それでは、最後のパラグラフをポーはどう描いたかを見ておこうか!![]()
Of my own thoughts it is folly to speak. Swooning, I staggeredto the opposite wall. For one instant the party on the stairs remained motionless, through at the wall. It fell bodily. The corpse, already greatly decayed and clotted with gore, stood erect before the eyes of the spectators. Upon its head, with red extended mouth and solitary eye of fire, sat the hideous beast whose craft had consigned me to the hangman. I had walled the monster up within the tomb.
(p.230)
この中で、「corpse」という語を多くの訳者たちは、死体、死骸と訳している。
ただ、一人だけ巽孝之訳では、「妻の屍」と書いているのだ!![]()
字義通りなら、死体や死骸でも間違いではないけど、最愛の妻を殺めたのだから、やはり「妻」という訳語が欲しいような気がする。単なる一つの死体なら「a corpse」でも良さそうなのに、「The corpse」と敢て定冠詞で修飾しているのだから、その意を汲んで訳した方がベターかな。![]()
もう一箇所、「solitary eye」は、やはり隻眼という訳語が相応しいだろう。ここでは黒猫の片目を潰した罪も贖われなければならないし、火のように輝いているという表現からは、死んだネコではなく、まだ生霊として眼前に現れている姿が恐ろしさを倍増させるのだ。![]()
「monster」という語も、単なる怪物ではなく、もっと空恐ろしい化け物めいた存在であればホラーの雰囲気が漂うかな!![]()
語り手の寵愛する黒猫も、最愛の妻をも手にかけた罪状は重く、処刑されるのは致し方ない。
しかし、あくまで人間界での罪状は殺人(妻を殺した)に特化される。そこでは、ネコを殺した罪は問われない。
なので、ランランと隻眼で恨めしさを訴え掛ける黒猫が恐怖なのだ!![]()
竹内康浩は、その著
「謎ときエドガー・アラン・ポー」(新潮社 2025)で、このように「黒猫」を評している。
おそらく「黒猫」は、次々に反転していく鏡像関係の連鎖の中に読者を引きずり込む、合わせ鏡のような物語なのでしょう。物語の謎を解明しようとする企図は、ことごとく打ち砕かれる。なぜ焼け残った壁にプルートの似姿が浮かび上がったのか、なぜ二匹目の猫は片目のプルートに生き写しだったのか、そのようなコピー/鏡像の連続出現の謎は解きようがありません。むしろ、あり得ない出来事を書き写すことで、ポーはこの作品自体が謎だけでできている(つまり答えがない)底なしの作品だという「注意書き」を与えてくれていたのかもしれません。それを無視して、あるいは逆に誘惑されて、読者が謎の世界に足を踏み入れてグルグルしてしまう経験は、はたして快楽でしょうか、それとも身の破滅でしょうか。いずれにしてもそれは、ポーが「メエルシュトレムにのまれて」(1841)で描いたような、大渦巻きに飲み込まれる経験に近いはずです。
(p.215)
ネタバレならぬ、解釈バレかな。。。![]()
<エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・15

