音声で読む(Stand FM)



「赤とんぼ」のエピソード①



若い頃(まだ20代)…



たくさんの素晴らしいオペラ歌手の方々と共演させていただいたガラコンサート出演を終え、帰ろうと駅まで歩いていたら、追いかけてきてくれた方がいました。




その初老ぐらいの上品な女性とは初対面でしたが、息を切らせながら声をかけてくださいました。




このガラコンサートで歌ったのが山田耕筰の「赤とんぼ」です。




その方はこうおっしゃいました。




「赤とんぼを歌われた方ですよね。他の方が難しい歌をたくさん歌われる中、本当に聴きたい歌を歌ってくれたのは貴方だけでした。

これからも日本の素晴らしい歌を歌い続けてください。ありがとうございました」



と言うと、深々とお辞儀をして去っていきました。




その背中を見送りながら、僕はその数年前の出来事を思い出していました。





「赤とんぼ」エピソード⓪

東京芸術大学声楽科の卒業まで数ヶ月という時、同じ声楽科の友人が「僕の地元で一緒に歌おう」と声をかけてくれました。





長野県長野市出身の彼の地元に、同世代の数名で乗り込み、ブラームス「愛の歌」を歌う予定でした。






すると、そのことを聞きつけた友人の実家近くの病院から連絡がありました。「せっかく素晴らしい方々が近くにいらっしゃっていると聞きつけました。良かったら明日、うちの病院で慰問コンサートをやっていただけませんか?」とのこと。



正直、嫌な予感しかありませんでした。僕たちが用意してきた曲はドイツ語のしかもあまり知られていない芸術歌曲。病院でおじいちゃん、おばあちゃんには喜んでもらえないのではないか?と。



ところが「まぁ、良いリハーサルにもなるから引き受けよう。本番の経験は積めば積むほど糧になる」と自分たちを強引に説得させて、翌朝、その病院を訪れました。…そして、自分達の考えの浅さを思い知るのでした。








演奏が始まってすぐ「?」という無反応、無表情な客席の方たち。「こんなのが聴きたい訳じゃない」という拒否反応のような尖った空気が充満していました。




演奏が進めば進むほど、場内は騒然となり、雑談を始める人たち、立ち歩く人や、その場を去っていく人が1人、また1人と増えていきます。




お義理のように一曲ごとにパラパラと鳴る職員の方の乾いた拍手。




僕たちは目配せをして、全曲演奏するのを諦めて、演奏を中断しました。そして一度楽屋に戻り、たまたま持ち合わせていたソロ曲を各々一曲ずつ歌って帰ろう、と決めました。



一人ずつ会場に戻り、音大でレッスンしてもらってきたオペラアリアなどを歌っては、打ちひしがれるように戻ってくる友人たち。僕も処刑台にでも送り出されるような気分で楽屋を後にし、「がんばって…」と呟くように聞こえる友人たちの声を背中に聞いてステージに立ちました。



僕がその時にたまたまカバンに入れてきた楽譜が山田耕筰「赤とんぼ」でした。




赤とんぼの軌跡


数分間…数分間だけ耐えれば良いんだ…と心を硬く防御して流れる前奏を聞きます。



すると軌跡のような光景が目の前に広がりました。



「赤とんぼ」の前奏が始まった途端、その場にいた全員の目が一斉にこちらに向き、騒然としていた会場に静寂が訪れます。



さっきまで光を失っているように見えたおじいちゃん、おばあちゃんの目が輝き出し、お顔の血色が赤らんでいくのがわかりました。



そして…




会場が一体となって「赤とんぼ」の大合唱になったのです。一番から四番まで…。こんなことを思うのは失礼かもしれないけど、さっき食べた朝食が何だったか忘れているかもしれない方たちが、「赤とんぼ」の歌詞は一番から四番まで完璧に覚えている…。




こんな軌跡があって良いのか?

歌とは「何」なのだ?!



そんなことを思いながら、僕の目からは涙が溢れ出て止まりませんでした。そして最後まで皆さんと一緒に歌い終わると、万雷の拍手が…。




「赤とんぼ」エピソード②

その数年後…



僕は教壇に立っていました。大学を卒業すると同時に、都内の中高一貫校で非常勤講師として音楽の授業をしていました。



「お母さん、お父さんに童謡とか唱歌を歌ってもらったことがある人は手を挙げて。…おじいちゃんとかおばあちゃんでも良いよ」




毎年、中1が入学してくると僕は必ずこの質問をするようにしていました。




13人、次の年は7人…さらに次の年は5人…3人…1人…ついに、ある年を境に手を挙げる生徒はいなくなりました。




「…ということがありまして…」


それは更にその5年後ほど。僕は上記の非常勤の仕事を辞めて、今度はNHKホールの真ん中に立っていました。



とあるNHKのBS特別番組にオペラ歌手ユニットとして出演し「上を向いて歩こう」などを歌いましたが、その番組のフィナーレを収録する為の準備をステージ上で他の共演者の方々と並んで待っていました。



五木ひろしさん、夏川りみさん、秋川雅史さんなど、錚々たるメンバーの中、僕の隣に立っていらしたのは、安田祥子さんと由紀さおりさんでした。



僕は大変不躾とは承知で、待ち時間のどさくさを利用して安田祥子さんにお声がけをさせていただきました。



「あの、僕、数年前まで学校の先生をしていまして、毎年生徒たちに同じ質問をしていたんです。そしたら…ということがありまして、とてもショックを受けました。僕は日本の素晴らしい童謡や唱歌を、次の世代に歌い継いでいかなければならないと思っています。だから安田さんたちが童謡や唱歌をたくさん歌われているのが、とっても素敵だと思っていまして、そのことをどうしてもお伝えしたくて、お声がけさせていただきました。不躾で申し訳ありません」



と、言うと、安田さんが優しいお声でお返事してくださいました。


「ありがとうございます。ぜひ一緒に日本の歌を歌い継いでいきましょうね。よろしくお願いします」



この約束を僕は一生忘れない、と心に誓いました。


僕にとって、この山田耕筰「赤とんぼ」は、自分の人生と切っては離せない大切な歌なのです。



僕の小さな想いなんて、どうでも良いです。


ただ、この歌を歌い継ぎ、次の世代に渡す…このことを自分が生まれてきた使命の一つだと思って、歌い続けています。



今回の収録では、天才作曲家:石渡裕貴さんが、即興で素晴らしい伴奏を奏でてくださいました。



どうかこの歌が、この言葉が、このメロディが時代を超えて未来永劫、たくさんの人たちの心に届きますように。








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「古澤利人リサイタル2022

〜古澤家vol.5 ""

2022115日(土)

東京文化会館小ホール

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