つい先日のことですが、西新宿を歩いていて、何故か12年前の東日本大震災のことを思い出しました。あの時はちょうど、その西新宿の高層ビルの狭間にいて、波打つように揺れるビルを見上げて「死」を覚悟したのでした。


そして…今日。


石川県山中温泉で年を越し、朝からどこか観光に出ようか、という家族の提案を、何故か頑なに拒否し続けた僕。自分でも何故そんなに嫌がっていたのかもわからなかったのですが、遠出するのをやめて、近くの温泉街までお散歩するのにとどまりました。


そして、早々に山中温泉の更に山上の宿に戻って、家族団欒くつろいでいだ時…


​地震発生 


突然スマホの緊急地震速報のアラートが鳴りました。その直後、ガタガタガタ!!と部屋が揺れ、さらにそこから揺れが大きくなり約30秒ほど続きました。直感的に只事ではない、と感じ、すぐにテレビをつけ、浴衣から私服に着替え、必要な荷物をまとめていきました。


テレビの中では石川県で大きな地震があったとの報道、震源地は能登、津波警報、などの情報が立て続けに流れてきました。


はっきりとした状況がわからない中、怖がる息子達に声をかけながら、とにかく情報収集。頭の中ではひたすら様々なシミュレーションをしていました。こういう時は何よりも「最悪の場合」を想定していく。それに即して様々な優先順位を頭の中でつけていきました。大事なことは「なるようにしか、ならない」といったような成り行きに任せて、都度都度に判断をしない。キチンと頭を使たこと。


​緊急時ほどキチンと頭を使う 

まずは必要なものをリュックに詰めていき、余震が遠のいていくのを感じながら、今度はキャリーケースに荷物を入れていきました。報道は津波警報を継続して発していくフェーズに入っていき、震源地もここからは遠い能登であるということ、宿は海から遠い山の上にあること、など、徐々に自分の中の緊張を解いていき、そこからは息子たちの心的ケアをしていきました。


テレビはつけておきたいけど、どこのチャンネルも津波警報だったのですが、バラエティ番組も始まったので、少しずつ心が和らいでいきました。


その後も余震が起きる度にテレビは緊急速報に切り替わったりしていましたが、お宿の皆さんのご尽力で通常通りの夕食を摂ることができ、温泉にも入れました。


子供達が寝てから、帰京する予定の明日の行動について、情報を集めながら、いろんな可能性を想定して打ち合わせをしました。


さて、明日は新幹線が動くのか。そもそも金沢駅まで辿り着けるのか。それとも他の選択肢?


この後に大変なことが起こるなんて想像できなかった、昼間の散歩。