こんにちは、リブラです。
今回は第7章の解説です。
まずは、第7章のあらすじから。
第7章「赤い男」(あらすじ)
エリザベスが9歳のとき、まだ2歳になったばかりの弟が、
ぐっすり眠っているはずのベッドで、
いきなりガバッと起き上がり、
恐怖に満ちた目で叫びました。
「お母さん! 赤い男が、赤い男が僕を捕まえに来た!」
小さな体で必死に何かを振り払いながら泣き叫び、
そのまま気を失って倒れてしまいます。
医者の診察で弟が重い肺炎であることがわかり、
母は3週間の間、ほとんど寝ることなく弟を抱き続け
ました。
昼も夜も母は、
一瞬たりとも弟から目を離しませんでした。
生死をかけた病魔との恐ろしい戦いと、
たったひとりの息子を何としても助けようとする
母の献身を目の当たりにして、
エリザベスは圧倒されました。
母の心が「愛でできている」ことを初めて心の底から
実感しました。
固く閉ざしていたエリザベスの心は、
少しずつ開いていきました。
彼女自身もこの期間、弟が心配でたまらず、
不安に苛まれて毎日を過ごしていたのです。
そして、いつのまにか、自分がこの家族の一員で
あることを心から実感するようになっていたのでした。
そして肺炎から弟が回復したとき、
エリザベスはようやく心からこう思えるようになりました。
「ここが私の家なんだ」と。
けれども、弟が叫んだ「赤い男」のことは
忘れられませんでした。
母に尋ねると、「高熱のせいで幻覚を見ただけよ」
と答えました。
「何かが原因で弟は確かに『赤い男』を見のだ。
それなのにどうして実際に存在しないと言えるのだろう?」
「赤い男」の記憶だけは、エリザベスの中に
未解決の謎として長年残りました。
母が「幻覚よ」と言うのを、
彼女はどうしても受け入れられなかったのです。
そしてこの謎は、ずっと後になってから
インドで思いがけない形で答えを見出すことになります。
「イニシエーション」第7章の要約
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愛を与えることで、ふるさとを見つける
第7章では、エリザベスが9歳のときに体験した、
弟の重い病気と「赤い男」の出来事が描かれています。
一見すると、幼い弟が高熱による幻覚を見たという、
不思議なエピソードです。
けれども、この出来事はエリザベスのその後の人生に、
深い影響を与えることになります。
なぜならこの3週間の出来事を通して、エリザベスの中で、
「母を見る目」
「家族に対する感覚」
「愛についての理解」
「現実とは何かという認識」
が、大きく変化していくからです。
今回は、この章を4つの段階に分けて解説してみたいと思います。
① 母への認識の転換
「愛されたい私」から「愛を与える私」へ
幼いエリザベスは、
それまで弟の育児に忙しい母に対して、
どこか心を閉ざしていました。
自分が求めているものを理解してもらえない。
自分が大切だと思っているものを認めてもらえない。
そんな母への不信感が、
彼女の心に渦巻いていました。
そこへ、今度は弟が重い肺炎にかかります。
母は、たった2歳の息子を助けるために、
3週間ものあいだ、ほとんど眠らず、
昼も夜も抱き続けました。
エリザベスは、その姿を目の前で見続けます。
そこには、
「こんなにしてあげたのだから、愛してほしい」
という見返りはありません。
ただ、「この子を助けたい」という、
母の純粋な愛だけがありました。
エリザベスはそこで初めて、
母の心が「愛でできている」ことを、頭ではなく、
心の底から感じたのです。
そして、もう一つ重要なのが、
エリザベス自身の心の変化です。
弟が苦しんでいる姿を見て、彼女もまた、
弟の無事を必死に願っていました。
「この子に生きてほしい」という思いは、
母と同じです。
弟の危機を前にして、
エリザベスと母の間に、
初めて「私たち」という感覚が生まれたのです。
それまで母は、エリザベスにとって
「自分を理解してくれない人」でした。
ところが今、二人は同じものを心配し、
同じものを願い、同じ危機を見つめています。
母とエリザベスは、
弟を救おうとする同じ側に立ったのです。
これは単なる母への評価の変化ではありません。
「私はこの家族の外側にいる」という感覚が、
「私もこの家族の一員なのだ」という感覚へ
変わっていく出来事だったのだと思います。
そして、ここには
「愛されること」と
「愛を与えること」
の大きな違いも見えてきます。
それまでのエリザベスは、
愛されることを切望していました。
けれども、母が弟に無条件の愛を与える姿を見て、
自分も弟に愛を与えたいと思うように変わったのです。
