Belle Epoque/ Elizabeth Ross/ Ember

 

時は19世紀末。
父が決めたひどい縁談から逃げ出して単身パリに出てきた16歳の少女モードがようやくありついた仕事は「引き立て役」。
冴えない容姿の女の子たちを集め、裕福な女性たちが自分をより綺麗に見せるために隣に置く「引き立て役」として貸し出す、風変わりな派遣会社のスタッフです。

モードの初仕事の相手は、今年社交界デビューを迎える伯爵家の令嬢イザベル。

イザベルは少々地味ながらなかなかの美少女。
でも愛想がなく、晩餐会にも綺麗なドレスや宝石にもハンサムな貴公子にもまるで興味がないという変わり者です。
社交界での夫探しにも全く乗り気ではない彼女を隣で「引き立て」つつ、うまく誘導して富と家柄を併せ持つハイスペックな殿方との縁談を成立させるのがモードの役目です。

しかしそのイザベル、社交界シーズンに夢中な周囲の娘たちとは何かが違うモードのことを妙に気に入ってしまい、彼女にひとつの秘密を打ち明けます。

実はこのお嬢様は、科学大好きの理系女子。結婚にはまったく興味がなく、ソルボンヌ大学に行って科学者になるため、家族に隠れてこっそり勉強を続けているのです。
私の受験の手助けをして、と頼まれて、モードは彼女の勉強に付き合うことに。

そんな日々が続く中で順調に距離が近づき、どんどん仲良くなっていくふたりですが――ひとつ問題が。

イザベルは、「友達」のモードが自分の母親によって内緒で雇われた自分の「引き立て役」だということをまったく知らないのです…


カナダのYA作家エリザベス・ロスの2013年のデビュー作品。2014年ウィリアム・C・モリス賞最終候補作品です。


正体を隠した貧しい雇われ少女と変わり者のお嬢様の秘密混じり・縁談がらみの危なっかしい友情物語で、エロティシズムやレズビアンロマンスやインモラルさや暗さやクソデカ感情をきれいに全部除いた全年齢向けサラ・ウォーターズ(とくに「茨の城」とその映画化作品「お嬢さん」)みたいな味わいがあります。

エロティシズムとレズビアンロマンスとインモラルと暗さとクソデカ感情を全部抜いたらサラ・ウォーターズじゃないだろうと言われればそうかもしれませんが、でもそういう印象。

嘘や打算や大人たちの思惑の中ではじまった2人の女の子の友情が、嘘や打算や大人たちの思惑を越えていくのが可愛くすがすがしく、ハッピーエンドの結末も後味良くて楽しめます。


また、良いところも悪いところもある人間らしいヒロインたちの造形も良いと思いました。


イザベルは結婚にも恋にも財産にも美しいファッションにも興味がない科学オタクなんですけど、彼女がそんな風に生きられるのは、たぶん有り余る財産と素晴らしい家柄ときれいな容姿を持ってて、生まれてこの方お金や身分や見た目によって不自由をしたことがないからこそ、なんですよね。
その辺にまるで不自由してないがゆえに、そこに興味を持たなくても生きられるし、夢を追いたいと思える。
彼女のキャラクターにはそういう甘さが確かにあります。

彼女がもっと家柄が低くて財産が少ない娘だったなら、大学を夢見ることなんかできず、社交界で必死にお金持ちの夫を捕まえようとしていた…というか、そうせざるを得なかったんじゃないかな。

でも、夢を見られる立場の女の子がまず先頭切って夢を追わなかったら、その下の女の子たちなんてもっと何もできませんからね。それができるイザベルは夢を追って道を作ればいいんです。


それに対して、モードは美しい容姿も財産も家柄も何もない子で、だからこそ、そういうものにどうしようもなく惹かれてしまいます。
生まれて初めて綺麗なドレスを着てハンサムな貴公子とダンスできた舞踏会の後、「わたしは現実の生活のどんな日よりも今夜みたいな夜を選ぶ」と高揚して話す彼女の姿、伯爵家の人々と付き合いが続くことによってぐんぐん高いプライドが芽生えていく姿はなんだか悲しい。
所詮同じ人間ではなく、「引き立て役」として扱われているのにな。

