★★★ 4回目の手術(2020年1月)(39歳)★★★

【術後8ヶ月】
2019年12月(39歳)

12月23日
「PETの結果は問題なし。エコーで写っていない
と主治医に言われた2ヶ月後、腋窩のシコリを自己発見した。

2回目と3回目の傷の間にシコリ…ガンの予感がした。


12月24日
職場では不安な気持ちを押し殺した。
帰宅後、家族にもシコリを確認してもらい、主治医に「シコリと手先に痺れがある」とメールを送った。

世間はクリスマスで盛り上がっているのに、今年も一番楽しい時期を不安で過ごす事になった。


12月25日
主治医から返信が来ないので、待っているよりも行動!と思い、病院に直接電話をすると
「予約でいっぱいだから、診察は早くても1月8日になる」
と言われた。

「緊急でも診てもらえませんか?」
と聞くと
「そうですね。確認したけど」
との事だった。

不安過ぎて家族旅行が全く楽しめなかった。


12月26日
検査日と手術日を確保し、すぐに受診できるように調整したと主治医から返信があった。


12月27日
誰よりも頼りになる家族が、自分の予定をキャンセルして病院に付き添ってくれた。


「1cm位の物が複数。残っていた物からの再発。進行が早い。急に大きくなった。

レベル1の深い層と、レベル2に転移。
リンパ浮腫のリスクが高いから、腫れていない限り普通は手をつけない場所

腋窩静脈に近いから血管に入ってしまう。
いつまでも局所で納まっているとは思わない。
いつの間に内臓…という事になるから手術は早い方が良い

手術や放射線でリンパ浮腫になるリスクがある。
でも、このまま手術をしないで残しておいてもリンパ浮腫の原因になる。
手術しない事は勧めない

リンパ浮腫になるリスクがあるから、今までは腋窩に放射線をかけていないが、今回はリスクがあるからといって、放射線をやらない訳にいかない

鎖骨と首には放射線が効く
リンパの流れは腋窩→鎖骨→首。
鎖骨と首は放射線をかけていて、エコーで見えないから、放射線で抑えられているという事。
だから、局所はしっかりと郭清+放射線

と言われた。
細胞診もしないで、最短の日程で手術する事になった。


「手術しても来年また手術になる(痛いだけ損)」
と主治医に言うと、

「あり得る。ゼロではない。ゼロとは言わない。
腋窩はリンパ数が多いから郭清しても周りから出やすい。
でも、今ある物を取らない訳にはいかない
取れる物は早く取った方が良い
と言われた。


「どこに転移しているか、PETやMRIでしっかり検査してから手術したい(また取り残して手術になるから)」
と言うと、

「手術の空きが他に無いし、検査をするには時間が掛かる。このチャンスを逃すと1ヶ月先になる。PETやMRIを受ける時間のロスを考えるとリスク
と言われた。

だからMRIをやりたいと言った時にやってくれれば良かったのに!!

PETやMRIはエコー以上の情報は無い
エコーより情報が少ないから参考にならない
PETでは取り込みは分かっても、詳しく分からない
病変がある事しか分からない
全身にある場合はPETは参考になるけど」
との事だった。


付き添いの家族が代わりに質問をしてくれたり、上手く説明できない時のフォローをしてくれた。
それから、ベストな治療が選択できる様にと、オンコタイプDXの手配、最短で必要な検査を、術前が無理なら術後すぐにPETとMRIを受け、病理結果の日には全ての検査結果が出揃っているように、話を進めてくれた。

家族のお陰で検査は「次回予約しましょう」となった。


手の痺れは腫瘍のせい?」と聞くと、
痺れと直接関係ない。そんな場所ではない」と言われた。

「術後は遠隔転移がなければ 放射線→抗がん剤、
縁起でもないけど遠隔転移があれば 抗がん剤→放射線。
ルミナールタイプだから…という話になるかもしれないけど…」
との事。

「初回手術後に抗がん剤をやっていれば再発しなかった可能性はある」
と言われた時、今までずっと「局所は局所治療。ホルモン療法でいこう」と言ってきたのは主治医なのに、何故今になって???と思った。

