興津〜草薙【79】!! | 毎日、興味津々!

興津〜草薙【79】!!

おはようございま〜す!!




新しい週がはじまりましたね〜


しばらくは街道歩きブログが続きます。


今週も頑張っていきましょう!!






それでは、、




街道歩きスタートです!!




カレー屋さんで食べ過ぎました〜


ちょっとお腹が重い(笑)


帰るときにトラックが駐車場に入ってきて、


何かと思ったら、、


これからお店の看板を建てるみたい。。


お店のご主人にいつからお店をやってるんですか? と尋ねたら、、


16年やってます!!


なのに! これから看板ですか〜〜  (笑)


お話好きなご主人でした。。。








お腹が重たいですが、、


後ろを振り返ると綺麗な富士山が!!


背中を押されているようですね。。 ありがたや。。


歩っていると時々松の木を見かけます。。







昔の東海道の名残のようですが、、


こんな風に残っているのもいいですね〜


知らないと邪魔だからって切っちゃうかも。。


なんて不躾なことを考えていると、、


またもや松が。。







この沿道にたつ松は細井の松原といって、、


旅人に安らかな旅ができるよう、、


樽屋藤右ヱ門、奈良屋市右ヱ門を工事奉行にし任命して、


街道の両側に松の木を植えさせ、1612年に完成したと伝えられています。。







松原の全長約360mで松の本数206本もあったそうで、、


当時は旅の人たちを守っていたんでしょうね〜


でも、、


細井の松原は太平洋戦争で松根油(航空機燃料)として伐採され、、


現在は、植樹されたものらしいです。。


あらあら。。。


ここから旧街道は脇道にそれます。。







この辺りで、、


江戸から42番目の一里塚があるはずなんだけど、、


案内板が撤去されたらしく見つかりませんでした。。


あたり探してウロウロしていると、、


遠くで手招きしているおじいさんが!!


もしかして!? と近寄ってみると。。


東海道はこっちだよ〜


このおじいさんに一里塚の事を聞いてみると、、


それは知らないとのこと。。


一里塚を探してウロウロしてたのを道に迷ってると思ったらしい。。(笑)


そんなこんなで、、


江尻宿の入口の東木戸跡もわからずじまいで、、


いつのまにか江尻宿に到着してました。。







蔵と格子戸をはめた旧家があったりと、、


少しは宿場ムードは感じられますね。。


そして、たまにこんな案内板も。。







一里塚や東木戸もこんな案内板があったはずなのにな〜


風雨にさらされて傷んじゃったのかな。。


巴川の尻(下流)ということで江尻と呼ばれていたそうで、、


宿場の大さは2キロほどです。。







宿場の中心には本陣が3軒、脇本陣3軒、旅籠が50軒ほどあったそうですが、、


今やその痕跡も碑もわかりませんでした。。


写真の商店街はとても綺麗に見えるのですが、、


ほとんどがシャッターが閉まっており、


閑散とした雰囲気に包まれていました。







江尻宿の案内板には東木戸も一里塚も載ってないんですよね〜


ハナっから存在がなかったことになっていて、、


ちょっと寂しいですね〜


それでも少しの痕跡でもあればと、、


次のスポットに。。







武田信玄が築城した江尻城跡


魚町稲荷神社に向かいました。。







地元のお稲荷さんなんでしょうね〜


小さな公園が併設されていてました。。


日本初少年サッカーチーム碑があり、、


でっかいサッカーボールモニュメントもありましたよ〜


でも江尻城の案内板はないようですね。。







街道に戻って、、


旅の続きしましょうかね。。




次は河童がでてくるよ〜〜!!








(^-^)/