「食べるラー油」、本当においしいと思います。だから明日はモスバーガーで「テリー伊藤のざくざくラー油バーガー」を買って食べてやろうと思います。

 大学時代、私の師である方に、ゼミ中にものすごい剣幕で怒られたことを思い出します。

 「お前、その批判を筆者の目の前でも出来るのか!!!そんな批判したら、筆者に失礼だと思わんのか!アカン!!!」

 僕は、大してその本を読めていないのに、その筆者の言いたいこと、論理もわからずに適当に批判をしていたのです。

 ネットの世界で、ちょくちょくそんなエピソードを思い出してしまうような書き込みを見つけたりすると胸が苦しくなるのです。

 書き込むときは、パソコンしか目の前にないけれども、その向こうには、たくさんの関係者が必ずいるわけで、その文を生身の人間が、自分と同じように傷つきやすく繊細な人間が読むわけですから、本人を目の前にして、その発言が出来るかという基準を、ネット上でも持つべきだと思うのです。

 なにより、批判というものは、温かい気持ちが前提でなければならないのだと思います。なぜなら、批判というものは、相手の向上を願ってするものなんじゃないかと思うからです。

 「ほぼ日刊イトイ新聞」の「今日のダーリン」というコーナーに、こんな記事が書いてあったので、ふと昔を思い出して自己を省みた、という次第であります。

以下引用
・前に「草食だからって恐竜は怖いだろうよ!」
 というようなことを言いましたが、
 聞いてませんでしたか?

 じゃ、またちょっと言いましょうか。
 博物館の「恐竜展」に行ったときに、
 同行の「無意識の命知らず共」が展示の再現物を見て、
 言うわけですよ。
 「あ、この恐竜は草食だ」ってね、安心したように。
 ぶぁっかもの!と、ぼくは怒りましたね。
 「草食だからって、こいつの近くに行けるか?!」
 闘牛の牛だって草食です、暴れ馬だって草食です。
 なにを食ってるかでナメないでほしい、とね、
 ぼくは草食の恐竜に代わって言ってやったわけです。
 
 これは、ぼくのとても基本的な態度なのでありまして。
 「ほんとにそばにいたら、どうなのか?」ということを、
 ひっきりなしに考えているのです。
 「現実」というやつは、
 草食だろうが弱々しく見せていようが、
 「現実」として生き残ってきたという迫力があるんです。
 おそらくですけどね、好き放題言ってる人たち、
 「現実」の「あの人」と試合できますか?
 大仁田厚とかじゃなくてもね、
 南アフリカに行って「岡ちゃん」とやり合う。
 小沢一郎のクルマに同乗してなにやら追及する。
 できるよ、と言い切れる人は、それはそれでいいです。
 
 ぼくは、誰に対しても(いちおう、かな?)
 面と向かって言えることだけを、言おうと思います。
 
・昨日、「ほぼ日ハラマキ」のことを、
 ツイッターのほうで書いたら、
 「知らなかった」人が多いんだとわかりました。
 向こう側からの視点とか、しょっちゅう言ってるくせに、
 まったく見えちゃいなかったんだなぁと反省しました。
 「ほぼ日」のことを知ってる人の数は、
 まだまだほんとに少ないんですよねぇ。
 思えば‥‥のびしろはいくらでもある、ということ。

今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
またまた、見逃せないあれこれがありますよ。

ほぼ日刊イトイ新聞 今日のダーリン より