Sauron Defeated/J.R.R.Tolkin,Christopher Tolkin/Harper Collins

トールキンのご子息クリストファーが編纂した「指輪物語」草稿集「The History of The Lord of the Rings」の4巻目。

正月休みに軽く「指輪」を読み返してたら、「幻のエピローグ」というやつをちょっと読んでみたくなったので、その部分が載ってる4巻目だけ購入してみました。


読んだ人なら(あるいは映画を見た人なら)ご存知の通り、灰色港から袋小路屋敷に帰ってきたサム(主人公フロドの従者)が「さあ、戻ってきただよ」とつぶやく、幸せなようなほっとしたような死ぬほどさびしいような、とにかく忘れがたいあのシーンで「指輪物語」は終わるわけですが、トールキンの当初の予定では、実はここがラストではなく、そのあとに15年後のサムを描いたエピローグが入るはずだったんですね。
トールキンが収録するか削除するか迷って、最終的に削除した(けど、削除を決めた後も残念に思っていた)という「幻のエピローグ」。
それが収録されているのが、この草稿集です。

読んでみると、なるほどこれはトールキンが迷ったのがよくわかる、すごく素敵なエピローグ。
ただ、すごく素敵なんだけど、「ないほうがいい」。


「幻のエピローグ」は2パターンあって、サムがたくさんの子どもたちと話すバージョンと、長女のエラノールとふたりで話すバージョンなんですが、前者は賑やかで楽しそう、後者はやや寂しげな雰囲気が強いですね。私は哀愁のあるエラノールバージョンのが好きです。
以下はそのエラノールバージョンの内容。


灰色港から15年後のギャムジー家。よく晴れた3月の温かい夜。サムはフロドから譲り受けた赤表紙本の執筆のためにメモ書きを作っている最中。
そのメモ書きを見ながら、エラノールとサムが話をしていきます。

メモの中では、旅から帰ってきたギムリとレゴラスがゴンドールで仕事をしていることやら、ピピンが時々ミナス・ティリスへ出かけていること、メリーがエオウィンに会いに行ったりしていることなどがちらりと語られており、旅の仲間たちが指輪戦争の後も相変わらず仲良く付き合っているらしいことがうかがえてなかなか微笑ましい。

エピローグに登場するサムの娘・15歳のエラノールは、エルフと見まごうような超美少女に成長していて、おまけにかなりの父ちゃん大好きっ子でものすごく可愛いです。エピローグが削除されたことによって、キュートな彼女が物語に登場できなくなってしまったのは残念ですね。


‘Don't write any more tonight.Talk to me, Sam-dad!’
(今夜はもう書き物はやめにしてよ。あたしとお話ししてちょうだい、サム父ちゃん!)



なんて言ってサムを暖炉のそばに引っぱっていくところなんか、くっそかわいいなあと思ってしまう。サムとの会話を見た感じ頭もよさそうだし、こんな子が娘じゃサム父ちゃんはたまらないでしょうね。
ちなみに娘だけじゃなく、奥さんのローズとサムとの会話もラブラブです。幸せそうだなあ、サム。

とはいえ、ここはトールキンが「指輪物語」のシメに持って来ようとしていたシーンですから、ただハッピーで心温まるだけのエピローグではありません。

サムとエラノールの会話のなかでは、中つ国から少しずつエルフが去り、しだいにエルフの光が消えつつある事が語られていますし、また、サムがいつか海を渡って西方へ去っていくつもりでいるらしい事も明かされます。サムがフロドとの別れについて語る短いセリフも、15年という時の流れに癒されてはいるものの、やっぱりまだ寂しそうです。
こういうほのかな翳りがあるのが、また味わいを深くしていて良いんですね。

そして結びの一文は、


But even as he did so,he heard suddenly,deep and unsitilled,the sigh and murmur of the Sea upon the shores of middle-earth.
(けれどもそうした時、サムは忽然として、中つ国の果ての岸辺に寄せる、深く絶え間ない海のためいきとささやきとを聞いたのでした。)



