近頃、ろう者と聴者の人間模様を描いたドラマが話題になっているが、音のない世界に生きる人にとっては失礼を承知で書いています。ご容赦ください。私は40年近くあるジャンルの音楽に魅了されています。そもそもなんで飽き性な私がこんなに長く同じジャンルの音楽を嗜好しているのか、ふと疑問を抱いたので、ここらで私の音楽嗜好の履歴・遍歴を振り返ってみようと思います。さかのぼること半世紀以上になります。3歳ごろ「星影のワルツ」が十八番で、ご近所さんに歌って聴かせて褒めてもらっていたそうです。小学生の頃はピンクレディー最盛期でしたが、歌って踊ってはしてなかったと思います。とは言うものの目立ちたかったのか学習発表会の鼓笛隊の合奏では一番目立つ大太鼓をたたいていました。当時の合奏曲の曲目は何だと思いますか?第二次大戦が終戦してまだ30年ほどしか経っていませんでした。「太平洋行進曲」です。時代を感じますね。6年生のお兄さんお姉さんは、沖縄の曲「じんじん」や「モルダウの流れ」を合唱していて、それを見て憧れたものです。中学生になるとフォークミュージックがブームで男子生徒は「松山千春」派と「長渕剛」派が2大派閥で、あとは、さだまさし、南こうせつといった少数派がちらほらといったところです。私はレコードやギターを買うお金もなかったので、ひたすらFMラジオから流れてくるフォークソングやニューミュージックをカセットテープに録音して聴いて覚えて鼻歌で歌っていたように記憶しています。ですから意外と当時の歌手には精通していたかもしれません。衝撃的だったのは、もんた&ブラザーズの「ダンシングオールナイト」とクリスタルキングの「大都会」を初めて聞いた時でした。あまりの特徴的な声に歌っているのが男性なのか女性なのかもさっぱりわかりませんでした。その当時は個性的で唯一無二な声に惹かれていたのかもしれません。高校生になると、ある一部の生徒の中で洋楽ブームが起こり、実際にバンドを組んで文化祭で演奏していたのを憶えています。しかし私の耳にはただの騒音にしか聞こえませんでした。そして高校を卒業して浪人中に私のその後の音楽嗜好を決定づける出会いが訪れます。1985年、アフリカの難民救済を目的として世界各地で開催された「ライブエイド」のコンサートです。聞いたこともないような地を這い、突き上げてくるような重低音のギターリフ、ブラックサバスの演奏でした。まさに「何じゃこりゃ!」でした。それからどっぷりと沼にはまってしまいました。周囲に同じ嗜好を持つ人間が少なかったということもあり、誰とも趣味を共有することもなく一人せっせとCDを収集して気が付いたらヘビーメタル・ハードロックのジャンルだけで1,000枚を超えてました。今は断捨離して200枚くらいに減らしました。あと最近は音楽の嗜好の幅が広がりました。しかし、ヘビーメタル・ハードロックへの愛情だけは生涯不変だと思います。今回は長々と勝手な駄文を書いてしまいました。不運にもこれを読んで時間を無駄にされた方には謹んでお詫び申し上げます。  おっとそろそろコスタリカ戦始まりますね。スペインが得失差プラス7だから、2勝1分けか3勝しかないでしょう。スペインがドイツに勝てば・・・ですが、他力本願はやめましょう。ワクワクしますね。