自粛ムードから何となく「花見を自粛せよ」みたいな風潮が漂っているが…

そもそも【花見】とは何なのかを理解していない人が多すぎる。

ここで改めて【花見】の起源を考え直す良い機会だと思う。


どうも【花見】というと…

「桜の木の下でお酒を飲みながらバカ騒ぎをすること」というイメージがあるけど、本来の【花見】は違う目的で行われていた神事だった。


【サクラ】という言葉は…

大地の神様【サ】が宿る場所【クラ】という2つの言葉から成り立っている。


春になると山の奥深くから大地の神様がやってきて、ひととき居座る場所、それが【サクラ】の木だと昔の日本人は考えていた。


冬の間、大地はその力を宿しながらも長い休みをとっている。

木々は凍結による損傷から身を守るため、体内の水を抜き、根から水を汲み上げない。

その循環活動を休んでいるのだ。


やがて冬を終えようとするその時、枝の先から一滴の水がゆっくりと根に向かって循環経路を這い降りていく。

そしてその雫が根の先にある地下水脈と触れた瞬間…

大地に蓄えられていた水は毛細化現象によって一気に汲み上げられ、螺旋を描きながら樹木の体内を駆け上がっていく。

そしてその水にたっぷりと凝縮されていたエネルギーを得て、樹木は春の喜びを賛歌するように色とりどりの花を開花させる。


【サクラ】の花の開花は、自然界と人間に春の訪れを知らせる。


昔の日本人たちは大地の神様にその春の訪れを感謝し、大地の恵みを謹んでいただく許しを得るために、開花した桜の木の下で、舞いや音楽を神様に披露した。


これが【花見】の起源である。


しつこいようだけど、【花見】は桜の木の下で酒を飲みながらバカ騒ぎをする行為ではない。

今こそ、大地の神様を祀り、改めて人間への許しを請うべきなのかもしれない。

厳かに、深い想いを込めて、【真の花見】をしてみてはいかがだろうか?

参考文献:「宇宙樹」竹村真一著