と、サムがいつか海の向こうのエルフの国(本編の最後にフロドが旅立っていった場所ですね)に渡っていくことを暗示して終わります。


うーん、温かさとともに哀愁があり、さらに、袋小路屋敷の一室を描きつつその外の中つ国、中つ国の外の大海、さらにその向こうにある西方の国の存在までもを感じさせる壮大さもあって、すごく素敵なエピローグ。
…なんだけど、本編を思い返すと、やっぱりこの部分はバランス的に「ないほうがいい」んですよね。


指輪の仲間がひとりまたひとりと物語から退場していって、最後にサムがひとり家に帰ってくるあのラストがすごく完璧なので、どんなに素晴らしいシーンでもあの後に付け加えるのは違和感があります。

また、結びの一文。これも短い文章の中に切なさと壮大さがかすかに匂っててすごくいいんだけど、「さあ、戻ってきただよ」で終わるあのラストシーンの後に置くとやっぱり少しおさまりが悪い。
あのラストでサムの「ゆきてかえりし物語」としてぐるっときれいな円になって終わっているので、その後にまたサムの「ゆく」物語が匂わされてしまうと、きれいな円になった場所から少し物語が「回りすぎ」になってしまう感じがあります。


つまり作品全体から見るとないほうがいいんだけど、シーン単品として見ると素晴らしくて消すにはあまりに惜しい、という、なんとも悩ましいエピローグなんですね。

だからトールキンが最終的にカットしたものが、こうしてご子息によって編まれた「草稿集」として読みたい読者の目には触れることができるようになっている、というこのかたちが、結局この部分にとってのベストだったんじゃないかなあ。
カットしたのはたぶん正しいけど、読めることもまた喜ばしい。


ところでこのエピローグは1年後でも3年後でもなく15年後と大きく年月が飛んでるわけですが、この「15年」というのは、イコール「サムとフロドの年齢差」なんですよね。(映画だとフロドのほうが若いイメージでしたが、ほんとはサムのほうが15歳下)
フロドが中つ国からも物語からも退場していったのとちょうど同じ年齢に追いついたサムに、フロドと同じくいつか来る船出のイメージを重ね合わせて物語の締め、という形にしたかったのかな?と思ったけどどうでしょう。


では、エピローグから後半の一部を少し訳して載せてみます。幸せそうなのに少し寂しげな雰囲気や、エラノールとサムの仲良しっぷりもよくわかる良い部分なので、ここだけでもちょっとご紹介。
できるだけ「指輪物語」翻訳者・瀬田貞二の雰囲気に近い文章で…と思ったけど、そもそも瀬田氏と私とでは日本語力も英語力も全然違うので、ぎこちないところは勘弁してください。


