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マンボウのブログ

フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

それでは、本「英詩訳・百人一首」のドナルド・キーンさんの序文から、「蝉丸」の作品の英訳をいくつか紹介しておこう!チョキ

 

 

 

 はじめて英語に翻訳された日本の文学作品は『小倉百人一首』(もしくは『百人一首』)である。その翻訳者は”英国海軍軍医”としか記されていないが、後の版でフレデリック・ヴィクター・ディキンズ(1835~1915)なる人物であることが明らかにされている。

 

紹介されているのは、二つの訳だ。

 

 

その一

  These multitudes before me

  Pass by ; -----they come, they go ; -----

  And tho' I strive full surely

  To recognize friend or for,

  As ignorant as the barrier-gate,

  Of mountain-path, my wretched fate.

 

その二

  Some hence towards the city haste,

  Some from the city here speed by,

  Here friends and strangers meet and part,

  With kindly glance and careless eye ;

  Apt is the name it seems to me,

  Ausaka gate, men give to thee.

 

 

 1909年に刊行されたウィリアム・N・ポーターの翻訳も、同じような”詩的”表現様式をとっている。

 

  The stranger who has traveled far,

  The friend with welcome smile,

  All sorts of men who come and go

  Meet at this mountain stile,-----

  They meet and rest awhile.

 

「百人一首」を英訳した日本の学者たちも、等しく押韻の魅力にとらわれている。1956年の本多平八郎による訳もそれをうかがわせる。

 

  Lo, at this barrier people greet,

  Those leaving home, and those who hope

  Home to return; so is meet

  To call the barrier Trysting Slope.

 

 これらがどれも同じ歌の訳だとは信じがたい。まったくの過ちは別にして、彼らの悪しき傾向は、何はおいても韻を踏もうとするあまり、不要な語句を加えていることである。1953年の、より逐語的なわたしの訳は、次のとおりである。

 

  This is the Barrier

  Where people come and people go

  Exchanging farewells;

  For friends and strangers alike

  This is Meeting Barrier.

 

 実は、わたしの訳の三行目は、原作のどの部分にも対応していない。では、なぜ、それを加えたのか? おそらく、五七五七七という三十一音、五句から成る短歌の形式を、できる限り忠実に守ろうとしたからであろう。千年以上にわたって、日本人がほとんど変えることなく伝えてきたこの形式を守ることが、きわめて重要に思えたのである。

                              (p.5-10)

 

 

 

このキーンさんの序文を読むと、「蝉丸」の歌をメインにしているので、トップバッターとして相応しいかな(キーンさんの訳が最も分かり易いわ)。グラサン

 

 

 

 

   <翻訳にみる「小倉百人一首」>・・・3

百人一首カルタを使った遊びに「坊主めくり」というのがある。チョキ

 

絵札をすべて裏向けにして、順に一枚ずつ取っていき、オッサン(天皇や貴族など男性)が出れば手札にし、坊さん(僧侶)が出たら手札はすべて捨て場に出さなければならない。お姫様(女性)が出れば捨て場の札はすべて手札にすることができる。百枚すべてを取り終えた時に、一番多くの手札を持っている人が勝ちとなる。

 

これはなかなか優雅な遊びで、正月だけでなく、いつでも愉しむことができる。かく言う私も、中高生の時分にも何人かの友人たちと愉しんだものだった(^^)ウシシ

 

 

この絵札の中で、最も忌み嫌われたのが「蝉丸」だった。もちろん坊さんなので引いたら手札をすべて捨て場に出すことになる。しかも、坊さんの中でもその貧素な姿は謂わば「ババ掴み」の典型だった。

 

 

という前置きはさて措くとして、百人のトップバッターとして、この「蝉丸」を紹介してみよう!流れ星

 

 

 10 蝉丸

 

   これやこの 行くも帰るも 別れては

          知るも知らぬも 逢坂の関

 

 

  So this is the place!

  The crowds,

  coming

  going

  meeting

  parting ;

  friends

  strangers,

  known

  unknown -----

  The Osaka Barrier.

              (マクミラン旧訳:p.10-11)

 

  

  So this is the place!

  Crowds,

  coming

  going

  meeting

  parting,

  those known,

  unknown -----

  the Gate of Meeting Hill.

              (マクミラン新訳:p.17)

 

 

 

そもそも、五・七・五・七・七の歌を5行に訳すのが普通なのに、マクミランは敢えて11行にしたのが先ず画期的だった。びっくり

 

   

 

 

   <翻訳にみる「小倉百人一首」>・・・2

ひょいと時代を遡って、「百人一首」の世界へと飛翔してみようか!チョキ

 

かつては、お正月なんぞに「百人一首」カルタ遊びをしていたのが懐かしい(^^)ウインク

これで、和歌の世界に遊んだ気がしている。

 

 

まず、参照したのは、次の2冊だ。

 

 

 

 

 

 

 

上の新書版と下の文庫本は、いずれも同じ訳者によるものだ。

 

ところが、刊行年が違うのは、上が旧訳で、下が新訳なのだわ!

同じ訳者で、新旧翻訳較べというのもカルタ遊びのようで何だか面白そうだ。びっくり

 

 

  デニムピーター・J・マクミラン(Peter MacMillan) 1959年アイルランド生まれ。翻訳家、日本文学研究者、詩人。

 

 

 

なお、藤原定家が「小倉百人一首」を編んだのは、小倉山の時雨亭であった。嵐山に近いから散策した覚えがある。

 

 

 

 

 

 

次回からは、いろんな歌のいろんな訳を較べてみたい!グラサン

 

 

 

 

   <翻訳にみる「小倉百人一首」>・・・1