診察してくれた

肩の張りや、腕のムクミ、傷の視診・触診をしてくれた。

担当医に手の不調の事を伝えたのは初めてだったが看護師から聞いて症状原因を把握してくれていた。

イラストを見せながら、
腫瘍がこの神経を圧迫しているから。
放射線は既に色んな所に かけているから難しい。でも、色んな対処法がある」
と説明してくれた。セカオピと一致。


前の病院で受けたPETから間もないが、
中の状態は見て分からないから、全体的に悪化していないか、中でどうなっているのか、活動状況、成長、大きさ、肺の事が一回で総合的に分かるPETで確認してくれる事になった。

自分にとってPETは
一番安心できて、
一番信頼できる検査
だから良かった。



前例があったので、初めは信じ過ぎず 疑い過ぎずだったが、担当医の方針は自分に合っていると確信した。

担当医は…
・不調の原因を固定観念で決めつけない
・検査を先延ばしにしない
・患者の不安や不調の訴えを聞き流したり、
 見送らない

・質問しなくても自ら説明してくれる
根拠を見せて勧めてくれる
・傷や腕を視診、触診して色んな可能性と、
 不調の原因を探ってくれる
色んな治療法がある事を教えてくれる
・何事にも臨機応変、柔軟、素早い対応
・意見や判断が全てセカオピと一致
・注射の日を間違えない工夫をしている




★★★ PET−CTの結果( 2020年5月)40歳 ★★★

【2020年5月】
PET検査を受けた。


【検査の6日後】
検査結果

担当医はPETの画像を見せて丁寧に説明してくれた。

PETは前の病院で何度も撮っているが、画像をじっくり見せてもらうのは これが人生初の事。
画像をクルクル回して色んな角度から見せてくれたので釘付けになった。
腫瘍が光っていた。


新しい治療を開始してから2ヶ月
前の病院で3cmと言われた腫瘍は、なんと!
1.5cmになっていた

↑2/7 PETの結果(前の病院)


治療を開始して2ヶ月で半分の大きさになるとは、恐るべしホルモン療法の効果!
セカオピや担当医に「効く」と言われたのは事実だった!

嬉しい反面、
1,5cmで発見されていれば消えていたんだな
と思った。


腫瘍が小さくなっても手が痛いのは腫瘍が神経に直接張り付いているからだそうで、痛みと痺れには薬で対処してくれる事になった。
セカオピと一致。



その他に転移していたのは

レベル2
 (4ヶ月前に前院で手術)

両方
 2つの大きな腫瘍+幾つもの小さな腫瘍)

両側の肺門縦隔リンパ節
 (反応性腫大か転移か区別できない)


前病院で言われた肺転移の「疑い」は疑いでも何でもなく正真正銘の肺転移だった。



【今後の治療】
治療効果が得られているので
手の痛みや痺れには飲み薬で対処しながら、このまま今の治療を継続

検査結果にも治療方針にも納得。
ずっと こういう治療を望んでいた



リリカ増量(150mg→300mg)

副作用が出ながらも、頑張って飲んでいたんですね。これからも頑張りましょう!」
と担当医は笑顔で言ってくれた。


「指が握りにくい、手の動きが悪い」
と不調を伝えると じっくり視診・触診して、リハビリに回してくれた。

医師が不調に耳を傾けてくれたり、手を診察してくれるなんて初めての事だったし、あの手この手を使って対処してくれる事に驚いた。



【2020年6月】
リハビリテーション科を受診

医師からどんな痛みか聞かれ、
ギューッと握られているような骨が溶けるような痛みと伝えた。
手指は一日中 痛い。夜中に のたうち回る事もあるし、水やタオルを触るのも、スマホから出る電磁波も痛い。
とにかく猛烈に痛い事を伝えた。


診察後はリハビリへ。
自宅でのリハビリ方法を教えてもらった。


(2019年3月 前病院での事)
手の不調で仕事に差し支えている事を元主治医に伝えたら、笑いながら
ホルモン療法の影響でしょう」
手を診る事もなく終了。
手の不調の事は1年後(2020年1月)まで信じてもらえなかった。