遠隔転移に関しても、最初の再発の時に
「初回手術の時点でステージ1ではなくて、実はステージ2だったという事は、ネット相談した時よりも再発率が上がる?」
と質問したら「まぁ、数%でしょうね」と答えてくれたのを信じていたし、
何よりも当時抗がん剤をやらなかった事は後悔してない。


去年の術後 主治医が言っていた『今年中に出る新しい分子標的薬』について詳しく聞こうと思ったら、

「今年中に出る分子標的薬?」
と考え込む主治医。
付き添いの家族もフォローしてくれたが

「今年中に出る分子標的薬???
パルボシクリブなら2年前に出てますけど…メモしたんじゃないんですか?」
と言われた。

分子標的薬の話を聞いた時は術後間もなくて痛みと吐き気で顔を上げる事もできずにいたのにそんな状態でもメモをしろと???と思った。



帰宅後の家族会議で
「“今年中に新しい分子標的薬が出る”と確かに言っていた!」
ともう一人の家族。

何度も繰り返し言っていたし、3人が聞いていた話だったから戸惑った。



=== 手術(2020年1月)(39歳) ===

手先の痺れが酷く、力が入らない。
とにかく、手が不自由でたまらない。

・洗髪、耳かき、爪切りが出来ない
・歯磨き粉を絞れない
・ファスナーや傘を閉じれない
・リモコンが押せない
・ジップロックを開閉できない
・【どこからも切れます】の袋が開けられない
・軽い物も持てない。
・指の間から水が逃げて洗顔できない

日常生活の全てが大変で、左手はあるが無いのと同じ様な状態になった。


【手術3日前の診察】
2020年1月7日

自分だけで聞くのは不安だったので、録音の許可を貰った。


何個のリンパに転移してる?
→分からない。

分からない状態で手術して大丈夫?
→そういうもの。

温存前はMRIで拡がりを見るが、リンパは検査をしない?
→温存前 以外は、術後も うちではしてない。

PETとMRIの予約をする事になっていた。
→PETは最短だと2月7日。

希望してもMRIはダメ?
→本人が希望するなら大丈夫。

強く希望して検査の予約を入れてもらった。
必ず異常の原因を見つけてやる
主治医は「エコーで見えなかった」で済んでも、本人はそれでは済まない。
心配している家族、親戚、友人がいるのだ!

部分的にしか診ないエコーでは正直 心許ないし、画像が残る検査でないと安心できない。
全ての検査データを揃えてセカオピに行こうと考えていた。


最後の手術にならないかもしれないんですよね?
→最後の手術だと思ってやっているが、リンパ節には限界がある。1回目と違って再発だから保証はできない。でも局所再発は手術と放射線でコントロールできるはず。

次に進むのはどこ?
→普通は縦隔


手が痺れている事、不自由な事、いかに日常生活に差し支えて困っているか、今回も強く訴えた。

「それは手術で改善されると良いですね。
ただ、手の痺れが手術で改善されるか、悪化するかは不明。でも治療しないと酷くなる」
と言われた。
希望のない手術。

痺れは「ストレスで女性ホルモンが副乳を刺激しているのか、リンパのせいか分からない」
との事だった。

腫瘍のせいじゃない
と10日前まで言い切っていたのは どこへ行った?!



【入院】
2020年1月9日

病院からの着信があり、留守電に入っていたメッセージを聞いた。直接会って話した方が早いと思い訪ねたら入院している事を知らなかったと言われた。今入院している病院がその事を知らないって…。情報共有が心配になった。


痛みと吐き気に対処して欲しいと事前に伝えておいた。
嘔吐対策でベッドの手すりにビニール袋を結んだ。


前回の手術は痛かったか看護師に聞かれた。
色んな方法で対処するから我慢しないで良いと言ってくれた。



【マーキング】
2020年1月10日

感想:「え!術後9ヶ月でこんなに進んだ?」
「PET検査しないで手術して本当に大丈夫?」


1つのリンパがガンで満たされると次のリンパに進む…と主治医のサイトで解釈していたから、何故こんなに進んでいるのかギョッとした。


【手術】
1月10日

手術室で看護師が手を握ってくれた。
お礼を言うとニッコリしてくれた。


意識が朦朧としていたが、病室に戻った時の事を覚えている。
気持ち悪かった事、家族を呼んで来てという看護師の声が聞こえた事、その時に時計を見たら12時を過ぎていた事。
3時間の手術になったんだ…と思った。

