はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、前回に引き続き上橋菜穂子さんの「獣の奏者」の感想です。王獣の謎を解き明かそうとひたむきな主人公、エリンの足跡を、今回もたどっていきましょう。

 

「獣の奏者 Ⅱ 王獣編」上橋菜穂子(講談社文庫)

 養父ジョウンの元を離れたエリンは、カザルム王獣保護場の学舎で、〈獣ノ医術師〉になるために学ぶこととなった。そこにいたのは、かつてジョウンと共に見た神々しい野生の王獣からはかけ離れた、くすんだ体毛の王獣たちだった。人に飼われた王獣が変化する理由を求め、王獣の観察をしたいと願い出たエリンは、教導師長のエサルによって、怪我をした幼獣リランと引き合わされる。リランは、怪我をしてから、餌も受け付けず、王獣舎から出ようとしない。リランの命を何とか繋ごうと、エリンの、親友ユーヤンや、先輩のトムラ、そしてエサルたちと共に、王獣の謎を解き明かす日々が始まった。

 

 「獣の奏者」シリーズは、今までに何度も読んでいるので、さすがにここまで来たら展開も知り尽くしているし、そこまで主人公たちの感情には入れ込めないかな、と漠然と思っていたが、とんでもない大間違いだった。気づいたら作品世界の中にのめり込んで、登場人物たちと一緒に一喜一憂している。上橋菜穂子さんの、見事な手腕に、完全に敗北を喫した形となった。

 

 前々回のおわりに、頭を休ませるために「獣の奏者」を読む、と書いたが、理性は確かに休んでいるものの、感性の方は、本当に登場人物たちと同化してしまったのだ。全く、あなどれないというか、奥の深い作品だからこそなせる業である。

 

 ところで、1巻の話になるが、死に瀕したエリンを治すため、ジョウンは、蜂の針を用いて治療を施している。読み進めるうちに思い出したのだが、「鹿の王 水底の橋」で、毒を持った貝を使って治療をする場面があった。主人公のホッサルが、土石流に巻き込まれた際に、花部の医術師が彼の怪我を治すために使用している。考えてみれば、「獣の奏者」も「鹿の王」も、生物の本質を探ることが物語の重要な部分を占めているのである。人とは何か、命とは何か、それを考えさせてくれるのが、上橋さんの物語なのだろう。

 

 この巻の前半は、本当にエリンの穏やかな日々が描かれていて、心温まると同時に、寂しくもなる。今後の物語の先行きを知っているからこそ、最初のほうにある穏やかな時間が愛おしくてたまらなくなる、というのは再読でままあることだが、「獣の奏者」は、ことさらそれを感じさせてくれる物語だ。エリンとユーヤンのやりとりを見ていると、自分も今の日常を大切にしよう、と自然に思えるから、本当に優れていると思う。あえて文章にしてしまうと、なんだか気恥ずかしい感じがするのは、仕方がない。

 

 さて、そんなエリンの日々の裏では、王国の存亡をかけた戦いが始まっている。イアルにセィミヤ、シュナンにダミヤと、それぞれの思惑が絡み合い、複雑な形をなし始めているのだ。今回読んで気づいたのは、シュナンとセィミヤの強さである。エリンとはまた異なる、真剣に国のことを思う姿勢に、感動した。最初に読んだときは、もっとものの見方が一面的で、彼らのこともあまり好きではなかったのだが、何度も読み返すつれ、彼らには彼らなりの守りたいものがあったのだ、ということが分かってくる。ダミヤさえも、そういう思いがあった。正義と悪に、物事を分けることの難しさは、日に日に分かってくる。

 

 最後に、獣と人間のことだ。決して越えられない溝、越えてはいけない溝。現実に存在する、意思疎通のできない、あるいは少ししかできない動物であれば、それは見えにくい。だが、王獣は、高度な知性を持ち、人間の意思をかなり理解するから、その溝が逆にありありと見えてくるのである。エリンは、それを越える術を探る。その必死な姿には、何度読んでも胸を打たれる。獣とふれあうことで得られる暖かさは、虚しいものなどではない、ということを、教えてくれた。

 

おわりに

 というわけで、「獣の奏者」の2巻についてでした。ちょうど昨日、英語版の「獣の奏者」が届いたので、ハリポタを読み終わったら、それにも挑戦しようと思っているのですが、この2巻を読み終わった瞬間、それに手が伸びていました。洋書を二冊も併読する勇気はないんですけどね・・・・・・。それではまた次回も、「獣の奏者」読んでいきたいと思います。最後までご覧くださり、ありがとうございました!