はじめに
みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、田中芳樹さんの「マヴァール年代記」をご紹介します。前回の「馬・車輪・言語」の下巻も、読み進めておりますが、危惧した通り、こちらを早々と読み終わってしまいました。
それでは、陰謀渦巻く熾烈な権力争いの一端に、そっと手を伸ばしてみましょう。
「マヴァール年代記 全」田中芳樹(創元推理文庫)
マヴァール帝国の波乱が始まったのは、先代皇帝ボグダーン三世の死によるものであった。皇位を争って立ったのは、未だ3歳の皇帝の孫、ルセトと、皇帝の三男であるカルマーンだった。選帝公を兼ねる六公国の主たちは、それぞれ分かれて対立するかに見えた。しかし、彼らは次々と凶刃に倒れ、残ったのは金鶏公国の主であり、カルマーンの学友であったヴェンツェルのみであった。もう一人の学友、騎士リドワーンを加え、熾烈な権勢争いが幕を開ける。
田中芳樹さんといえば、「銀河英雄伝説」や「アルスラーン戦記」などの十巻にも及ぶ超大作がすぐに思いつくことだろう。私もまだその二つのシリーズしか読んだことがなく、この「マヴァール年代記」を見たときに思ったのは、田中芳樹さんにしては短いなあ、ということだった。かなり無理矢理な感があるが、何とか一冊に収まっている。もともとは三巻で出版されたもののようだが、それにしても他の作品に比べれば短いものである。
その作品であるが、本当に面白かった。長さを考えなければ、銀英伝やアルスラーン戦記に匹敵するかもしれない。カルマーン、ヴェンツェル、リドワーンの三人の学友の青春時代をもっと読めていたら、その二作品と並んでも不思議ではない。もっとも、そこが書かれているとしたら、この本編を読むのが辛くて仕方なかったであろうことは、想像に容易なのだが。
さて、ヴェンツェルである。優れた才幹を持って、マヴァール帝国の至高の座を自らのものにしようと目論む彼であるが、彼のそこまでの権力の執着には、思わず身を引いてしまう。銀英伝のラインハルトの場合なら、分かるのだ。姉を既存の権力に奪われ、それを倒そうと誓った結果、あの野心が培われたわけだから。
では、ヴェンツェルは? そういう意味では、彼はロイエンタールのほうが似ているのかもしれない。私は、権力とか野心といったものに、ありあまる才能を持った彼らが振り回されていることに、納得できない。作中では、恋に似たものと例えられているが、それでも、そういったものに、どれほどの魅力があるのかがよく分からない。野心も恋に似て、突き詰めれば根拠のない本能のようなものなのかもしれない。
しかし、この問いは、のちまでおいておこうと思う。いつか自分にも分かる日が来るのかもしれないから。来てほしくないものだが。結局、私自身も作者の手のひらで踊らされる読者の一人に過ぎない。
作品の舞台設定についても、少し触れたいことがある。というのは単なる歴史ものでは、ここまで読者をのめり込ませることができないと思うからだ。ここまで緻密に歴史の細部の描ききるのは、簡単ではない。現実の歴史では、まずもって不可能だろう。
しかし、架空の歴史ならば話は別だ。そこに架空歴史小説の魅力がある。登場人物たちを、いかに肉付けしようと、文句をつけられる心配は一切ないのだから。
だが、一日の行軍速度や気候などの科学的な要素は、結局どの地域においても、異世界ですら、そうそう変えるわけにはいかない。変えるべきところ、そうでないところをきちんとわきまえているからこそ、このような作品が成り立つのだと思った。
おわりに
というわけで、「マヴァール年代記」についてでした。一巻に収まっていると、一気読みできるのが良いですね。文庫とは思えないボリュームがありますが……。
さて、次回こそ、「馬・車輪・言語」の下巻についてにしようと思っているのですが、「水使いの森」も気になっているのです。そんなわけで、気まぐれですが、お付き合いいただけるとさいわいです。それでは、またのご利用をお待ちしております。最後までご覧くださり、ありがとうございました!