手術待ちしている同室の患者に開始時間が遅れている事を伝える看護師と、怒り気味の患者の声が聞こえた。
心の中で謝った。



【術後】
痛みは再発手術の中では一番少ない様な気がして、腕を上げろと言われたら何とか上がるんじゃないか?という様な気がした。


今回は同室の他の人達も乳がん患者だった為、
「リンパに転移はありませんでしたよ」
と、主治医が明るい声で言っているのが聞こえる。
自分はそんなレベルとは かけ離れていると思うと、急に具合が悪くなった。


病室に入って来た主治医が
認識できる物は全て取りました
と言ったが、主治医の様子から
「きっとまだ残ってるな
と思った。


肩甲骨、背中スレスレの本当に深い所まで転移していた。
普通の郭清よりも深い所
こんなに深い所に転移する人はいない

筋肉にめり込んでいたから、広背筋の一部も削った
肩甲骨や背中が痛いと思う。普通よりも痛いと思う。

リンパには放射線が効く」
と言われた。

想像以上の進行。
聞くだけでドキドキして、一気に吐き気と痛みが増強した。

尿道カテーテルと、入院の延長を希望しておいて本当に良かった!!


「手の痺れは消えましたか?」
と聞かれたが、消えるどころか痺れが半端なかった。

質問は無いか聞かれたが、気持ち悪すぎて質問する余裕が無かった。

主治医から受けた報告のショックが強すぎて、強い吐き気に襲われ3回嘔吐した。


足に付けられているマッサージ機、電気毛布、枕が不快に感じ、撤去してもらった。
辛い事だらけで、手術は二度と嫌だ!!!
と何度も思った。


点滴に入れてもらった眠剤が全く効かず、一睡もできなかった。

『きっと、主治医が言うよりも もっと深刻な状態なんだろうな
と思って『』を意識していた。


吐き気、痺れ、不安、恐怖で心臓が高鳴った。
長い夜だった。



【術翌日】
2020年1月11日

手術の翌朝、主治医がガーゼ交換に来た。

例年通りベッドの上で頭と足の向きを変えられないか聞かれたが、管が入っているからムリだと伝えると主治医が左側に移動してくれた。


傷は昨日より痛くないか?と聞かれたので、昨日より痛いと答えた。

ガーゼ交換は、術後の震える様な痛みに加えて、傷(皮膚)に貼ったテープを剥がす時のキーーーっとした痛みが苦手。
知っているからこそ地味に怖い。
病室には乳がん仲間がいるからか主治医が優しかった。


「筋肉を削ったら腕が上がらなくならないのか?」
と質問すると、
「広背筋にめり込んでいて剥がせないから、筋肉ごと削った。再建する時に使う筋肉だから問題ない」
との回答。

「筋肉は遠隔転移ですか?」と聞くと
局所再発だと思いますよ。病理に出さないと分からないけど」との事だった。



看護師に
「吐き気が大変だったそうですね。
吐き気は不安とか、トラウマとか、気持ちから来る事が多いんです」
と言われた。

不安、トラウマ…その通り


他の患者が退院し、個室と化した。



【退院】
2020年1月12日

腕を絞られているみたいな激痛。
家族の到着を待っていたが看護師に荷物をまとめる様に言われたので、荷造りをしていると主治医が来た。

腕を上げるように言われ得意げに上げたが、片手で上げられないか?聞かれた。
上がらず、頑張るように言われた。

痛みが無いか聞かれ、腕が痛いと伝えたがそこはスルー
MRIの希望を確認してサッと出て行ったので、休日なのにありがとうございます!と背中に向かって言ったが反応がなかった。


寝ていると楽だが、激痛で歩くのが大変。

「普段はスタスタ歩いているのに、前かがみでそ〜っと歩いていて別人の様だ。顔色も悪くて相当痛いのだろう」
と家族に言われた。

家族と共にタクシーで帰宅。



テーピングが剥がれるまでの約1ヶ月は引っ張られるからなのか、が激痛で腕を持ってゆっくり歩行。休み休み歩いた。

15分歩くのに普段の倍の時間がかかり、初めて途中のベンチで休んだ。
足ではなくてが痛くて歩くのが大変なんて事は人生で初めてだった。



【退院後】
胸元にブツブツができ、背中が赤くなっている事に気付いた。

驚いてメールに写真を添付して主治医に確認したら「テープかぶれ」との事だった。



手術で肩甲骨に三角形のテープ???

