では、戦後生まれ世代の二つの訳も・・・![]()
小川高義訳「黒猫 / モルグ街の殺人」(光文社古典新訳文庫 2006)
モルグ街の殺人
海の精がいかなる歌を歌ったか、
女に紛れ込んだアキレスがいかなる名を名乗ったか、
難問であるには違いないが、まったく知力を越えることでもない。
---- サー・トーマス・ブラウン
分析を好む人間とは、どんな人間なのだろう。これ自体、なかなか分析しづらいことである。発揮された結果としてしか目に見えない。この才能が抜群であるとしたら、分析の作業は楽しくて仕方ないだろう。たとえば怪力の持ち主が、おのれの身体能力に歓喜して筋肉の技を楽しむように、分析家は「解きほぐす」精神の営みを誉れとする。この才能を稼働させられるのであれば、つまらない用事であっても、喜んで引き受けることができる。謎や奇問や絵文字を好む。どの一つを解いたにせよ、その洞察力は常人には超自然の働きとしか思えない。じつは整然とした方法を究めた結果であるのだが、まるで直観でしてのけたような雰囲気を漂わす。
(p.139)
河合祥一郎訳「モルグ街の殺人 ポー傑作選2 怪奇ミステリー編」(角川文庫 2022)
モルグ街の殺人
海の怪物セイレーンがどんな歌を歌ったのか、あるいはギリシャの英雄アキ
レウスが女どものなかに身を隠したときにどんな偽名を使ったのかは、なかな
かの難問ではあるが、まったく推測できないわけではない。
サー・トマス・ブラウン
分析能力に富んでいて物事を見抜く人の頭の中がどうなっているのかは、分析できるものではない。そういう人に見抜かれたら、ただもう感心するしかない。我々にわかるのは、抜群の分析能力に恵まれている人にとって、それは大いなる喜びの源泉となっているということだ。屈強な男が喜んで自らの筋肉を動かす運動をしてその肉体能力に誇りを感じるように、分析者は頭を働かせて解明することに喜悦する。自分の才能を発揮させてくれるなら、どんな些細な仕事でも楽しいと思えるものだ。分析者は、謎、判じもの、絵文字を好み、凡人には超人的と思える慧眼鋭い解答を出す。解答は方法論の本質そのものに則って出されているのだが、これが実のところ、直観でわかったかのような雰囲気を呈するのである。
(p.9)
冒頭に置かれた、ブラウンの文章がこの作品を解くカギとなっているのだろうか(と、推測するけど)。![]()
<エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・46