無財の七施
って言葉があることを最近知りました。

「財力や智慧が無くても七施として、七つの施しが出来る」ということ

無財と云うのは、費用も資本もそして能力も使わないで実行できる布施のことだそうです。

一、慈眼施

 慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接すること

二、和顔施
 いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対すること

三、愛語施
 ものやさしい言葉を使うこと。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うこと

四、捨身施
 自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践すること。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行すること

五、心慮施
 自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになること

六、壮座施
 座席を譲(ゆず)ること。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

七、房舎施
 雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすること


お金が無くても、地位が無くても、何の持ち合わせが無くとも、簡単なようで難しいことであっても、いつでも、どこでも、誰に対してでもできること。


「布施」と云うことは、持てる者が、持たざる者に対して「めぐむ」ことであると考えている人が非常に多い。

とてもぐさっと刺さった言葉でした。

布施をめぐむと考えることから、他のために一生懸命につくしても「してやったんだ」という気持ちが、心のすみのどこかにつくってしまい、せっかくの布施も、施(ほどこ)しとはならなくなってしまうのです。

再びぐさっと刺さった言葉


 他のものの為につくしても、役立つことが出来たとすらも考えようとしないのが、本当の意味で布施ということになる。


とても深いことだと思いました。

 
人を喜ばすことを考えて、それを実践すること

まだまだ私には足りない部分です。