しかも、肩甲骨にができていた。
背中スレスレの本当に深い所まで削ったそうだから…貫通の一歩手前???




【術後1週間】
本当ならリュープリン投与日だったが、術後1週間で遠方の病院に行くのは大変だから、2月の病理結果の日に変更して貰った。

夏のキャンセルがなければ、手術前に投与出来たんだな…と思った。
診察では何度も熱弁したが、自分はリュープリンを重要視してきたから、たとえ数日でも空白の期間が怖い
後で『あの時の空白の4週間のせいでは?!』と思いたくない。



上腕が2cm、腕の付け根が4cm太くなった。
紹介状を書いてもらい、リンパ浮腫外来の予約を取った。

術後も手の痺れや不自由さは取れず、手先の麻痺が気になる。



【術後1ヶ月】
2020年2月

消毒後に貼るテーピングはガッチリと傷を守ってくれるが、1ヶ月位剥がれないから
めり込んで痛いし、違和感があるし、匂いも気になるし、不衛生だし…
何度経験しても嫌い。


↑カチカチで、めり込んで痛い

↑こんな状態でも くっついている


テーピングを剥がしてビックリ!
1回目の再発手術(2018年)の傷もショックだったが、今回は目を背けたくなる程だった。





感想:「これは酷い!半袖は着られるか?」



今まで怖くて見られなかったが、家族に頼んで撮ってもらった摘出した腫瘍の写真を確認した。
感想:「え!こんなに取ったの?!体の中にリンパは残ってる?」

その写真は最後に掲載



強く希望してPET、MRI(腋窩、鎖骨、首)を受けた。

「進行が早い。遠隔転移するから急いで手術」
と、主治医が焦る程のスピードだし、手の不調が「リンパ節転移のせい ではない」のであれば、この異常は脳に転移?!
と思って、脳のMRIも追加してもらっていた。


↓日本乳がん学会のホームページ

でも、
脳転移ではない場合、不調の原因は何?

 ・肘部管症候群?!
 ・胸郭出口症候群?!
 ・手根管症候群?!

ネットで調べて
次の診察で脳神経外科整形外科に紹介状を書いてもらおうと思った。



=== 術後1ヶ月の病理の結果 ===
【術後1ヶ月】
2020年2月12日(40歳)

エコーがやたら長い。
何度も首をかしげる主治医。嫌な予感

画面を覗き込むとリンパが見えた。
明らかに転移している様子

また手術か…。
術後1ヶ月で5回目の手術か…。
ため息が出た。


鎖骨上にプリッとした物を触れるが、リンパなのか瘢痕なのか分からない」
と伝えるとエコーで見て
問題なし。鎖骨にPETでもエコーでも無い」と言われた。



エコーの後、検査結果を聞いた。
今回もボイスレコーダーでの録音の許可を貰った。


写真を見せながら、メールの回答に対しての疑問を再確認。

「肩甲骨にテープ???」
→「消毒のカブレに見えますね」

アルコールNGという事は初めての手術の時からしっかりと伝えてあるし、
ノンアルコール消毒で何日も赤くなるとは術後のダメージは想像を超える


「肩甲骨の傷は手術で できた傷ですか?」
→「気付かなかった。皮膚を破っている認識は無かった。殆ど皮膚しかなかったから可能性があるとしたら そうなんでしょうね」



主治医による検査と病理の結果報告↓

「脳のMRIは問題なし。
今は無いが、腋窩のMRIでリンパ液が溜まっていた」
と言われたので、
「それはガンではないのか?」と聞くと、
液体です」との事。

「幸い、遠隔転移はありませんでした。問題はPET
と、主治医が書きながら説明↓



静脈を囲むような形で 腕の付け根のリンパに3cm、胸壁に1cmの腫瘍がある。

腕の付け根のリンパに転移したケースは初めてで、全くノーチェックでした。PETが無ければ思い至らなかった
と言わた。

手術前のPET検査を強く希望した時に「PETはエコー以上の情報は得られない」と言っていたのに…。


去年の「見てなかった」にしても、
今年の「ノーチェックだった」にしても、
あまりにも配慮に欠ける言葉で、ニュースでよく見る
「酒に酔っていたから覚えてない
と言い訳されているかのような衝撃だった。

