はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、サトクリフ・オリジナルのアーサー王物語もついに最終巻、「アーサー王 最後の戦い」についてです。「アーサー王と円卓の騎士」から続いてきたアーサー王の長い道のりも、この巻で終焉を迎えます。滅びを運命づけられた彼の生涯を、最後まで見届けましょう。

 

「アーサー王 最後の戦い」ローズマリ・サトクリフ(原書房)

 聖杯を勝ち得たガラハッドが、それゆえに命を落とし、アーサー王の宮廷が消える日が近づいていた。アーサー王とその異母姉の息子、モルドレッドの策略により、アーサー王は愛する妻グウィネヴィアと、忠臣ランスロットの仲を断罪することになってしまう。宮廷を追われた最高の騎士ランスロットと、アーサー王の間で円卓の騎士は引き裂かれた。ランスロットを攻めるため、城を出たアーサー王の隙を狙い、宮廷を掌握したモルドレッド。今、アーサー王の最後の戦いが幕を開ける。

 

 とにかくアーサー王が可哀想だった。この巻だけではない。最初からよく知らない人のところで養育されるわ、姉の策略にはまって滅びの種をまかれるわ、忠臣ランスロットと愛妻グウィネヴィアが熱愛を初めて、しかも見て見ぬ振りをしていたのに姉との間に生まれたモルドレッドの罠にはまって断罪する羽目になるわ、数え上げたらきりがない。それでも卑屈にならず、粛々と運命に従うアーサー王は英雄的を通り越して不憫ですらあった。

 

 サトクリフ・オリジナルのアーサー王伝説を通して驚くべきは、アーサー王が最高の騎士ではない、ということだろう。アーサー王は、何度か他の騎士にも打ち負かされているし、物語を通してそう称されるのは第1の忠臣、ランスロットである。ならば、ランスロットを王に戴けば良いのに、そうならないのが面白い。単純に考えるなら、アーサー王の持つ血が王にふさわしい、ということになるのだろうが、おそらくそれだけではない。1巻のときにも書いたが、王、人々を率いる存在に必要なのは、“最高の騎士”の素質とはまた違うものなのだと思う。最高の騎士と称えられるには、まず武勇、そしていわゆる騎士道とされるような、高潔さが必要だろう。しかし、王に求められるのはまた異なる種類のものだ。人心をまとめ上げる魅力こそ、王に必要とされるものなのだ。だから、アーサーが王で、最高の騎士はランスロットなのだと思う。

 

 そういえば、以前ランスロットが「落日の剣」におけるベドウィルだと思っていたが、どうやらベディヴィエールがそれに当たるようだ。アーサー王との親密さからして、ランスロットがベドウィルだと思っていたのだが、どうもそういうわけではないらしいので、ここにお詫びしておく。

 

 ところで、英雄といえば早死にするイメージがある。けれど、人々はそれに対してあまり疑問を抱かない。英雄的な潔さや、弱者を守るために自らを犠牲にしたことによって命を落とすことが多い彼らだが、それに対してあまり可哀想、とか不憫だ、という感情は、あまり湧き上がってこない。むしろ、ああ、やっぱりそうだよね、という納得してしまう。それはおそらく、英雄が持っている特権、たとえば神と人の子の間にできた半身であるゆえの怪力などに由来するのではないか。そのような特権を与えられた代わりに、英雄は華々しい活躍のさなかに、ふいに命を落としてしまう、と思っているから、哀れみの感情はあまり湧いてこないのだ。悲しいものは悲しいが、どこかに納得している自分がいる。

 

 だが、英雄物語の典型とされながらも、アーサー王の死には他の英雄たちよりも悲哀が漂う。アーサーは最初の方こそ魔術師マーリンに育てられたり、特別な剣を抜いたりするが、アーサー王伝説の中で活躍するのは円卓の騎士がほとんどだ。だから、アーサー自身の特別な才能というのはそこまで注目を浴びてこなかった。だから、アーサーの死には他の英雄にはない悲哀が感じられるのかもしれない。

 

おわりに

 ということで、サトクリフ・オリジナルのアーサー王物語、お楽しみいただけましたでしょうか。これからもサトクリフの作品や、サトクリフ・オリジナルも読んでいきたいと思います。どうぞお楽しみに。最後までご覧くださり、ありがとうございました!