マンボウのブログ -38ページ目

マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

あまり良く知らない画家だったけど、ちょうど名古屋での新年会の前に、こちらで鑑賞した!チョキ

 

 

 

 

  門松「オディロン・ルドン 夢の交叉」

 

 クローバー会期:2025年10月24日(金)~2026年2月23日(月・祝)

 クローバー会場:ヤマザキ マザック美術館

 

 

フランス近代絵画の巨匠、オディロン・ルドン(1840-1916)。世紀末の象徴主義を代表する画家として知られており、幻想的な作風が同時代から現代にいたるまで数多くの人々を魅了しています。この展覧会では総点数130点あまりの作品(会期前期・後期各約80点を展示予定)によって、ルドンの創作と評論の世界を展観いたします。(パンフレットより)

 

 

構成は、

  キラキラ*黒と白の世界<石版画>

  キラキラ*色彩の世界<油彩・パステル>

  キラキラ*批評<ルドンが語った芸術家たち>

 

 

リトグラフや油彩作品もさることながら、批評のところが面白かったなあ。

クールベなんか、扱き下ろした感がある。ウシシ

 

ドラクロワの「ファウスト」連作(リトグラフ)は本では見たことあるけど実際に見たのは初めてかも。びっくり

 

 

なお、常設展示ルームでは、絵画作品だけでなく、重厚な家具調度品の数々が目を惹いたわ!口笛

 

 

 

 

-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/vangoghshome.html

 

 

同時期に開催されている「ゴッホ展」には、目もくれずルドンに惹かれたのが何ともはや(^^)グラサン

 

ふらっと目に付いたので、こんな本を図書館から借りて来た。チョキ

 

 

     本清丸惠三郎「江戸のベストセラー」(洋泉社 2017)

 

 

 

 

江戸期のベストセラー12冊について、述べたのがこの本である。

 

 

  序章:江戸の本はアイデアの宝庫! から少しばかり引用してみたい!右差し

 

 

 江戸の出版物を眺めてみると、「往来物」や「重宝記」などの実用書も面白いが、もっとも面白いのは「評判記」であろう。現代人も週刊誌の「東大入学者数高校別ランキング」やビジネス誌の「就職人気企業ランキング」などに飛びつくし、どこの大学でもキャンパス美人コンテストなどの催しが大人気である。県庁のお役人は都道府県ごとのブランド力ランキングに目の色を変える。事ほどさように、日本人は評判を気にし、ランキングに人一倍関心を寄せる。高度成長期の日本人は、GNP世界何位かをやたらに気にした。そうした点では実は江戸の昔もまるで変わりがない。「評判記」はそうした江戸の日本人気質をうまく掬い上げたもので、ある分野の人々、事象の評判を記すとともに、「位付け」、つまりランキングを掲載して大人気だった。

                                    (p.13-4)

 

いわゆる番付物(大相撲だけでなく)がそれにあたるかもしれない。さらに、今ではミシュランの〇ツ星というスタイルがそうだ。口笛

 

 

 とにかく江戸期の印刷物には学びが一杯である。

                                    (p.19)

 

 

トップは、ここから始まる。右差し

 

 

 『嵯峨本』角倉素庵  慶長9(1604)年頃

 

  洛中有数の素封家にして知識人が創り出した「豪華本」への憧憬

 

 

 

この本で取り上げられているものを順に列挙しておく。グー

 

 

 『嵯峨本』角倉素庵

 『塵劫記』吉田光由

 『好色一代男』井原西鶴

 『武鑑』松会三四郎

 『曾根崎心中』近松門左衛門

 『養生訓』貝原益軒

 『解体新書』杉田玄白

 『吉原細見』蔦屋重三郎

 『東海道中膝栗毛』十返舎一九

 『南総里見八犬伝』滝沢馬琴

 『東海道四谷怪談』鶴屋南北

 『江戸繁盛記』寺門静軒

 

 

なんともはや、錚々たるタイトルと作者が居並ぶわ!びっくり

 

江戸期といえば、元禄文化や化政文化など時代は異なれ、今でもお馴染みの作品が多く輩出された時代であったのだ!拍手

 

 

西鶴や近松の作品、「膝栗毛」や「八犬伝」、「四谷怪談」などは読んではいなくても知らない日本人は少ないだろうて。

貝原益軒「養生訓」(1713)や杉田玄白「解体新書」(1774)などの自然系も後の医学分野などに多大な寄与を齎したのだった!グラサン

 

蔦屋重三郎「吉原細見」(1783)は、テレビ・ドラマで全国的に知られるようになった。蔦重や静軒の作品などは江戸を扱ったもので、江戸が文化の中心であったことを偲ばせる。

 

 

 

 

   <図書館で借りてきた本>・・・その1

冒頭部分の最後は、戦後生まれ世代の第二弾だ!チョキ

 

 

  デニム小川高義  vs  河合祥一郎デニム

 

 

 

小川高義は、訳者あとがきの冒頭にこう記している。

 

 ポーを訳すのは、私にとっては二度目の試みである。一冊目は、もう十年ほど前になるのだが、ポーの短篇と小さなエッセーの計八篇を訳したものが、『黒猫 / モルグ街の殺人』という題で古典新訳文庫の仲間入りをした。古い作品をまとまった分量で訳すのは私には初めてのことであり、あやしげな猫と死体にこわごわと手を出す、というのが偽らざる心境だった。

                                 (p.294)

 

 

  「アッシャー家の崩壊」

 

     かの心は、吊るしたリュート

     触るれば、ただちに響くなり

            ----- ド・ベランジェ

 

 その年の秋の日に、雲は空に重苦しいほど低く垂れ込め、あたりは鈍い薄闇に包まれて音もなく、ただ一人馬に乗る私は、この異様に荒んで広がる土地を、ひたすらに進んでいた。そして、ついに夕暮れの影が色濃く迫る頃合いに、あの陰鬱なアッシャー家の館を見るまでになった。どういうことか今もわからないが、まず館を目にした瞬間から、耐えがたいばかりの暗澹たる気分が私の精神に染みわたった。そう、耐えがたいというのは、この感覚にまるで救いがなかったからだ。およそ自然界の形象を心に受けるとしたら、その凄まじきもの恐ろしきものを、いかに厳しく見せつけられたとしても、どこか詩的であるがゆえに半ば愉悦でもある情緒に救われるものだ。

                              (小川高義訳:p.8)

 

 

 

もう一つは・・・

 

  「アッシャー家の崩壊」

 

    その心、弦を張りつめたリュートさながら

    Son coeur est un luth suspendu;

    触れればたちまち鳴り響く

    Sitot qu'on le touche il resonne.

              ド・ベランジェ(De Beranger)

 

 

 その年の秋、威圧的な雲が垂れ込め、どんよりと暗く静まり返った妙に侘しい田舎道を、私は独り、一日かけて馬で進んでいた。ついに夕闇迫る頃、見えてきたのが、憂鬱なるアッシャー家だ。なぜかはわからぬが、その屋敷を初めて目にしたとたん、耐えがたい暗澹たる思いに襲われた。なぜに耐えがたいかと言えば、普通うらさびれて悲惨なる自然を目にすれば、どんなに厳しいものであっても詩情を覚えてなかば楽しめるところもあるものなのに、そんな気持ちにさらさらなれなかったためである。

                              (河合祥一郎訳:p.165)

 

 

河合祥一郎訳には、ド・ベランジェの原詩も併せて記載されている。

 

 

「威圧的な(雲)」という表現は、なかなかに威圧的インパクトがあるなあ!グラサン

 

 

 

 

   <エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・22