手術やエコーに自信があると発信しているのを信じて転院してきたのに、

いかに責任感が強いかネット上に書く程だから『この医師に任せれば安心』と心から信じて託してきたのに、

しっかり診てくれていると患者は医師を信じる事しかできないのに、

今年こそはしっかり診てくれているだろうと信じていたのに、

これ程までに患者をどん底に突き落とす言葉が他にあるだろうか。


しかも
先月の手術で「広背筋も削った」との事だったのに、エコーで筋肉の裏にも小さいけど目立つ物があるらしい。


繰り返し
腕の付け根のリンパと胸壁に取り込みがある。レベル2、3、鎖骨上にはエコーでも無い。
PETでも腫瘍マーカーでも遠隔転移は無い

リンパには放射線が良く効く
鎖骨には無いという事は、放射線が効いたと言う事だから、放射線で小さくしてから抗がん剤。
オンコタイプDXの結果から、ホルモン療法+分子標的薬より、抗がん剤の方が良い」
と言われた。


「手の痺れは脳神経外科に行こうと思ってたんですけど…」

→「腕に腫瘍があるからと考えるのが自然。腕の血管を取り巻いていて、神経が近くにあるから。想像しきれなかった。
放射線で小さくなって症状が良くなれば やはりそうだったのかなという事ですね。

何もしないといずれは症状の原因になるから放射線はした方が良い。
手術でイジれる場所ではないのでダイレクトに放射線。遠隔転移を予防する為にも放射線はやった方が良い。

その後に抗がん剤。放射線も抗がん剤も期待できる。優先順位からすると先ずは局所療法はキチンとした方が良い」
と言われた。

手の不調について自分では絶対に腫瘍のせいだと思って1年以上前から伝えて来たが、主治医は聞く耳を持たずに「違う」と言い続けて来た。

絶対におかしい!と思って脳のMRIまでして、脳神経外科に行こうとまで思っていたのに、結局「腫瘍が原因です」だった。


「リンパ節から少し下に行った胸壁に1cmの腫瘍がある。リンパ節に近い乳腺側の浅い所、乳腺の根本にある」
と言われたので、それは遠隔転移ではないのか?と聞くと、リンパ節に近い所なので遠隔転移ではないとの事だった。


2ヶ月前の診察時(家族同伴)に「光ってる様に見える」と伝えたら主治医は
「そう見えるかもしれないけど…」と 言っていた例のPETの結果を見せると、
「確かに言われると、その位置だとそれが大きくなったんでしょうね」
との事だった。


という事は9月のPETは見落としって事ですよね?
→「見落とし…振り返ってみれば そうだったのかな?可能性ですね」


節外浸潤はしてないんですか?
→「してますね」と、赤線を引いた。

↑節外浸潤は予後不良因子


術前2週間の時点では「0,8…1cm位の物が複数」と言われていたのが、病理ではリンパの転移数どころか、リンパ節か どうかが不明な程形が崩れていた

もっと早く見つかっていれば、節外浸潤していなかったのでは?
→「そうでしょうね。早く見つかっていればそれに越した事は無かったでしょうね」


いくつも転移する前に分からないもの?
→「そうですね。今回は急速に進んだ」



セカオピの希望を伝えた。
また、今後のエコーを3ヶ月毎ではなくて、毎月にして貰った。

脇にギューっとエコーを押し付けられる時は、てっきり腋窩を見てくれてるんだと思ってた…。


ネット上での主治医は責任感が強くて患者を大事にしている様な印象を受けていたが、
何度ボイレコを再生して聞いていても他人事の様な対応だなと思った。



【帰宅後】
主治医に提案された
放射線→抗がん剤
という今後の治療に迷いや不安が出た。


度重なる手術で
乳房が変形する程、皮膚が腋窩に寄っている。

温存後に照射した皮膚に再度当たってしまう
のでは?


