外山滋比古「消えるコトバ・消えないコトバ」を読む・・・! | マンボウのブログ

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フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

こんな本をたまたま書架で見つけて図書館から借りてきた!チョキ

 

 

 

 

  本外山滋比古「消えるコトバ・消えないコトバ」(PHP研究所 2016)

 

 

この著者の名前は以前から知っていたし、いくつか読んだこともあるけど。うーん

 

 

帯には、こう記されている。右差し

 

 「おとぎ話」や「古典作品」は、なぜ時代を超えて読まれ続けるのか?

 アウトサイダー思考とインサイダー思考を比較しながら、現代人を「理知の世界」という新たなステージにいざなう会心の書下し。

 

 

新書版で文字のフォントも大きいので、あっという間に読んでしまった。口笛

 

 

<著者> デニム外山滋比古(1923-2020)英文学者。

 

<目次>

 

 第1章 知らぬは亭主ばかりなり

 第2章 おとぎ話の世界

 第3章 変な味噌汁

 第4章 日本は島国

 第5章 古典誕生

 エピローグ

 

 

どのページを読んでも「そうだ、その通り!」と頷きながら読んでしまったわ。びっくり

 

 

気になる部分を引用してみよう。

 

 

 それにしても、敵のことばを学ぶことがそんなに悪いことであろうか。むしろ、きわめて有用なことではないか、と考えた。

 「敵ヲ知リ己ヲ知レバ百戦危ウカラズ」(孫子)ということばがある。当たり前である。しかし、敵を知ることの意味がよくわかっているとは言えない。己を知るということもわかっていない。敵を知り己を知ることができれば、そもそもまける戦を始めたりしないだろう。

 敵を知らず、それ以上に己を知らないところで不毛な闘争が生じる。

 さらに、己を知る、などということがかんたんに出来ると考えるのは幼稚である。

 己を知ることはできなくても、敵を知ることはできる。その方が容易である。そしてその知見は、自己についての認識より、おおむねすぐれている。

 敵国研究は、正確で信頼できる。すくなくとも自国研究より正当であることが多い。仲間ボメなどが当てにできないのははっきりしているが、関係者の証言が重きをなすのは、つまり、浮世のならわしである。 (p.150-1)

 

 

戦前・戦中の日本を喝破した名言だろうて。。。グー

 

 

 日本人の心情の中枢に”恥”の感情があるという知見は、日本人自らが見つけることはできなかった。それを局外者が指摘できたところがおもしろい。

 伝統はインサイダーによってつくられるが、発見はアウトサイダーのはたらきであるということを、自己中心の人間が理解するのは容易ではない。日本文化の泣きどころか。 (p.179-180)

 

 

これは、ルース・ベネディクト「菊と刀」のことだ。コーヒー

 

 

さらに、第一人称、第二人称、第三人称は当たり前だけど、第四人称や第五人称まで出てくるのは眼から鱗!ウインク

 

 

また、国文学者と外国文学研究者との超えられない溝の大きさも喝破されていて、どちらかと言えば後者に近い小生としては、なるほどな!と思わず膝を打ったわ。ウシシ

 

 

これ以上、引用するのは差し控えるけど、簡単に読めるので一読をオススメしたい!グラサン