2.ゲーテ「ファウスト」の日本語訳・・・<献げる言葉>! | マンボウのブログ

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フラヌールの視界から、さまざまな事象に遊ぶ

森鷗外の翻訳は、R大図書館から借りてきたこの本。右差し

 

 

ゲエテ『ファウスト』全2冊/森鴎外訳/昭和41-44年/白玉書房/ゲーテの1番目の画像

 

本森鴎外訳:ゲーテ「ファウスト 第一部」(白玉書房 1981)

 

 

第一部の巻末に置かれた野溝七生子による解説を読んでも、鴎外がどの原本を使用したのかは書かれていない。

 

 

柴田翔訳及び原文は、前回に紹介した本から。

そうして、新しい翻訳として、この本をチョイス(これは所蔵している)。

 

 

   新訳決定版 ファウスト 第一部 | ゲーテ, 山本 容子, 池内 紀 |本 | 通販 | Amazon さん

 

本池内紀訳:ゲーテ「ファウスト 第一部」(集英社 1999)

 

 

さて、キラキラ「三つのプロローグ」の最初に置かれたむらさき音符「献げる言葉」は、こう始まる。

 

 

  Ihr naht euch wieder, schwankende Gestalten,

    Die fruh sich einst dem truben Blick gezeigt.

    Versuch' ich wohl, euch diessmal festzuhalten?

    Fuhl' ich mein Herz noch jenem Wahn geneigt?

    Ihr drngt euch zu! nun gut. so mogt ihr wlten,

    Wie ihr aus Dunst und Nebel um mich steigt;

    Mein Busen fuhlt sich jugendlich erschuttert

    Vom Zauberhauch, der euren Zug umwittert. (p.18)

 

 

この部分の訳を順に書き上げてみよう。チョキ

 

 

  昔我が濁れる目にはやく浮かびしことある

  よろめける姿どもよ。再び我前に近づき来たるよ。

  いでや、こたびこそは汝達を捉へんことを試みんか。

  我心猶そのかみの夢を懐かしとすと覺ゆや。

  汝達我に薄る。さらば好し。靄と霧との中より

  我身のめぐりに浮び出でて、さながらに立ち振舞へかし。

  汝達の列のめぐりに漂へる、奇しき息に、

  我胸は若やかに揺らるヽ心地す。 (鷗外訳:p.5)  

 

 

  また近づいてくるのか おぼろに揺れる影たちよ

  かつて いまだ見るすべを知らなかった眼差しの前に現われたお前たちよ。

  今度こそお前たちをとらえようと 私はするのだろうか?

  私の胸はかつての幻想になお心ひかれるのだろうか?

  お前たちは近づき迫ってくる! さらばよし お前たちに身をまかせよう

  靄と霧から立ち現われる影たちよ

  お前たちを包む魅惑の大気にうち震えて

  私の心はにわかに若やぐのだ。 (柴田訳: p.19)

 

 

   さまざまな姿が揺れながらもどってくる。かつて若いころ、おぼつかない眼

  に映った者たちだ。このたびは、しっかりと捕えてみたい。いまもなぜか、あ

  のころの夢に惹かれてならない。さまざまな姿がひしめき合ってやってくる!

  霧と靄をついて迫ってくる。その不思議な息吹きにあおられて、この胸もすっ

  かり若やいだ。 (池内訳: p.7)

 

 

この三つの翻訳を較べてみて、どんな感想を抱くだろうか?うーん

 

もちろん鴎外訳は文語調だ(鴎外は当初、漢詩体で訳すつもりだったが、当時の現代語を使用している)。これは時代を反映していると思える。なお、翻訳は、文部省文藝委員会の委嘱を受けて行われたものである。

 

問題は、新しい訳なのだけど、学者らしいのが柴田訳で、作家らしいのが池内訳と簡単に言ってしまえばそんな対照がまず感じられるなあ(^^)虫めがね

 

かいつまんで読みやすくしたのが池内訳で、現代人にとっては全文を読むとしたら、これが一番読みやすいだろう!OK

 

 

たとえば、「Dunst und Nebel (靄と霧)」のような単語は、誰が訳しても同じだけど、「Zauberhauch」は、訳者によって随分と異なる。

 

  「奇しき息」(鴎外訳)、「魅惑の大気」(柴田訳)、「不思議な息吹き」(池内訳)

 

この違いが、森鷗外、柴田翔、池内紀というそれぞれの人物の資質に由るのだろう!グッ

翻訳の読み較べが興味深いところは、こういう部分にもあると言えそうだ。ニヤリ

 

 

気になったので、他の訳も調べてみた。主な訳者(いずれもドイツ文学者)の該当の2行を引用。なお、「  」内は、「Zauberhauch」の訳だ。右差し

 

 

  〇高橋健二(「ゲーテ作品集 2」:創元社 1951)

     おん身らの群れをめぐり漂いわきたつ「不思議な息吹」に

     私の胸は揺すぶられ、若やぐのを覚える。

 

  〇相良守峯(岩波文庫 1958)

     おん身らが群をつつみ漂う「魅惑のいぶき」に、

     わが胸若やぎてうち震う心地こそすれ。

 

  〇大山定一(「ゲーテ全集 2」:人文書院 1960)

     おまえたちの群をつつむ「魔法のいぶき」が、

     わかわかしくわたしの胸をゆすぶるかのようだ。

 

  〇高橋義孝(「世界文学全集 1」:新潮社 1962)

     君らの周囲に立ち籠める「妖しい息吹き」に、

     わたしの胸は若々しく揺すられるようだ。

 

  〇手塚富雄(中公文庫 1974)

     わたしの胸はわかわかしくときめく、

     おまえたちの群れをつつむ「魅惑のいぶき」に揺すぶられて。

 

 

この5人の訳を較べてみると、最も新しい手塚訳だけが、一行目と二行目が入れ替わり倒置されているのが目立つかな(これが原文通りである)。。。口笛

 

「Zauber」の訳語は、辞書通りの「魔法」から「妖しい」まで4通りで興味深い!グラサン

 

 

強いて言えば、鴎外訳が曾祖父で、相良訳が祖父、手塚訳が父、池内訳がボク・わたし・・・かな。時代を反映した翻訳は、どの版で読んだかによって、その人その人の生きた証が窺えるだろう(^^)ウシシ

     

 

戦後の1950年頃から20年ほどの間に多くの「ファウスト」翻訳が現れたのは、まだドイツ語が外国語としてのメジャーな地位を保っていたからだろう。今となっては見る影もなく、学生時代にドイツ語を学ぶ人口は激減している。ガーン

 

 

 

 

   <ゲーテ「ファウスト」の日本語訳をめぐって!>・・・2