そして、自分もまた「愛する側」に立ってみたことで、
愛は、誰かから与えてもらわなければ得られないもの
ではないということを、
体験したのではないでしょうか。
「愛されたい」という意識には、
「私は愛が足りない」
という欠乏感があります。
けれども、「愛されたい」という意識を手放し、
「愛する」という意識だけになった瞬間、
自分の内側から愛が流れ始めます。
すると、「私は愛を持っている」
という感覚そのものが生まれます。
愛を与えた瞬時に、愛で満たされた。
これは、とても大きな逆転です。
② 「家」に帰る
「ここが私の家なんだ」
弟が回復したとき、エリザベスの中に
大きな変化が起こります。
彼女はようやく心から、
「ここが私の家なんだ」と思えるようになります。
「私はこの家族の一員だった」という所属の実感が、
初めて心の底から生まれたのだと思います。
危機を一緒に乗り越えたことで、
「私」と「母」という対立する二人ではなく、
「私たち」というつながりの感覚が生まれたのです。
そして、その「私たち」の中に、
自分も含まれている。
心理学的に見ても、
人は共通の危機や課題を一緒に乗り越えることで、
強い連帯感を持つことがあります。
「大変だったけれど、一緒に乗り越えた」
という共有体験が、
「この人たちは自分の仲間だ」
という感覚をつくるのです。
エリザベスにとって、弟の病気は
まさにその体験だったのでしょう。
そして、ここでさらに深い意味が見えてきます。
エリザベスは物心つきはじめた頃から、
ずっと「真のふるさと」を探し求めていました。
それは、単なる生まれ育った場所ではありません。
目には見えなくても本質的なものを理解してくれる人々。
魂や愛の存在を知っている人々。
自分が感じている、
言葉では説明しきれない世界を認めてくれる場所。
そうしたものを、
彼女はずっと求めていたのではないでしょうか。
エジプト転生時代、師から与えられた愛も、
まさにそのようなものだったのでしょう。
けれども、この弟の危機を通して、
エリザベスは思いがけないことを発見します。
「自分が探していたものは、ここにもあった」と。
母が弟を抱き続ける姿の中に、
それがあったのです。
母は、目に見えない世界を理解してくれない。
それでも母は、目には見えない「愛」を放ち、
誰よりも強く生きていた。
愛そのものは目には見えません。
それでも、その愛は母の行動として、
はっきりと目の前に現れていました。
おそらくエリザベスは、このとき初めて、
「ふるさとは、特別な場所にあるのではない
のかもしれない」と、
無意識のうちに感じたのではないでしょうか。
③ 「赤い男」という謎
目に見えないものは、本当に存在しないのか?
でも、弟が回復して
すべてが終わったわけではありません。
エリザベスの中には、
どうしても消えない謎が残りました。
弟が叫んだ、「赤い男が僕を捕まえに来た!」
という言葉です。
母は、「高熱のせいで幻覚を見ただけよ」
と説明します。
けれども、エリザベスは納得できませんでした。
弟は確かに「赤い男」を見た。
何かを恐れ、何かを振り払い、そして倒れた。
それを、「存在しなかった」の一言で
片づけていいのだろうか。
エリザベスは、その疑問を長い年月、
心の中に持ち続けることになります。
ここには、彼女の非常に重要な資質、
洞察力が表れています。
「目に見えないから存在しない」とは限らない。
その奥に本質が隠れている。
この感覚です。
そして、私はここに、この章の
もう一つの大きな逆説があると思います。
母は「赤い男」のような
目に見えない存在を認めません。
でも母自身は、
目に見えない「愛」に突き動かされている。
つまり、目に見えないものを否定する母が、
目に見えない愛を誰よりも強く生きている。
エリザベスは、
この矛盾を目の前で体験したのです。
彼女は幼いながらに、
「赤い男」が単なる幻覚ではなく、
弟の命を奪おうとする「何か」の存在を察知したのです。
そして、その「何か」を母の無条件の愛が退け、
弟を生の側へ引き戻したのではないか。
そんな感覚を、はっきりと言葉にはできなくても、
どこかで感じていたのでしょう。
もちろん、それが実際に何であったのかは、
この時点のエリザベスにはわかりません。
だからこそ「赤い男」の謎は、
彼女の中に残り続け、
イニシエーションの伏線的出来事になるのです。
④ 現実とは何か
見える世界と、見えない世界は共存している
そして私は、この章の最も深いテーマは、
ここにあると思います。
エリザベスはそれまで、目に見える現実の世界と、
自分が心の中で感じている目に見えない世界との間に、
隔たりを感じていました。
