はじめに

 みなさんこんにちは、本野鳥子です。今回は、前回ご紹介した「物語ること、生きること」の中に名前が上がっていた、イギリスのタイムファンタジー「時の旅人」を読みました。イギリスの田舎で繰り広げられる物語を、お楽しみください。

 

「時の旅人」アリソン・アトリー(岩波少年文庫)

 病気の療養のために、ロンドンからサッカーズにやってきた少女、ペネロピ―。彼女は、緑豊かな牧場の空気の中で、古くに建てられた家に暮らすことになった。ふとした瞬間、彼女は、何百年もの時を越え、かつてのサッカーズへ迷い込むこととなる。そこでは、幽閉されたスコットランドの女王、メアリーを救い出そうと奮闘するアンソニー・バビントンを始め、バビントン家の人びとの姿があった。

 

 まず驚いたのは、ペネロピ―が過去を訪れる瞬間に、何一つ劇的な出来事が起こらないことだ。あまりにもあっさりと、彼女は時を越えてしまう。その手際の鮮やかさには、私もどこかの古い館を訪れたなら、その扉の先ははるか昔の空間につながっているのではないか、とすら思ってしまう。日常からは、さして隔たっていない、もう一つの“日常”に、時というものの不思議さを感じずにはいられない。

 

 また、歴史的な背景もよく考えられていて、実際の歴史の中でも、その影に人びとの努力があったことを教えてくれる。出来事ばかりを追いかける歴史では分からない、その時代に暮らした人びとの息づかいが伝わってくるようだった。タビサやシスリーおばさんなど、ごくごく普通の暮らしをしていた人びとが、歴史の中にいたということを実感できる。

 

 時が流れ、昔の人びとが築き上げてきた今の上に、私たちが未来を築こうとしているということ。それを、私たちはいとも簡単に忘れてしまう。今の日常が延々と続くような、そんな錯覚は、絶えず私たちの心の中にある。だが、この作品では、連綿と続いてきた歴史がそこにあって、一番表にいるのが、自分たちなのだという意識が、根底に流れているような気がした。ウィンズフィールドの長く受け継がれてきた椅子に人間よりも長くそこにある扉、サッカーズの古びた長びつなど、歴史を感じさせる品々が、それを主張してはばからないのかもしれない。

 

 ところで、私はこの作品を読んだのは初めてなのだが、ずっと、なぜか見たことのある人物名だな、と首をかしげていた。そしてそれがなぜか、読み進めるうちに気づいたのである。

 

 荻原規子さんの「西の善き魔女」というシリーズをご存じだろうか。このシリーズで、主人公のフィリエルの父は、ディー博士。天文学を専門とし、人里離れたセラフィールドの塔で、夜空を見上げ続ける。また、フィリエルは、唯一近くに住んでいる、タビサとボゥという夫妻に、育てられた少女なのだ。

 

 これが、偶然の一致とは、どうしても思えない。「時の旅人」には、星占いのディー博士が登場し、メイドのタビサ、それからボゥという人物も登場するのだ。いずれも、端役には違いない。だが、明らかに荻原さんが「時の旅人」から名づけたとしか、思えないではないか。まさか、とは思ったが、見つけられるだけで三人もいる。その可能性は大きいだろう。

 

 全く予想していなかったつながりが見つかるのも、読書の醍醐味の一つである。上橋さんのエッセイから手に取った本に、荻原さんの作品との関連があるなど、全く思わなかったので、思わぬところから贈り物をされたような気分になった。

 

 この本を読んで、またいつかイギリスに行きたいという願いが高まる。イギリスの歴史の流れを、この身で感じてみたくなった。

 

おわりに

 というわけで、「時の旅人」についてでした。次回は、同じくイギリス発のタイムファンタジー「トムは真夜中の庭で」を読みたいと思っていますが、家にあるか分かりません。なかった場合は、また別のものにしようと思います。お楽しみに。それでは、最後までお読みくださり、ありがとうございました!