それでは、今度は、<抒情詩>のジャンルから、この詩を見てみることにしよう!![]()
先ずは、蒲原有明の訳から見てみよう!![]()
そのかみ
そのかみここにはありけむ、
いつぞ、いかにと語りあへねど、
さながらなりや外の面微草(もをぐさ)
鋭(と)き美しかをり、
嘆く浪の音、磯めぐる燈火のかげ。
そのかみ君をも知りむけ、
いつの世ぞとはえもわかねども、
燕さすかた頚(うなぢ)を君
さはかへすとき、
面〇(かはぎぬ)おちぬ、-----そは昔われこそ見つれ。
そのかみかくこそありけめ、
うづまく「時」のすがひゆく間や、
二人が戀はまた身に添ひ、
朽ちまじとさては
夜も日もおなじ歓楽(よろこび)にかへれるやいざ。
(蒲原訳:p.52)
それでは、原文は、どうなっているのか。![]()
Sudden Light
I HAVE been here before,
But when or how I cannot tell;
I know the grass beyond the door,
The sweet keen smell,
The sighing sound, the lights around the shore.
You have been mine before, -----
How long ago i may not know ;
But just when at that swallow's soar
Your neck turned so,
Some veil did fall, ----I knew it all of yore.
Has this been thus before?
And shall not thus time7s eddying flight
Still with our lives our love restore
In death's despite,
And day and night yield one delight once more?
(p.131)
今度は、児玉実用訳(
「続・ロセッティ詩抄」ラビーン社 1981:p.32-3)から。
閃 光 1854年
いつの昔か わたしはここに きたことがあるように思う
だがそれが いつ どのようであったかは定かでない
戸口の向うにひろがる草原 それをわたしは覚えている
その甘く溜息のような波の音を そして灯火を
いつの昔か そなたはわたしのものであったように思う----
それが いつ どのように遠い昔であったか 思い出せない
だが 空高く飛ぶ燕を見上げて
ふり向くそなたのうなじを見た途端
心のヴェールが はたとおちた----遠い昔のことごとくが思い出さ
れた
前世(そのかみ)も二人はこのように結ばれていたのか
「時」の渦巻きに押し流され たとえ死の蔑みを受けるとしても
二人は不断に生を享けて 互いの愛を
昔ながらに 蘇らすことがないままでいることがあろうか
日に夜に 唯一不変の歓びに 再び恵まれないでいるということが
あるであろうか
(児玉訳:p.32-3)
こうして読み較べてみると、原文の英語にしても、二つの訳にしても、それほど難解な単語は使われていない気もする。![]()
なので、意味を理解するには苦心しなくても良さそうだ!![]()

<D.G.ロセッティの詩作を読む!>・・9