だけど、その気持ちもわかるよ。お金と権力を持った人にピックアップされて贔屓してもらえるのは、人としてのバランスを失ってしまうくらい気持ちがいいことだから。
彼女を俗っぽいと批判するのは簡単だけど、モードじゃなくても、多くの人がこうなっちゃうだろうなと思います。
モードはとりたてて強くもなく良い子でもなく、ただ普通の子なんですよ。


上記のような良さがある作品ですが、少々古い(10年前の)作品のためか、ちょっと「ルッキズム」とか「結婚とキャリア」とかのテーマの扱い方が甘くて、突き詰めた方が良い部分をきちんと突き詰めないで日和ってるところがいくつかあるのは残念です。

たとえば、「不器量な(Ugly)女性」たちの派遣会社に雇われてるモードが、結局「実はブスじゃなくて容姿がすごい平凡なだけ」って設定になってるのとかね。ヒロインを不器量設定にする踏ん切りが付かずに日和っちゃった感がある。なんでや、ブスがYAのヒロインになっても別にいいだろ!
「ルッキズム」「美醜」というテーマもこのせいでちょっとボケてしまってて残念。

この作品が出版された2013年の英語圏のYAって、まだギリギリでイケメンと美少女のロマンスファンタジーがメインストリームで流行っていた頃で、白人以外の主人公すら少なかった時期なんですよね。
今はヒロイン像はずっと多様になってて、プラスサイズ女子もトランス女子もアジア人やアフリカ人もムスリムも普通にYAの主人公になれるけど、当時はまだそういう空気ではなかった。ヒロインを不美人にするのは規格外で難しかったのかも。


またイザベルの方の「結婚とキャリア」というテーマも、最初は「家柄も見た目も性格も理想的な貴公子」と「夢の大学」のあいだでの選択になってたのが、途中で理想的な貴公子が勝手に退場してクズ男がお相手候補の筆頭になったため、最終的に「クズ男」と「夢の大学」という選びやすい二択になってしまってて、これも残念。ここももっと突き詰めて欲しかった。


あと、これは本筋ではありませんが、作中で悪役として描かれてる引き立て役派遣会社の社長ムッシュウ・デュランドーが、描写を読む限りわりと良い雇用主にしか見えないので困りました。

このデュランドーさん、「引き立て役」の若い女の子たちをまったく搾取しようとしないで高い給料払うし、未経験でも現場に出す前にしっかり研修受けさせるし、研修中も給料払うし(※現場に出て仕事したら上乗せ報酬がつく)、毎日の食事や仕事用の衣服も全部無償提供するしで、胡散臭い商売してる割にえらいまともな雇用主なんですよ。私モードと同じ立場ならその仕事したいよ?

しかもこの人、作中で全然良い人として描かれてないんですよ。終始冷たい嫌な奴として描写されてるし、雇ってる女の子たちのこともぜんぜん大事と思ってない。

つまり彼は、
「善行をしようとか助けてあげようとか思って雇った女の子に多めに報酬払ってやってる親切な人」
なんじゃなくて、
「相手が女だろうが若かろうが家族や後ろ盾がなかろうが、値切ったり搾取することをハナからまったく考えずにただ当然のこととして仕事に対してしっかり金払ってる人(性格は悪いけど)」
なんですよ。まともな人すぎて目が洗われる思いです。

ただ確かに性格は悪いし、雇った女の子の容姿を無神経にけなしてモチベ下げる点はダメだったので、そこは直せると良かったね。

「美人とブスなんて所詮周りの他人との比較で決まる程度のくだらないもんなんだよ!気にすんな。君たちの容姿を武器にしてルッキズムに縛られたバカの金持ち相手に稼ごうぜ!」
くらい言ってポジティブに女の子たちを鼓舞できる人だったなら最後あんなことになってないだろうに。男上司が女だらけの職場を怒らすとおおむね地獄を見るからな。