だからこそ彼女は、「真のふるさと」を探していた。
「自分が本当に求めているものは、ここではない。
どこか別の場所にあるのではないか。
もっと精神的な人々の中にあるのではないか」
けれども、弟の危機を通して、
その認識が変わり始めます。
母が弟を抱き続ける。弟の命を願う。
そこには、目には見えない愛が確かに存在している。
そして同時に、弟は「赤い男」という、
目には見えない「何か」を見ている。
すると、
「見える世界」と「見えない世界」は、
別々の世界なのではない。
この世界には、目に見える現実と同時に、
目には見えない現実も重なって存在している。
そんな認識が、エリザベスの中に
芽生えたのではないでしょうか。
そう考えると、「ここが私の家なんだ」という言葉は、
さらに深い意味を持ってきます。
それは、「私はここに属している」だけではない。
もしかすると、
「私が探していたふるさとは、ここだった」
という気づきでもあったのではないでしょうか。
特別な場所ではない。
特別な人々だけが持っているものでもない。
弟の病気を心配し、眠らずに抱き続ける母。
その母の中にある、見返りを求めない愛。
それこそが、エリザベスがずっと探していた
「目には見えないけれど、本当に大切なもの」
だったのでしょう。
ふるさとは、どこか遠くに探しに行くものではなかった。
日常の中に、すでに存在していた。
ただ、それに気づくために彼女は、
自分の心が開かなければならなかった。
「愛」と「現実」の二つの扉
この第7章には、二つの扉があるように思います。
一つ目の扉は、
「愛されたい」から「愛を与えたい」へ。
愛を求めていたエリザベスが、
自分自身もまた愛を与えられる存在だと知った。
その瞬間、母との間に連帯感が生まれ、
「私たち」という感覚が生まれました。
そして、
「ここが私の家なんだ」という所属感にたどり着いた。
二つ目の扉は、
「見えるものだけが現実」から
「見えないものも現実の一部」へ。
「赤い男」という謎をきっかけに、
エリザベスは、目に見える世界だけでは説明できない何かを、
心の中に残していくことになります。
そしてこの二つの扉は、実は一つにつながっています。
なぜなら、愛も目には見えないからです。
母が弟に注いだ愛も、
エリザベスが弟に感じた愛も、
「赤い男」が存在したのかどうかという謎も、
すべて「目には見えないもの」をめぐる出来事なのです。
だからエリザベスにとってこの出来事は、
「目に見えないものと目に見えないものが共存すること」
への最初の目覚めと言えるのででしょう。
ふるさとは、探すものではなく、気づくもの
エリザベスは、それまで「真のふるさと」を探していました。
けれども、この章で彼女が一瞬たどり着いたのは、
「ふるさとは、遠い場所にあるのではない」という感覚。
母の無条件の愛。
弟を救いたいという彼女自身の愛。
家族と危機を共有したことによって生まれた連帯感。
そして、目には見えない世界の存在。
それらはすべて、特別な場所ではなく、
日常の中にすでに存在していたものでした。
だから、「ここが私の家なんだ」という言葉は、
「私はもう、ふるさとを探さなくてもいい」
という言葉にも聞こえてきます。
そして皮肉なことに、その気づきの直後に
「赤い男」という謎が残される。
まるで、
「あなたが探していた世界は、遠くにあるのではない。
今ここに重なっている世界を見なさい」
と、人生そのものから問いかけられているかのようです。
この幼い日の体験が、
やがてインドのソウルメイトとの出会いや、
東洋の生命観、そしてアーユルヴェーダへとつながっていく。
それは、現実世界から逃げて神秘の世界へ向かう旅ではなく、
「この現実世界の中に、目には見えない本質を見出していく旅」
だったのではないでしょうか。
第7章「赤い男」は、エリザベスのイニシエーションの旅の、
最初の大きな転換点だったのではないかと思います。
「真のふるさと」を誰もが心の中に持っている
エリザベスは母の「無条件の愛」の行動を目にして、
「真のふるさと」の在り処が、
「今、ここ、に在る」と認識しました。
わたしたちの本質は、
目に見えない魂意識です。
日常の出来事や出会いの中で、
わたしたちの魂意識そのものの波動
――純粋な愛や喜びに触れると共鳴し、
その共鳴が起きているその場が
魂意識と大いなる源が1つにつながる
エネルギーフィールドを創ります。
わたしたちは誰しも、
心の中に「真のふるさと」があるのです。
次回も「イニシエーション」の解説を予定しています。
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