こんな分厚い本を図書館から借りてきた。![]()
宮永孝「ポーと日本 その受容の歴史」(彩流社 2000)
<目次>
はじめに
序 日本におけるポー研究史
第一部 ポーと日本の出会い
第二部 ポー作品の翻訳史
第三部 ポー批評および研究史
第四部 文学者に及ぼしたポーの影響
第五部 世界文学におけるポー
第六部 ポー紀行
第七部 エドガー・アラン・ポー書誌
あとがき
二段組700ページを超える大著である。![]()
著者:
宮永孝(1943- ) 日本の歴史学者。元法政大学教授(文学博士)。
明治20年頃に訳された最も古い、饗庭篁村による「黒猫」の翻訳(抄訳とも翻案ともとれる)は、こんなふうに始まっている。
私しは明日死ぬ身今宵一夜の命なれば望も願も別にない只心に思ふ偽も飾りもない眞實を今ま書残すなれども決して此事を世間の人に信じて貰はうといふ了簡でいない又此事を信じて呉れと望むのは狂気の沙汰だ何故となれば此事は我身ながら信じられぬほどの事ゆえ併し私は夢と見て居るのでも発狂して居るのでもない(後略)
(p.97-8)
このように篁村は、和漢混淆体で訳している。原文にはすべてルビがついているが、句読点はいずれもつけられてはおらず、よく注意して読まないと、文章はいったいどこで切れるのか、わからないときもある。訳文そのものはこんにちの日本文と比べてみるとけっして読みやすくはないが、比較的わかりやすい。
(p.98)
この著者による文章を読むと、篁村訳の性格が分かり易いかな。![]()
なお、すでに紹介した平塚らいてうは11篇のポー作品翻訳を雑誌「青鞜」で紹介している。明治44年から45年にかけて、ほぼ毎号のように紙面を飾っているのだ。
明治も末期になると、雑誌『青鞜』にやつぎばやにポーの翻訳が掲載され、それはほぼ二ヵ年にもおよんだ。わが国のポーの翻訳史上、これほど熱心に雑誌につづけて訳載されたことは、前後に類のないことである。
まるでフランスにおいてボードレールが、ポーの短篇を逐次連載した現象と似ているといえよう。その訳者は外ならぬ平塚らいてうであった。
(p.164)
なお、森鴎外も「うづしほ」の翻訳もしているけど・・・![]()
鴎外の訳業は、なにもポーの作品の翻訳にかぎらず、共通した問題点を包含している。ことにポーの訳そのものを見てみると、その訳業の特徴はつぎのような点に要約されるとおもう。
鴎外はポーを訳すとき、底本にはドイツ語のみを利用した。ポーの原文(英語)は、とくに利用した形跡が認められない。鴎外の訳法は、まずテキストをパラグラフずつ読んで、原意を把握し、いったんそれをすっかり自分のものにしてから筆をとったということである。また訳文と原意(ドイツ語訳)をつき比べながら読むとき、即座に気づくことは、訳文は決して字句に拘泥した逐次訳ではないという事実である。鴎外訳は概して、自由訳である。
(p.162)
鴎外の翻訳について、その裏側が明かされた感があるなあ。![]()
第四部 文学者に及ぼしたポーの影響
第五部 世界文学におけるポー
これらの章を読むと、いかにポーの影響が広汎なものだったかに驚く。日本人作家も世界中の作家たちもポーの影響を全く受けなかった人を探す方が難しいとさえ思えるほどだ。![]()
第七部 エドガー・アラン・ポー書誌(p.595-707)
この広汎な書誌・翻訳年表は、いかに日本でのポー人気がスゴイかを改めて知らされるわ!![]()
<エドガー・アラン・ポーを読む・・・!>・・・16