↓傷の位置と照射位置に注目
2015年の放射線

↓2015年の傷の位置に注目
2020年1月の術後、傷が腋窩に寄っている


本当に安全な照射が可能?
どうやって照射?背中から?
放射線ってそんなに気軽なもの?


「局所再発だから、放射線→抗がん剤」
と主治医は言うが、本当はもっと進行しているのでは?

そもそも、他の医師は遠隔転移と判断するのでは?

これまでの経過だけでも全身治療を急いだ方が良いのでは?

PETやエコーに見落としは無いのか?


もしかしたら他にも転移している場所があって、放射線治療中に他の部分が進行する可能性があるのでは?

セカオピの予約待ちの間無治療になるのが怖いから、待ち時間に放射線をやるべき

照射したらケアする範囲が広がるのが嫌だな…


主治医が「放射線→抗がん剤」と言うなら、その反対にした方が良いのかな?とさえ思ってしまった。


心も頭の中もグチャグチャだった。



=== 放射線科受診 ===
【宣告の翌日】
2020年2月13日

放射線科を受診。
まだ頭の中が混乱中だったので、ボイスレコーダーで録音させてもらった。


半年前、看護師から2人の主治医がいるみたいに何でも聞いて良い存在と教えて貰ったから、
放射線→抗がん剤か、抗がん剤→放射線
放射線科医としての意見を聞こうと思ったら
「答えられるのは放射線そのものの事のみ。
どのような治療にするか、時期をいつにするのか等の治療方針は主治医と相談して下さい」との事だった。


放射線は既にあちこち当てているから、当てるなら背中から当てる?
→「1回も照射していない所には当てられる。
鎖骨はムりだけど、鎖骨より下の胸壁は照射できる。
主治医からは腋窩、鎖骨窩、左上腕、近接した胸壁への照射をお願いしますと指示されています」

鎖骨?と思ったら、その後
「腋窩、左上腕、近接した胸壁」と言い直した。

広背筋の裏は?
→言われていないけど、画像を見て必要であれば拡げたり狭めたりする。

胸壁も照射可能との事、温存後に照射していても胸壁に照射可能な事に驚いた。

それよりも腋窩と鎖骨窩の事なんて主治医から聞いていないから愕然とした。
むしろ腋窩に関しては昨日 主治医がガンではないと言っていたし、エコーで鎖骨に見えないと言ったのに照射依頼している事に思考が停止した。半年前に一度かけている鎖骨にまで依頼していたなんて!


何度も手術をしていて皮膚が寄っているから、以前照射した皮膚に再度照射されてしまう可能性がある?
→そうかもしれない

そうすると どうなる?
→どうなるか分かんない!とんでもない副作用になるかもしれない!壊死する。

半年前に鎖骨と首に放射線をかけたが、上流である腋窩にガンがあったら、もう縦隔に流れている可能性があるのでは?
→ある

抗がん剤で消えたら放射線は不要?
→抗がん剤で見えなくなっても顕微鏡レベルでは生きてるガン細胞が残る可能性がある。ガンを殺す治療が必要になる。それが放射線だからやった方が良い。

放射線で3cmもの腫瘍が消える?
→消える人/消えない人がいる。

手の痺れや不自由さは軽減される?
→する人/しない人がいる。

MRIの頻度は?
→分からない。


既に局所再発ではなかったり、放射線の治療効果が期待できないのであれば照射したくない。

それに、今回の照射はリスクがあるから、治療を受けるか否か決断する前に色々と質問をしたくて必死だった。

確かに的外れの質問ではあったかもしれないが、優しくて頼りになる医師だと思っていたのに
「答えられません!」
「私に何を言わせようとしてるんですか?」
「何されに来たんですか?」
と言われ、だんだん口調が荒くて感情的になっていったので
「もう少し冷静に対応出来ませんか?」
と言いたくなるくらい恐怖を感じた。

「私はどうすれば良いんですかね?
疑問点を消化してからでないと治療を引き受けられないから、主治医と話し合って治療をやると決めてから来て下さい」
と半ば強制退場になった。


