「『源氏物語』英訳についての研究」・・・! | マンボウのブログ

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こんな書物を図書館から借りてきた。チョキ

 

 

   『源氏物語』英訳についての研究[緑川真知子]

 

   本緑川真知子「『源氏物語』 英訳についての研究」(武蔵野書院 2010)

 

 

 

<目次>

緒言 
凡例 

第一部 『源氏物語』翻訳研究の位置付けと方法
 序

 第一章 文学研究における受容の研究と「受容理論」の概観
 第二章 翻訳研究の方法
 第三章 現代日本語訳と英訳
 結

第二部 ウェイリー訳『源氏物語』の諸相
 序 ─ウェイリー翻訳研究の意義─

 第一章 ウェイリーの翻訳観と当時の評価
 第二章 ウェイリー書き入れ本『源氏物語』について

 第三章 ウェイリー訳『源氏物語』における省略について
 第四章 『源氏物語』以外のウェイリー訳における省略についての考察
 第五章 「若菜」の巻におけるウェイリーの操作について
 結

第三部 『源氏物語』翻訳の諸相
 序
 第一章 巻名と呼称の英訳
 第二章 和歌の英訳の変遷と『源氏物語』の和歌英訳について

 第三章 『源氏物語』における散文部分の翻訳の諸相
 結
 結語

初出一覧
あとがき
主要語彙・人名・書名索引
主要参考文献一覧

『源氏物語』54帖巻名英訳一覧表
ウェイリー訳「若菜」上下の省略部分一覧
ウェイリー全書き入れ一覧表
付節 英文論文 Coming to Terms with the Alien:Translations of Genji Monogatari

 

 

   緑川真知子 さん

 

      緑川真知子(1953- )

 

 

 

   メモ・・・文学の翻訳についての研究は「誤訳」を探し出す研究ではない。間違い探しに集中するあまり、多くの重要な事柄が見過ごされてしまう。「つごもり」という語や「花」という語について見てきたように正しい意味というものの決定はそれほど簡単なことではないし、更にその意味を異なる言語に置き換えたり、或いは同じ言語でも古典語から現代語に置き換えたりする行為において、より正しい翻訳であるとか、AよりBがより良く翻訳されているとか、という判断の基準点はきわめて不確かなところにしかない。翻訳の研究を通して獲得ことのできる実りある結果のひとつは、自国の文学を相対化することが出来、韻文と散文という問題や日本語の話法、そして統辞法の姿や登場人物の在り方などの問題がより明確かつ確実に、そして地に足着く形で見えてくる時にこそ得られるのではないかと思っている。

 言葉の意味を理解することは、その言葉について他の語句で説明することができる(言語内翻訳)ということであり、ここに翻訳の原点がある。・・・(p.63-4)

 

 

この文章を読んでも分かるように、とっても難しい論述が全編を覆っているので、読み進めることが遅々として進まないわ。。。えーん

 

 

ダラム大学図書館のウェイリー蔵書をくまなく調査して、ウェイリーが多くの注釈本などや辞書などを参照して、翻訳した道筋を辿る研究は、圧巻としか言いようがない。さまざまなウェイリーによる書き入れを調査しながら、最終的な翻訳文へと行きつく様は、推理小説を思わせる謎解きのようなドキドキ感さえ漂う!びっくり

 

 

「源氏物語」本文の古典語、それからの現代語や注釈から、英文への翻訳という長い一本道?を見ているかのようだ。

 

これを読むと、いかに翻訳という作業が大変で難しいものかということがいやと言う程わかる。うーん

 

 

ウェイリーの翻訳は、著者も指摘しているとおり、移動・挿入・巻の分割・脱線・削除などなど多くの諸相がみえるが、それは計画的な翻訳作業なのであり、編集能力を発揮したのであった。

まさに、トランスクリエーションである!チョキ

 

 

また、原文では省略される主語や目的語などを英訳では補わなければならないし、地位や位階などを表す言葉も出世に応じて変化する。頭中将という言葉はいつまでも同じではないのだ。原文の日本語の特性と英訳についての煩瑣な研究(三人称の使用など)は省略するとして、さまざまな問題を喚起するというこの書物のもつ意義は大きいわ(^^)グラサン

 

 

   メモ・・・呼称の英訳はタイラー訳において、より原典に近い形でなされており、これは英訳においてひとつの規範を作り出したといってよいかもしれない。『源氏物語』を読むときに、洋の東西を問わず、読者にとってなにがしかの障壁となるのが、登場人物の呼称である。言うまでもなく登場人物の呼び名が物語の始めから終わりまで一貫していないからであるし、多くの登場人物が実在の人物であったなら持っていたに違いない実名で呼ばれることもないからである。だから、ともかくも、読者にとって大切なのは、登場人物の識別であり、翻訳においても、そのことが呼称を翻訳する際の第一の命題となっていることは疑いのない所である。そしてこの識別を重視したのがウェイリー訳であり、サイデンステッカー訳である。・・・(p.319)

 

 

最後に、一箇所だけ翻訳の諸相の実例比較を引用しておこう!右差し

 

   引用原文冒頭部の「まことや」(語り手の言葉)。

 サイデンステッカー訳 I had forgotten (忘れてました)

  一人称の "I" を使って、語り手が物語の表面に顔を出している。英訳において、このように語り手の一人称を使う場合がある。読者に語り手の存在を知らせる最も有効で、シンプルな方法である。

 タイラー訳は Oh yes (ああ、そうだ) ---- 会話的な言葉 ----。

  ちなみにタイラー訳の場合、原文で「まことや」とある場合は、ほとんどすべてこの Oh yes という言葉で訳されている。・・・(p.400-1)

 

 

この部分は、比較として分かり易いかなと思うのだけど。。。ニヤリ

 

 

 

 

 

 

 

   <「源氏物語」を愉しむ!>・・・補遺6