11月11日(日)雨

日本人でない人が日本と日本語について語る

日本全国、引っ張りだこのアーサー・ビナードさん。
背も高ければ鼻も高い2枚目。
講演後は絶えず女性陣に囲まれて 一寸では近づけなかったのでした。
彼の話を聞けば、なるほど 彼の人気ぶりもうなずけるというもの。
私は、それまで周りが「アーサが、アーサーが」と騒いでも、いっこうに興味が持てなかったのですが、友人の勧めで初めて聞いて、なるほどと合点がいきました。

≪岐阜県英語教育研究セミナー≫・・・・
時:2012年11月11日(日) 10:00~
場所:朝日大学5号館512号室
第1部:講演会 テーマ 「亜米利加ニモ負ケズ」
講師:アーサー・ビナード氏

第2部:ウェルカムレセプション 昼食会

第3部:高等学校英語弁論大会

講演の概要・・・すべて流ちょうな日本語でした

僕にとっての言葉は、道具であり、格闘する相手。
ところが、言葉が現実とずれて使われている事を痛感する。
特にマスコミが使う言葉を見ると問題が浮かび上がる、その問題を見ぬく為に言葉の道具を使いながら言葉の呪縛から抜けて行けるか、いつも考えてる。


僕にとっての日本語の足場となったのは、昔話、中でも「ジャックと豆の木」。
英語では「Jack the Beanstalk」と言う。
直訳すれば ジャックと豆茎になるのか、子供時代に何回と聞いた昔話だ。
どうして 日本語は「豆の木なんだろう」というのが素朴な疑問だった。
また、この疑問が 日本語の問題の本質があぶりだされた最初のきっかけとなった。

英語と言うメガネをかけてみた時と、日本語と言うメガネをかけてみた時とでは、見え方が違う事を経験した。
まっすぐにどこまでも伸びる豆とは何だろう? 
そもそも豆の木はあるのか?
だとしたら、この豆は何豆なんだろう?
中国人は「これはグリンピース」だと言う。
僕は、この豆は「大豆」だと思う、なぜなら枝があるから、だって「枝豆」ってみんな言うでしょう?
絵本作家は この豆を絵にかくとき、悩むと思う。

(私は、いかにも合理的に考えるアメリカ人らしいなと聞いていた、マメ科の植物の中には、「ツル」でどこまでも上って行く習性があるから、子供時代に 強い豆はこうやって どこまでも天までも伸びていく力があるんだと信じて読んでた。そう思わせるような絵とお話だった気がする) 


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しかし、「納豆」だけは伝えきれない。
食べた事のない人に「納豆」のイメージを伝える作業はとても難しい。
納豆のネバネバした糸は、世界のみんなを結ぶ糸、食料のない人も納豆が世界中に広がって、「Nat Work」になる。そう思っているが、なにしろ「納豆」の説明を超えるイメージが届けられないが、自分は「Nat Work」によってもっと人々のつながりを広めたい。

<宮沢賢治との出会いが大きかった>
日本でカタカナの多い詩に出会った。
あの宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ・・」の詩だ。
これを読んでいて、僕は どこかで これに似た言葉があったのを思いだした。
そうだ、
NYの中央郵便局に郵便配達員の使命のような碑文があった。

Neither snow,

Nor rain, nor heat, nor gloom of njght,

Stays these couries from the swift completion
of their appointed rounds

(雪雨も灼熱も暗黒の夜も、郵便配達人をその職務の貫徹から妨害するものはない)

どこかに類似性はあるのだろうか? 
賢治はこの碑文を知っていたのだろうか?
それとも、NYの郵便局が、賢治の詩を真似たのだろうか?
そんな疑問から調べていくと、ヘロドトスの「History」という書物の中に、メッセンジャーの使命として これに良く似た言葉があると言うことがわかった。
賢治は ヘロドトスの書物を読んでいたかもしれない。(それは可能性として大きいのではないか)

しかし、郵便配達人やメッセンジャーとしての使命感のようなものだけではない、もっと違う、もっと大きな世界が
賢治にはあるのではないかと僕は思っている。
この「雨ニモ負ケズ・・・・」の詩からも、賢治の世界は大変深くて興味の尽きないすごい人だと思う。

TPPは、
タダならぬ、ペテン・パートナーシップと急に、日米関係の刺激的な解説。

そして、「雨ニモ負ケズ・・・・」が好きかと日本人の若い子に聞くと「嫌いだ」と言う。

日本では この詩は道徳教育の道具とされてきたことが多い。
(忍耐、我慢、勤勉、奉仕・・・)
知っているつもりの言葉が、未発見の可能性を秘めていることがある。
レンズの組み合わせを持っていて、楽しく疑っていくか、言われたままの通り、常識の範囲内のつまらない国語や英語になっていくのか。

その意味で、
日本に来て一番大きい意味を持った言葉は、「ピカドン」という言葉だった。

これまで僕は、アメリカで「Atomic Bomb」略して「Atom」、「ABomb」と普通に使われている言葉をそのまま使っていたし、そう理解していた。

それは、原子爆弾を作った人、エノラゲイから広島や長崎に原爆を落とした人達、原爆を肯定した人側の言葉である。アメリカでは今でも「原爆投下は当然だった」という声が多い。

広島のまちで僕が出会った被爆女性から聞いた
「ピカドン」と言う言葉によって、これまで立ったことのない場所に立たされた。これこそが生活者としての言葉であった。
この視点から見ない限りは、何もわからない。
ピカドンという日本語を通して、ゼロから創られた命をかけての100年最大の造語を通してみると、本当に僕は、原爆投下の本質に触れないで育ったことがわかる。
自分の勘違いに気付かされるのも、発見するのも言葉である。



記念写真を撮りました

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ビナードさんは、日本語で日米間の問題についても各地で連日、講演されています。
メガネをかけ替える必要は、特に島国日本で価値観の共有によって単一的な視点が当たり前になっている私達の弱いところをぐさりと指摘してますね。
言葉を通して発見し合える、理解しあえる楽しさを外国の方から得られたことが新鮮でした。

アーサー・ビナードさんのHP  「はらごなし」