はじめに

 みなさん、こんにちは。本野鳥子です。今回は、いよいよ銀河英雄伝説の正伝最終巻になります。銀河英雄伝説の再読の初回はこちらネタバレございますので、未読の方はご注意ください。それでは、英雄たちと、彼らが築く銀河の歴史に、一旦は別れを告げることにいたしましょう。

 

「銀河英雄伝説 10 落日篇」田中芳樹(創元SF文庫)

 長く続いてきた銀河の壮大な歴史が、一つ終わる。ヤン・ウェンリーの後継者となったユリアン・ミンツは、民主主義の種をラインハルトの帝国の中に残せるのか。イゼルローンと帝国軍の戦いが、再び幕を開けた……。

 

 個人的には、ユリアンが一番目立つ巻だと思う。射撃の腕はもちろん、ヤンから受け継いだ優れた作戦能力、政治的な思想、そして、ヤンの被保護者に過ぎなかった自分からの脱却がよく見えた。未来で述懐する人物としても繰り替えし登場し、また、「後世の歴史家」の批評の対象ともなる、歴史上での存在感が大きいように感じる。この時代に華々しく活躍した人々の多くが、記憶を回想する間もなく逝ってしまったことも大きいのだろうが、ヤンの被保護者という立場からは引き離されたとはいえ、歴史の探究に魅力を見いだした、という点においてはヤンの影響は最後まで持ち続けているようだ。

 

 ひとつ、気になった記述がある。

 事実とはややことなるのだが、ユリアンはヤンの後継者であるより崇拝者である歴史のほうが長かった。

 この文の解釈に、ずっと困っている。これは、この時点でのユリアンの人生を指して言っているのか、それとも彼の人生を総括して言っているのか。後者であれば、彼も短命に終わったということになりはしまいか。「事実とはややことなる」は、この文の前の文についての記述と捉えて、合っているのか。

 

 ヤンもラインハルトも、その短い生の終わりを、作者は容赦なく作品の中に組み込んでいる。だが、ユリアンは違うのだ。彼の人生の終わりを、これから歩む道のりを、読者は知ることがない。だからこそ、こういう記述が気になるのである。

 

 あえて解釈の余地が与えられていると思っても良いのだろうか。ユリアンが、ラインハルトとヤンの抗争に終わった時代から、歴史を進める一人になったことは、疑いようがない。ラインハルトにとってのヤンのように、アレクサンドル・ジークフリードにとってはユリアンの存在が大きなものになるのだろうか。しかしそれは、ラインハルトとヤンの時代を描いたこの作品では、触れずに終わって正解なのかもしれない。

 

 また、あまりに早すぎるラインハルトやヤンの死に、「天上」の存在を信じたくなってしまった。この現実世界にそれが存在するかはともかく、銀英伝の世界には「天上」があるのだと思いたい。ロイエンタールに、ラインハルトとの和解の機会が与えられたら、ラインハルトとキルヒアイスの再会が果たされていたら、そして何より、好敵手の早すぎる到来に、苦笑するヤンの姿も目に浮かぶようだ。

 

 そんな他愛もない想像だが、実際に作品に書かれればそれはご都合主義に過ぎるので、想像の範疇にとどめるのがふさわしいのは間違いない。あくまで、これは生者たちの築く、歴史の物語なのだから。

 

 銀河英雄伝説を、読み終わってしまった。再読とはいえ、魅力にあふれる彼らとまた、別れを告げなくてはならない。外伝で、この寂しさを癒やすことにしよう。

 

 本編には全く関係ないのだが、行く先々に北上次郎さんの解説があって、追いかけているつもりはないのに困惑することしばしばである。結局、私の歩む道も期せずして先達者のあとをたどっているということなのだろうか。

 

おわりに

 というわけで、銀河英雄伝説正伝が終わってしまいました。素晴らしい作品というのは、本当に読み終わるのが辛いですね。ですが、まだ外伝があります。その再読で、彼らに再会することにしましょう。

 

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。