同意書をくれたのは 放射線をやった方が良いというメッセージなのか?と思ったら

放射線は二度 同じ所に当てられない。戻す医療は無い」

「迷いがあるなら引き受けられない。
即決せず、セカオピしてから来るように」

との事だった。
言っている事は正しい

だけど
態度・言葉・言い方が昨日 手術不能の告知をされた患者には冷たすぎて、その足で駆け込み寺に駆け込んだ。
ここでは皆が優しくて、嗚咽した。



=== セカンドオピニオン ===

【術後6週間】
2020年2月17日

セカオピを受けた(恩人のお陰)。


診療情報提供書を見ながら、一緒に経緯を確認。

「最初の手術の時点では大人しいガンだった
腫瘍も小さいし、抗がん剤をやらなかったのは妥当な判断だった」
と言われた。
やはり自分の決断は間違っていなかった!


放射線はかけられる線量が決まっている
皮膚拘縮、リンパ浮腫、神経を傷めて痺れが悪化する等、デメリットが多い。やらなくて正解。

何度も再発しているから、手術や放射線は もうやらない方が良い
効果がない
何度照射しても消えない しぶといガン。

もう局所ではなく、薬で全身をコントロールした方が良い。
2018年の再発の時点で、タモキシフェンが効いていないと判断して、ここで薬を変えるべきでした
との事だった。


小さい遠隔転移だから、いきなり抗がん剤を始めなくても良いと、第二次ホルモン療法を提案された。

ただ、ホルモン療法は副作用は穏やかだが効果が出るまで3〜4ヶ月かかるそう。


手の痺れに有効な薬がある事、
ホルモン療法には色んな種類がある事、
手術、放射線、抗がん剤以外の治療法がある事を教えてもらった。

これ以上の手術も放射線も受けたくなかったからホッとした。
患者の被るデメリットも考えてくれるんだな…と思った。



【セカオピしてみて】

手術は主治医だけができる
と思い込んで主治医の手術に拘った。
手術すれば治ると信じて これまで4回もの手術に耐えたが、正直デメリットしか無かった。

それに自分は【ネットのドクター】の元に転院してきた訳で
もはや、その人物と主治医が同一人物には思えなくなっていたので
転院に迷いはなかった。
というか、転院しない理由がなった。


↑日本乳癌学会のホームページ



=== PET まさかの結果 ===

【セカオピから5日後】
2020年2月22日
12月に放射線科で予約したMRIを受けた。


印刷を頼んでおいたPETの結果を受付で受け取ると
肺転移疑い

↑PETの結果

↑左右の肺に影


つい10日前の病理結果の時に、

遠隔転移は無い
と言われたのに、肺転移の疑い…。

鎖骨に出ていないのは放射線が効いたから。エコーでも見えない
と言われたのに、鎖骨上にも転移…。

しかもこれ、
腋窩郭清の手術 4週間後に受けたPETの結果
なのに、腋窩リンパに転移…。
先月あんなに取ったばかりなのに まだ体内にあるなんて…

↑こんなに大きい腫瘍

痺れる訳だ!不自由になる訳だ!

あんなに大変な思いをして何度も手術を受けたのに この結果。

術前に遠隔転移が判明していたら4回目の手術を受けるつもりは無かったから、
自分を信じて1ヶ月後でも良いから術前に検査を受けるべきだった!


もしも
術後にPETを受けたいと希望しなかったら…?
PETの結果を印刷して貰わなかったら…?
恐ろしすぎて考えたくない。


半年前の診断書にフッと湧いて出た言葉
胸壁」というのは間違いだったのではなく、自分が知らされていなかっただけという事だったのだろうか?


肺転移の疑いと知っていたらセカオピでの相談内容も変わっていたから、
何故こんなに大事な情報を教えて貰えなかったのか主治医にメールで問い合わせると

『肺転移の疑い』で、明確な所見ではない。
転院との事で画像を転院先に託した
放射線科医の読影が遅れていた為、読影をチェックしていなかった。見直していると『疑い』としてチェックすべきでした」
との回答だった。

ならば何故 読影を待たずに「遠隔転移はありません」と何度も言ったのか???



