もう、タイトルからオカシイのですが、今回の話はちょっと頭のオカシイ男の呟きだと思って、流し読みしてください。
ここから回想
以前、とある学校の授業で、生徒たちが当たり前のように遅刻して教室(音楽室)に入ってくる状況がありました。
あまりにも毎度のことで、僕も特に注意はしなかったのですが、良きタイミングで生徒たちに告げました。
「チャイムに支配されてどうする」
生徒たちは「???」の表情でした。僕は遅刻することについては全く咎めません。そんなのは遅れてきて自分が(もしくは親が)払った授業料分の学びを得られないだけで、勝手に損をしていく人間を救済するほど僕は余裕を持ち合わせた人間ではないので、そこは対等に「自分で考えれば?」で良いと思います。
僕が彼らに問うたのは…
要するに、【チャイムが鳴ったら教室を出て、次のチャイムまでに音楽室にたどり着けば良い】という、まるで思考もクソもない、機械的な行動原理しか持ち合わせていないことに対して「焦った方がいいんじゃない?」ってことです。しかもそのことに何の疑問も持っていないとしたら、とっととAIに仕事を奪われるだけのアホ人間です。
(今回はめちゃくちゃ口が悪い…ごめんなさい)
だから、「チャイムに支配されるな」なのです。自分で時計を見て、自分の意志で行動しろ。何なら時計も要らない。自分のタイミングで、自分の欲求で行動しろ。その行き着いた先に、決められた時間に始まる音楽室での授業に辿り着ければ、そこで好きなだけ吸収して持って帰れ。本来「学校」という機能はそういったものだったはずです。
ちなみに僕の母校、熊谷高等学校では授業の出欠はあまり気にされませんでした。試験で結果を出せば単位が貰えて、卒業できました。ただ、落ちぶれた生徒に対して先生は誰も手を差し伸べない。自分で考え、自分で責任をとり、勝手に生きていけ。そういうスタンスでしたから、きちんと自立した人生の選択を常に迫られていました。僕があの学校で最も学んだのはそのことです。
…で、今日の話。
今日の授業は、早めに終えました。チャイムが鳴る5分以上前でしたが、今日教えたかったことは全て教えたし、実習も出来たので。
そのおかげで、授業後にまだ一度も話したことがなかった(話をしたかった)生徒と、親身に会話をすることができました。
そのことの方がよっぽど重要。「自由」の中に学びがあり、それは規定された通りの時間軸では生み出されない貴重な『機会』です。
生徒たちには、そういったことをキチンと理解してもらいながら、時間やチャイムに支配されない「学びの場」を、これからも作っていきたいと思います。
↑2日連続で同じイラスト(笑)