はじめに
みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、ローズマリ・サトクリフの「山羊座の腕輪 ブリタニアのルシウスの物語」についてです。第2アウグストゥス軍団の勲章として授けられた山羊座の腕輪を、代々受け継いできた一族の人々が、ブリテン島におけるローマ帝国支配の変化を物語っていきます。それではいざ、古代のブリテン島へ参りましょう。
「山羊座の腕輪 ブリタニアのルシウスの物語」ローズマリ・サトクリフ(原書房)
ワインを商っていた父に、家業を継ぐことを強いられていたルシウス。しかし、彼の暮らすロンドンにやって来た女王ボアディケアに率いられたケルト軍が、町を略奪し、父は死んだ。かねてより憧れていたローマの軍団に入ることを決意したルシウス。ここから、ルシウス一族の物語は始まる。
サトクリフが残酷だと思うのは、読者を板挟みにしてくるところである。「闇の女王にささげる歌」では女王ブーディカ(ボアディケア)付きの竪琴弾きの視点から、ケルト側の事情を赤裸々に綴ったにも関わらず、こちらでは、そのブーディカによって町がめちゃくちゃに荒らされてしまうのだ。これでは私にとっては、単純に正義と悪を分けられない。
私たちは歴史を学び、それに向き合うとき、どうしても誰が悪で、誰が善、と決めつけることになる。そうやって、一方を正義と決めつけられたら、とても楽なのに、サトクリフの筆は容赦なく、私にそれを許してくれないのだ。
だが、結局それが物事の本質でもあるのだろう。どんなものも、どんな人も、善悪の両方の資質を持っている。もちろん、人によってその程度は違うだろうが、それでも悪人と善人をはっきり分けることは、ものを知れば知るほど難しい。
しかし、サトクリフはそうではない。ある作品ではケルト側に立って描き、またある作品ではローマ側に立って描く。このサトクリフ的な視点は、簡単に楽な方へ走ってしまう私にとっては、一種の戒めでもあるのかもしれない。今までは、同じ時間軸で同じ出来事を描く、というのを読んでこなかったので、(私が気づいていないだけかもしれないが)これは読むのが辛かった。ブーディカにもローマ軍側にも、正義がある。だから、ここまで直接的に、善と悪の分けがたさを感じたのは初めてだった。
そして、時代は下る。父から息子へ、連綿と受け継がれる山羊座の腕輪は、彼らの命の危機を何度も救う幸運の印として扱われるようになっていった。
印象的だったのは、変わりゆくローマ帝国の支配の有りようの中で、ひたすら実直にブリテンの辺境を守り続けた人々がいた、というそのこと自体だ。時は流れ、時代は変わるが、それでも変わらぬ姿勢でハドリアヌスの防壁を守り続けた部隊があったということが、心にしみる。彼らは歴史に名を残すこともない。偉人と祭り上げられるような人々ではない。けれど、無名の人々が同じ心持ちで、北の辺境守備に臨んでいたということ、そのことはあまりにも感傷的だ。私はたぶん、「辺境のオオカミ」たちが大好きなのだ。
歴史の中には、有名なほんの一握りの人物と、無名のままこの世を去った無数の人々がいる。その、無数の人々の息づかいが、紙面から立ち現れてくるというのが、サトクリフの真髄だろう。今回も、そのサトクリフの筆が持つ力を、ありありと感じ取れた。
おわりに
ということで、サトクリフ「山羊座の腕輪」についてでした。次回も引き続き、サトクリフの「炎の戦士クーフリン/黄金の戦士フィン・マックール」についてになります。どうぞお楽しみに。それでは最後までご覧くださりありがとうございました!