その数ヶ月後には別の病院でリハビリを受け、痛み止めを3種類服用するまでになった。
手指には力が入らず、置いてあるスマホを拾い上げる力も、卵を割る力も無い。

心から信じていた元主治医に何度も訴えたが「そんな症状は出ない」と言われ続けた手の不調はここまで酷くなった

腫瘍が3cmになる前に治療できていたら…。
悔しい。

現在 飲んでいる薬


【状態】
大豆を掴むリハビリ。
指を曲げる力が無いので掴めない。
掴めても持ち上げられない。
何度もリハビリや日課の運動をやめようと思うが頑張ってしまう。

継続的な痛みより、走る痛みが苦痛。



2020年7月
初回手術から5年
「おめでとうございます」
と言ってもらえる一区切りの年。
5年前は自分にもそんな日が来ると思っていた。でも、その日は来ない。


3回もの再発手術を受ける事になり、乳房は左上に寄ってしまった。
2015年に悩みながらも全摘+再建を選択しなくて本当に良かった。

↑転院後 体重が5kg増加したが、エグレは深い



前院で6ヶ月製剤のリュープリンを打ってから24週間。
今後はリュープリン()とフェソロデックス(両尻)を1ヶ月製剤で揃える事になった。

フェソロデックスは筋肉注射だから痛い
リュープリンは脂肪に打つから 痛くない
と看護師。

え???
リュープリンが痛くない???
それは打った事が無いからで、
これは打つ時も、薬が体に入る時も、その後も何日間痛い

どちらをに打ちたいか聞かれたので、迷わずフェソロデックスを希望した。
リュープリンの後にうつ伏せなんてムリ!

…でも、
体が慣れたからなのか、
痛み止めのお陰なのか、
会話をしながら楽しく打つからなのか、
太ったからなのか、
5年間 痛みと恐怖に怯えながら打って来たリュープリンが初めて痛くなかった!
本当に驚いた。



首や鎖骨を保湿をしていると手が痺れて力が抜ける。2019年4月の手術時と同じ症状。
担当医は診察の度にシコリの硬さや大きさを診てくれる。



【2020年8月】
3ヶ月前から首に隆起した痒いブツブツが出ては消えを何度も繰り返す。


皮膚科へ。
放射線で皮膚が弱っているところへの汗や刺激等による炎症との事。

処方された薬を塗ると1日で劇的に良くなった。




来月のリハビリで物を掴む練習をすると知った看護師がグーパー運動を教えてくれ、にぎにぎボールをくれた。



【2020年9月】
1回目の手術(2015年 最初の執刀医)と
2回目の手術(2018年 元主治医)の傷の間にあるシコリが気になり、CTを撮った。

1cmくらいのシコリが触れる。

2015年の時と同じようなサイズ


【検査結果】
担当医がCTの画像をじっくり見せて説明してくれた。

手術で乳房がぐ〜んと左側に寄っているから、シコリは腋窩というよりも乳腺にあるらしい。
治療方針は変わらないので現在の治療を継続


今回のシコリと類似点が多いので、元主治医の診察内容をボイスレコーダーで再度確認した。

「リンパ節から少し下に行った胸壁に1cmの腫瘍がある。
リンパ節に近い乳腺側の浅い所で、乳腺の根本にある」


元主治医が言っていた胸壁に1cmの腫瘍とは このシコリの事だった!

こんな触れる所なのに、なぜ残っているのか?
8ヶ月前の手術の前にキチンと検査をしてシコリの存在が分かっていたら、一緒に摘出できていたのだろうか?

↑シコリが触れる所

↑前院での手術前のマーキング


でも そこは術前でマーキングしているし…
前院の放射線科で「胸壁は照射できる」と言われたから…別物???

↑2015年7月の傷の右側にシコリがある

↑2015年の傷の右側は照射済

本当にココに照射しても大丈夫だったのか???


【2020年10月】
診察にて
「痛み止めを飲まなくても大丈夫だと思う」
と担当医に言うと、

「痛いはずだけど…」
と心配していたが、熱意に負けたか試しに減薬してみようと言ってくれた。

「痛くない はずが ないから…」
と一部の痛み止めをそのまま処方してくれた。


数日後、耐え難い痛みになった。
診察まで2週間以上あるのにどうしよう!