エラノールはしばらくだまっていました。
「あたし、はじめは、ケレボルンさまが王さまに別れを告げなさったときにおっしゃったことの意味がわからなかったの」
エラノールは言いました。
「だけど、いまならわかる気がする。ケレボルンさまは、アルウェンさまがこの地に残られるだろうことも、ガラドリエルさまがケレボルンさまを置いて行ってしまわれるだろうこともわかっていらしたのね。すごくお辛かったでしょう。サム父ちゃんだってそうよ」
エラノールはサムの手に触れ、サムの日焼けした手がエラノールの細い指を握りました。
「父ちゃんの宝も行ってしまったんだものね。あたし、“指輪のフロド”があたしのことを知っていてくださったことが嬉しいわ。だけど、あたしのほうでもフロドさまのことを覚えていたかった」
「辛かったよ、エラノールや」
サムは言い、エラノールの髪にキスしました。
「辛かったよ。だが、いまは辛くねえ。なぜかって?そうさな、まずひとつには、フロドの旦那は、エルフの光が消えることのない場所へ行きなすったんだ。そうしてあのかたはご自分の報酬を受け取られた。そしておらもまた報酬を受け取った。おらはたくさんの宝を得た。とっても富めるホビットだ。
それにもうひとつある。おめえにだけこっそり聞かせてやろうな。これはおらが今まで誰にも話したことがねえ、本にだってまだ書いちゃいねえ秘密なんだ。
フロドさまは行ってしまわれる前に、お前の時も来るだろう、と言いなさったんだよ。おらは待てる。おらと旦那は十分にさよならを言い交わすことができなかったんじゃねえかとも思ってる。だが、おらは待てるよ。おらはエルフからそいつをしっかり学んだんだ、ともかくな。
エルフのかたがたは時間にとらわれねえ。それだから、ケレボルンさまはいまも、エルフらしく、ご自分の木々のなかで幸せにしていらっしゃるんじゃねえかとおらは思う。ケレボルンさまの時はまだ来ていねえのだし、まだこの地に倦んでもいらっしゃらねえ。
この地に倦むようになったそのときは、ケレボルンさまはあちらへ行かれることができるんだ」
「そして父ちゃんがこの地に倦んだその時は、サム父ちゃんも行っちゃうのね。エルフと一緒に港へ。その時が来たら、あたしも一緒に行くからね。あたしはアルウェンさまとエルロンドさまみたいに父ちゃんと離れたりしないんだから」
「ああ、そうかもな。そうなるかも知れねえだな」
サムは言い、エラノールにやさしくキスしました。
「そして、そうならねえかも知れねえ。ルシアンやアルウェンさまがなさったような選択は、よくなされるもんさ、エラノールや。あるいは、それに似たような選択はな。そして、まだその時が来てもいねえのにもう決断してしまうのは、頭のいいやり方じゃあねえだぞ」

(「Sauron Defeated」11章 THE EPILOGUE より 適当に改行入れました)


少しわかりにくいかもしれませんが、エラノールが「父ちゃんの宝(your treasure)」と呼ぶのはフロドのことで、サムが「たくさんの宝を得た」というのは奥さんと子どもたちのこと。

「大事な人」くらいの意味で使ってるんでしょうが、これは「王の帰還」でケレボルン(ガラドリエルの夫でアルウェンの祖父)がアラゴルンに別れを告げるときに、彼の妻になった孫娘アルウェンのことを「そなたの宝(your treasure)」と呼ぶのに合わせているんですね。
上のほうでケレボルンの話をしているから、その流れで使ったんだろうな。エラノールはサムから「指輪物語」をまるっと3回読み聞かせてもらっているそうなので、こういう引用がさらっとできるんでしょうね。こういうの見ても、頭の良い娘だなあと思います。


「あたしのほうでもフロドさまのことを覚えていたかった」
というのは、フロドが中つ国を去った時、エラノールはまだ生後半年だったため。さすがに覚えちゃいられないでしょう。


フロドの言う「お前の時も来るだろう」というせりふは、「いつかお前が海を渡る時も来るだろう」という意味。
このせりふ自体は本編にも出てきたものですが、サムのほうでこの言葉の意味をどの程度理解しているのかは、本編の記述だけだとわからないようになっています。このエピローグを読むと、100パーセント理解できてるのがわかりますね。
いつか海の向こうでフロドの旦那に再会できるから、「おらは待てる」と言うわけです。それにしても、それ15年もローズに内緒なのかよ、サム。
(まあ、私がローズなら旦那が自分と同じ土地に骨埋めるつもりがないのはあんまり聞きたくないかもしれないけど、でも内緒で決断されてるのもいやだなあ。)

「追補編」の年表によれば、この言葉どおり、本編終了から61年後、このエピローグから46年後のホビット庄暦1482年、奥さんのローズが亡くなったその年に、サムはエラノールに見送ってもらって灰色港から船に乗りました。

「父ちゃんと一緒に行く」と言っていたエラノールは一緒には行きませんでした。この頃には彼女には旦那さまと子どもがいましたから、中つ国に彼女の「宝」ができていたんですね。
この未来を知っていると、サムの「そうならねえかも知れねえ」というせりふが、また少し切なく聞こえます。


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