肺転移は医師が画像を見ればわかるし、見落とす事はあり得ない

とか

不調が出ているのはリンパ節転移が原因ではないか?
と質問している人に
リンパ節転移はエコーで分かるし、全く症状が無い

と答えている事とか、

どんなに腕の悪い医者でも転移しているリンパをエコーで見逃すことはあり得ないし、見逃す医者はいない。

と ありえないパーセンテージを使って何度も表現している事、

他の病院から来た患者の例を挙げて
局所から遠隔転移する事はないが、長い期間リンパ節転移をそのままにすると周囲へ浸潤し、血管に入り、遠隔転移の原因になる。
しっかり診断され、腋窩郭清されていれば遠隔転移しなかった可能性があるが、常勤の医師ではなく すぐに対処しなかったから進行した例がある。

とか、

先まで進行する前に摘出してしまえば良い。3ヶ月ごとに医師がエコーをすれば大丈夫だが、1年も放っておかれたら局所制御できない所まで進む可能性がある

とか、

エコーを信用して良いか?という質問に自分のエコーは100%確定診断

と答えているのを読んで自分はこれを書いてる本人に診てもらってるから大丈夫だと安心していた。

3ヶ月毎にエコー、半年毎にPETを受けており
ネットでこう発信している医師の診察を4年受けてて、こんな結果になるなんて誰が思うだろうか

このサイトを読まなければ ここまで主治医を信用する事も、期待する事も、転院する事も無かったのに…。

サイトには1年間に1人でこれだけ沢山の手術を行った!という内容が書かれているが、
その件数の中には自分のケースも成功例として含まれているのだろうか?


主治医がネット上で熱く語っているエコーと手術の技術責任感への信頼性、
ネット相談で助けてもらった事を恩に感じて信じて来たのに現実とのギャップ…。
全てを知ってしまった今は、あのままネット上の患者でいるべきだったなと後悔している。




=== 放射線の治療効果 ===
2020年2月27日

12月に予約した放射線科の診察に行った。

放射線科医に
「私はどうすれば良いですか?」
と強い口調で聞かれた。


MRIの結果を聞きたいと言うと、
リンパに転移がゴロゴロとあると丁寧に画像を見せてくれた。

ガンを見る事が目的ではなく、放射線を当てる設計をする為の画像だから、診断にはPETかCTを撮るように と言われた。


「怪しい物があるからMRIでしっかり見て下さい」
から始まったMRIの戦いは終わった。


「終了で良いですか?」
と聞かれ、今回は放射線を受けるつもりがないから「はい」と答えた。


会計しようと機械にカードを通したが読み込めず受付に渡すと、診察券に【同姓同名】と書かれたシールが貼られて戻ってきた。
診察中にカードの磁気が壊れたとも、同姓同名の患者が来たとも思えないから、病院から追放されたんだなと思った。

半年前に受けた照射の皮膚の状態を診察して貰っていないし、次の予約がいつなのか聞いていなかったので再入室。

今後のフォローアップについて聞くと

「本当なら うちで診ないといけないけど、転院するし、遠いし、連携してないから、新しい病院で診てもらって下さい。

あっちの医者に ああ言われた
こっちの医者に こう言われた
となるから一元化する様に。治療を終了とします」
と言われた。


今回の治療をしない事で半年前に受けた治療のフォローアップも終了していた事に頭が付いて来なかったが、これ以上 照射したくないし、新しい場所への照射とは違って放射線を受ける事への不安が払拭できなかったから良かった。


特に感謝している職員に最後の挨拶をしてから帰宅した(会えた人のみ)。

フォローアップの事や医師の態度、総合的に考えるとリスキーな治療を受けなくて良かったと思った。


交通の便が悪くて仕方なく耐えたが、
シャトルバスの運転手が根掘り葉掘り聞いてきたり、笑えないジョークを言ってくる事が耐え難かったし、
冷たくて酷い対応の技師がいたり、とにかく苦痛の多い通院だったので
二度とこの病院に通院する事は無いと思うとホッとした。







注意閲覧注意注意


これより先は手術で摘出した病巣の写真を掲載している為、閲覧注意!!



注意ここから先は見たい人だけ注意


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閲覧注意!


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閲覧注意!!


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閲覧注意!!


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レベル1の深い所、レベル2、広背筋の一部

こんなに取ったのに…