腕を絞られている様な強い痛み、
フワフワなタオルですら当たると痛い、
火傷みたいな耐え難い痛み…
早く消えて欲しい。


そんな時、たまたま足を運んだ病院でインフルエンザの予防接種を受ける事になり、話してみると整形外科へ行く事を勧められた。

紹介状を持っていないので町医者へ行った。
整形外科医は手をじっくり見て、触ってしっかり診察してくれた。

いつから症状が出ているのか聞かれたので
痺れなどの不調は大分前からあったが、明らかに異変だと感じ始めたのが2018年6月だと伝えた。


念の為に…とCTを撮った。
数分後、検査結果を聞いた。
枝分かれした神経にまで腫瘍が付着している。
腫瘍を取り除かないと痛みの原因を消す事が出来ないが手術は出来ないから、整形外科ではブロック注射しか方法がない。

今後は疼痛コントロールしないといけないが、
あちこちの病院でやると滅茶苦茶になるから、乳腺外科メインで どちらの病院で治療するか決めましょう」
との事だった。

以前、担当医に先送りにしてもらったブロック注射をついに検討する時期か…と思った。


参考に持参したPETの結果や元主治医が書いたイラストを見て



「あぁ、これは大変ですね。
ボクは専門外だけど大変だって分かります
との事だった。

また、今の病院今の治療を始めてから腫瘍が小さくなったPET結果を見て
「しっかり治療を受けていますね。治療効果も現れていますね
と言ってくれた。

「困った時はいつでも助けるから来て」
「顔を見に来るだけでも良いですよ」
「今はできないダブル受診をいつか可能にする事が自分が目指すところ」

と話してくれ、痛み止めを処方してくれた。



後日リハビリ時に話すと総合病院でも他の診療科に掛かっている場合は紹介状は不要で、不調があれば受診して良いと教えてくれた。

↑親指の固定具を作成してもらった


左手でシャワーを掴めないのが不便で、バンドを巻きつけた。
↑輪っかに手を通す


もう一度 社会復帰したい!
でも手は不自由だし、ステージ4だし…。

社会労務士に相談してみたら、
チャンスを気長に待つようにとの事、遠回しにもう職場復帰の夢が難しい事を再確認した。


【2020年11月】
ホルモン療法に耐性ができて しまった。

遺伝カウンセリングを受けた。
前日には医師が診察前の挨拶の電話をくれた。
腰が低く、丁寧。


腋窩の腫瘍が神経に接触している為、痺れだけでなく痛みが強い。
医療用麻薬を開始した。


転院してからは すっかり心が落ち着いて安定している為、精神安定剤を中止した。



【2020年12月】
BRCA1/2遺伝子検査を受けた。

結果が陽性なら:
 リムパーザが使えるが、
 遺伝性なので家族の事が心配。

結果が陰性なら:
 抗がん剤になる。

結果がどちらになっても複雑


3週間後、
遺伝子検査の結果は陰性だった。
抗がん剤が決定

手の痛み痺れ不自由さが限界だから治療方針に意義無し。

むしろ
転院して来た時の腫瘍は3cmだったから、その状態で抗がん剤を開始するよりも
分子標的薬で約1cmまで小さくなった今の状態で始めるのがベストタイミングだと思った。


抗がん剤の前に髪を切る必要があり
20年ぶりのロングヘアをバッサリとショートにした。

もう少しロングを楽しみたかった。
でも、手が超不自由でドライヤーを持つ事も、髪を結ぶ事も出来ないストレスは相当なものだった。

オシャレにカットしたら脱毛が辛くなる
ジョークみたいな髪型になれば未練が無く、早く抜けて欲しい!と思うだろう。オヤジのような髪型にしてもらおうと床屋に行った。
変になれば良いなと思ったが新しい髪型は変どころか高評価だった。


【12月23日】
抗がん剤治療が開始。

点滴中は薬剤師や看護師が何度も様子を見に来てくれた。
「吐き気が出やすいのは、女性・乗り物酔いしやすい人・20〜40代・酒を飲まない人
と教えてくれた。全て該当

子供の頃から吐きやすい体質だったし、
全ての全身麻酔で必ず吐き気が来たし、
自分に吐き気が来ない事は100%無いだろうと思った。


投与して2〜3時間後に吐き気が来て、数時間は声を出しながら苦しんだ。
10日くらい 気持ち悪すぎて、自分はガンではなくて抗がん剤で死ぬのではないかと思った。

精神的に辛かったのが
「あなたはもう治らないんですよ」
と知らない医師に言われる夢を毎晩 見る事だった。

自分はいくら苦しい治療に耐えても 体の中のガンをゼロにする事はできない。なのに何故こんな辛い思いをしないといけないのか。
次の診察で「やめたい!と言おう」と何度も思った。
いつまで続くのか分からない悪心に毎日泣きながら耐えた。

今は触知できるガンがあるし、腫瘍による不調があるから頑張るしかないが、
再発予防で抗がん剤をしていたら2015年の自分はこの苦しみに耐えられたのだろうか?

今の自分・今の状況だから頑張れているんだろうなぁ…と思った。


2020年
最初から最後まで苦しい1年だった。