では、冒頭部分を見ることにしよう!![]()
先ずは、木下順二による「三酔人経綸問答」(朗読のための試訳 [ 部分 ])から。
一、南海先生とは誰ぞ
南海先生は生れつき酒が大好き、また政治を論ずることがはなはだ大好き。しかして先生酒を飲むや、わずか一、二本をあけると酔うこと醺然、意気はふわりふわりとあがって宇宙の中に浮ぶがごとく遊ぶがごとく、眼に映るもの耳に入るものなんでもうれしく楽しくて、絶えてこの世に憂いや苦労などあろうとも思わない。
さらに飲むこと二、三本となると精神たちまちたかぶって、思想もくもく湧き起こり、その身は小部屋の中にあるくせに、その眼は全世界を見わたし、あっという間にさかのぼること一千年、先を見通すこと一千年、世界の行くべき船路を指示し、社会の取るべき方針を伝授する気になって思うには、我輩こそは人類社会生活の指南車なり。世上の政治的近眼どもが、やみくもに羅針盤をにぎり船をあやつって暗礁にぶっつけ浅瀬に乗りあげ、自分も災難ひとも災難、実にこれ哀れむべきのいたりであると。 (p.230-1)
次に、岩波文庫版から。
南海先生は生まれつき酒が大好き、また政治を論ずることが大好きである。酒をのむとなると、わずか一、二本のときは気持ちよく酔っぱらい、気分もふうわりと、宇宙を飛びまわるようで、見るもの聞くもの楽しくて、この世に憂いなどというものがあろうとは、つゆ思われない。
さらに二、三本のむと、精神がにわかにたかぶり、思想がしきりにわきおこり、身は小部屋のなかにおりながら、眼は全世界を見通し、一瞬間に千年前にさかのぼり、千年後にまたがり、世界の進路を示し、社会の方針を教え、思うには、「自分こそ人類の社会生活の指南車である。世間の政治的近眼者どもが、やみくもに羅針盤をにぎって船を操縦し、暗礁につきあたったり、浅瀬にのりあげたり、わが身にも他人にも禍いをまねくのは、何ともお気の毒の至りである。」 (p.11)
続いては、光文社古典新訳文庫版から。
南海先生は生まれついての大酒飲み。そのうえ政治論議が大好きときている。酒の一、二本も飲めば、もう心うきうき、はるか宇宙を遊泳している気分である。見るもの聞くことただユカイ、世にいう鬱など、どこ吹く風。
さらに二本、三本となれば、気も心も高揚し、奇想こんこんとわき出るかのようだ。四畳半にいながら世界をざっと見わたして、あっというまに千年前に行ったかと思えば、千年後にも飛んでゆく。この地球号の進路を定めて、社会の方計を講義におよぶ。とうとう思いこうじて、「このわたしが人間こう生きればよろしいと、人類諸君を教え導く世の指針である。世間にはびこる政治音痴の近眼どもが、やたらに舵をとって航路を誤らせ、暗礁にぶちあたり浅瀬にのりあげ、自分ばかりが多くの人たちまで災難に巻き込むとは、これ以上の悲惨はあるまい」などと言いはじめた。 (p.11)
こうして、現代語訳を並べてみても、明治期の古典だからそんなに大差はない。
しいて言えば、「どこ吹く風」など訳語の工夫も感じられる三つ目の訳が読み易くて分かりいいかな(^^)![]()