こんにちは、リブラです。
今回も「タフティ・ザ・プリーステス」の解説です。
レッスン3 「現実」へようこそ
前回のポイント
1.「自分を見て、現実を見る」と言いながら、「気づきの中心点」に入る。
2.「今日、わたしは目を覚ましながら、夢の中を歩き回る」という意図を明確にする。
3.その明確な意識状態で外出し、現実を夢の中と想定して「気づきの中心点」に入ったまま目覚めた状態で歩き観察する。
(誰もあなたのことを知らない場所を歩き回ると効果的)
上記を実行すると、自分自身をコントロールすることで、周りの状況をコントロールする力を身につけることができる
タフティ語録
内部スクリーン;心の中の世界を映すスクリーン。
外部スクリーン;わたしたちが<現実>と呼んでいる外側の世界を映すクリーン。
「気づきの中心点」;内部と外部の2つのスクリーンが同時に見える中間地点。
意識がどこを向き、何に注がれているのかを客観的に観察できるポイント。
映画;わたしたちが「現実」と呼んでいるもの。台本に従い登場人物も物事も展開する人生ライン。
わたしたちは生まれたときから映画の登場人物として存在している。
今の人生を変えたいと思うならば、映画ごと変えるしかない。
台本;既に筋書は決まっていて、それを変えることはできない。
「自己認識」ができない人(眠りこけている人=内部か外部のどちらか一方のスクリーンに意識を向けっぱなしの人)を所有し、コントロールしている。
マネキン;映画の中の登場人物。台本通り忠実に演じる役者。
「寝ていたとしても、起きていたとしても、あなたは、映画の中にいて、台本に従って生きているのです。
あなたは、あなた自身のものではないのです。
なぜなら、あなたの意識があなたのものではないからです。
目を覚まして、自分の意識をちゃんとコントロールしさえすれば、台本はあなたに対するコントロールを失います」
「タフティ・ザ・プリーステス」Lesson3を要約
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「タフティ」と巷に溢れる「引き寄せの法則」本との1番大きな違いは、理性の<制限>に着目している点だと思います。
わたしたちが無限の可能性を持っていると説いている点は一致していますが。
現実創造のノウハウ的なテクニックよりも、現実創造を阻む理性の<制限>の取り扱いを知る方が近道だとゼランド氏は考えているようです。
事実、わたしたちは理性の<制限>によって自らの人生を既定し、無限に広がる可能性を断念し、自分らしさを表現することに不安を感じたりします。
わたしたちは理性がGOサインを出せば何の疑いもなく行動しますが、理性がダメ出しをするとこれでいいのだろうかと不安に駆られたり、恐怖を感じて行動にブレーキを踏みます。
けれども、無限の可能性の「映画」の永遠の保管庫(ゼランド氏はバリアント空間と呼んでいる)は、魂しか自由に飛び回ることができません。魂しか映画の内容を知らないのです。
理性は現在の「映画」の中(わたしたちが「現実」と呼んでいる身体が存在する物質界)で、台本に従って生きるとき力を発揮しますが、永遠の保管庫(バリアント空間)では無力な迷子になります。
だから、理性は現在の「映画」にしがみつき、危機的状況に陥っても乗り換えようとはしないのです。
現在の「映画」の設定やキャスティングやセリフに不満があるときは、それをいじって変えようと躍起になります。
「映画」の中の登場人物には、設定やキャスティングやセリフを変える権限がないことも気づかずに。
もし、理性の思惑通りの展開になったとしたら、理性が台本のストーリー展開を理解して自分のハマり役を演じきっただけです。
それは理性が「映画」をコントロールしたのではなく、「映画」が理性をコントロールし、台本に忠実に生きるようにさせられたのです。
このようにわたしたちの理性は、既に設定やキャスティングやセリフの決まった台本に操られる生き方を安全と考え、「映画」を乗り換えることを狂気の沙汰と思っています。
この理性の<制限>がトランサーフィンで現実創造するときの最も強い足枷となります。
もしも、理性が邪魔せず、わたしたちの魂が睡眠中に永遠の保管庫(バリアント空間)を高速に閲覧して見つけた、今の自分の意識に相応しい「映画」への乗り換えに協力するならば、トランサーフィンは極めて簡単な現実創造メソッドになるでしょう。
魂が気に入った「映画」に睡眠中旅して、その夢の情報がヴィジョンやアイディアやインスピレーションとなって意図を形成し、理性はその意図を共有することで新しい「映画」の主人公のキャラを獲得していきます。
古い「映画」の台本に忠実に従いながらも心に新しい「映画」の主人公のアイデンティティを育てる意図を持つと、古い「映画」のリールのコマの中に新しい「映画」の主人公のイメージがサブリミナル映像のように紛れ込むようになります。
設定やキャスティングやセリフは古い「映画」の台本のままでも、演じている役者のキャラやイメージが激変すると、もう、それは同じ「映画」ではいられなくなります。
それが古い「映画」の終わりで新しい「映画」の始まりです。
トランサーフィンが完了して新しい「映画」の人生ラインがスタートするのです。
わたしが初めて「タフティ」を読んだとき、すぐに頭に浮かんだのは古代ギリシャの哲学者エピクテトスのことでした。
奴隷の母親から生まれ、奴隷として売られ、残酷な虐待をする奴隷出身の格闘家の主人に買われたエピクテトスは、自分の命も身体も何ひとつ自由になるものがありませんでした。
生まれながらに「映画」の中に閉じ込められ、台本に従って生きるしかないわたしたちも似たようなものですよね。
エピクテトスがこの逆境の中で生き残るためにやったことは、主人に媚びたり、反抗したり、神頼みをしたりするのではなく、自分の自由の在り処を探すことでした。
そして、エピクテトスは自身の心の中だけは自由にできることを発見しました。
主人が彼にどんなことを言おうとどんな態度をとろうと、それによって自身の心の中まで怒りや恐怖で浸食されないように努めたのです。
その結果、主人のサロンに招かれていた哲学者に賢さを認められ、ギリシャのストア派の哲学者のところに2年間の留学を許されたのです。
この間、エピクテトスがしていたことは彼の心の中から奴隷意識や怒りや恐怖を追い出し、静かでニュートラルで自由な状態のマインドを保っただけでした。
心の中だけはエピクテトスが主人で、彼が自由にできる王国だったのです。
2年後ギリシャ留学から帰国すると彼は哲学者となり、当時のローマ皇帝もエピクテトスから教え乞いたいと望んだので、彼は奴隷から解放され自由市民になりました。
その後はギリシャで哲学の学校を創設しました。
エピクテトスの「映画」の台本で彼は奴隷役でしたが、心の中では彼の王国の主であり、静かで穏やかな哲学者でした。
哲学者のマインドを持つエピクテトスに奴隷のセリフも、不幸な筋書きも似合いません。
どんな悲劇的展開でも彼の心は静かでニュートラルで自由な状態だったからです。
そこでエピクテトスの「映画」は「不幸な奴隷の物語」のままではいられなくなり、「奴隷から哲学者への成功の物語」にトランサーフィンしたのです。
タフティは、外界の出来事(台本の筋書き)に反応して心を乱したり、何かの虜になったりして自身の心の主人になっていない(自己認識ができていない)から「目を覚ませ!」と煽ります。
「目を覚まして、自分の意識をちゃんとコントロールしさえすれば、台本はあなたに対するコントロールを失います」
と、希望を見せてくます。
自身の心の在り方を望む状態にできれば、その状態に相応しい現実が訪れることはエピクテトスの例を見ても明らかです。
次回も「タフティ・ザ・プリーステス」の解説を予定しています。
わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。
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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

