こんにちは、リブラです。
今回は、「イニシエーション」第16章「光を求めて」の解説です。
まずは、あらすじから。
第16章「光を求めて」
エリザベスは、死後の世界について知りたいと思いながらも、
その手がかりを見つけられずにいました。
未知の世界を探ることは、まるで危険なジャングルを
切り開きながら進んでいくような感覚だったといいます。
彼女は答えを求めて、哲学書を片っ端から読みました。
ところが、どれほど本を読んでも、知りたいことへの
明確な答えは見つかりませんでした。
そんなある日、思いがけないところから、
一つの気づきが訪れます。
幼い息子と一緒に窓辺に立ち、
秋の栗の葉が静かに散っていくのを
眺めていたときのことでした。
突然、彼女の内側から声が聞こえてきたのです。
「死、なぜいつも真実の片面しか見ようとしない。
樹木や自然は春になると何を見せてくれる。生だ」
その言葉によって、エリザベスは
大きなことに気づきます。
私たちは「死」を、生の反対側にあるもの
として捉えがちです。
けれども、自然界を見れば、枯れ落ちた葉のあとには、
再び新しい葉が芽吹いてきます。
木の生命そのものが死んだわけではありません。
外側に現れている姿が変化しているだけなのです。
生命の本質は、木の内奥で静かに休み、
春になれば再び新しい姿となって現れてくる。
そう考えると、死とは生命の終わりではなく、
生命が別の側面へ移行することなのではないか。
生と死は対立するものではなく、
果てしない循環の中で交互に現れている。
そして、変化しているのは外側の形であって、
生命そのものは永遠に続いている。
エリザベスにとって、この気づきは、その後の
神秘体験を理解していく上で重要な土台となりました。
心霊主義を自分自身で確かめる
その後、エリザベスは心霊主義について、
先入観を持たずに徹底的に調べてみることにしました。
単に信じるのでも、否定するのでもなく、
自分自身で体験して確かめてみようとしたのです。
そして、数日間練習したところ、自動書記を体験します。
そこで彼女は、さらに一つの可能性を考えました。
もし、肉体を持たない存在の考えを受け取ることができる
のなら、肉体を持った人間の考えも受け取れるのではないか。
こうして、夫との思考伝達の実験が始まりました。
夫との思考伝達実験
エリザベスは夫の左手首を握り、
彼の思考が自分に伝わってくるのを待ちました。
すると、奇妙な感覚が起こりました。
夫の臍のあたりから、幅十センチほどの力の流れが現れ、
それが投げ縄のようにエリザベスの身体を取り囲んだのです。
その力は、彼女をはっきりと一つの方向へ
引っ張っていきました。
別の方向へ進もうとしても、また元の方向へ引き戻される。
まるで、自分の意思とは別の力によって
身体を動かされているようでした。
二人は、その力に導かれるようにして
窓際まで移動しました。
そして、さらに驚くべきことにエリザベスの左腕が、
突然、重さを失ったようになり、
カーテンを持ち上げ始めたのです。
彼女には、自分の筋肉を使って腕を動かしている
という感覚がありませんでした。
まるで夫の臍から伸びてきた力の流れが、
彼女の腕を支え、動かしているようだったのです。
そして、エリザベスが頭をガラス窓に押しつけると、
その力は突然すっと消えました。
すると、彼女は再び自由に身体を
動かせるようになりました。
エリザベスはこの体験に強い衝撃を受けます。
人間の意思が臍のあたりから外へ流れ出し、
それがまるでタコの足のように相手の身体を取り囲む。
そして、その力によって重力さえも
失われたように感じられる。
彼女が感じたその物質は、
霧のような細かな水滴からできているようでもあり、
夜空の天の川のようにも見えたといいます。
一方、夫はというと、エリザベスが窓まで歩いていき、
カーテンを持ち上げることを考えていました。
つまりエリザベスの身体が、まるで機械仕掛けの
ように、夫が思い描いた通りに動いていたのです。
親族を巻き込んだ実験
この不思議な体験を、エリザベスは
親族との会食の席で話しました。
すると、親族たちは一斉に興味を示し、
「自分たちもやってみたい」と言い出します。
そこでエリザベスは、親族たちとも次々に
思考伝達の実験を行いました。
実験は成功し、彼女は彼らを驚かせます。
しかし、そこで思わぬ問題が起こりました。
他人の波動を受け取るために、
自分自身を空っぽにして、
自分の神経系に相手の波動を通す。
これを繰り返すことは、エリザベスが想像していた
以上に、心身を消耗させるものだったのです。
この経験を通して、彼女は重要なことを学びました。
人間の神経系は、
本来、自分自身の波動を通すようにつくられている。
そして、自分自身の生命力の流れに応じた、
固有の抵抗力を備えている。
つまり、他人の波動を無制限に受け入れて
よいわけではないのです。
「霊媒」の危険性
この体験をきっかけに、
エリザベスは霊媒的な実験について、
さらに深く調べるようになりました。
そして、このような実験は決して興味本位で
行ってはいけないと考えるようになります。
関連する文献を読み進めるうちに、彼女は、
霊媒として他者の影響を受け続けた結果、
自分自身の意思を失い、
まるで「意思のないロボット」のように
なってしまった人々について、
数多くの記録を目にしました。
自分を空っぽにして、他者の波動を受け入れる。
一見すると、意識を開くための行為
のようにも思えます。
しかし、そこには、自分自身の生命力や意思を
失ってしまう危険性もあるのです。
エリザベスはそのことを、
自らの身体を通した実験によって実感したのです。
そして最終的に、彼女は霊媒的な思考伝達
の実験をやめることにしました。
エリザベスは、自分の意識を開くことと、
自分自身を失うことは同じではないということを
実体験から学んだのでした。
「イニシエーション」第16章の要約
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第16章「光を求めて」
「死」を知りたかったエリザベスが、「生」に導かれる
エリザベスは、死後の世界について知りたい
と思って、いくら哲学書を読んでも、
納得できる答えにはたどり着けませんでした。
死とは何なのか。
死んだあと、人間はどうなるのか。
生命は、本当に身体が終わると同時に消えてしまうのか。
答えを探そうとすればするほど、未知の世界の
深いジャングルをさまよう。
まるで、スピリチュアルジプシーのような体験を
そういえば私も若かりし頃、体験していました。
そんなエリザベスに、転機が訪れます。
幼い息子と一緒に窓辺で栗の葉が散っていくのを
眺めていたとき、彼女の内側から声が聞こえてきたのです。
「死、なぜいつも真実の片面しか見ようとしない。
樹木や自然は春になると何を見せてくれる。生だ」
この言葉は、エリザベスの視点が大きく変えました。
これまで彼女は「死」を見ようとしていました。
ところが、内側から示されたのは「生」だったのです。
落ちた葉を見て、「木の生命は終わった」と
考える人はいません。
変化したのは、木の外側に現れている姿であり、
その内側にある生命そのものが、消滅したわけ
ではありません。
ここからエリザベスは、
死は生の反対側にあるものではなく、
生の別の側面なのではないか。
と考えるようになります。
生と死は対立するものではなく、自然界の中で
繰り返される一つの循環なのかもしれない。
外側の形は変化していく。
それでも、その奥にある生命は続いていく。
この気づきは、エリザベスが後に体験する
神秘的な世界を理解していくうえで、
大きな土台となっていきます。
「生命は永遠」という気づき――変わるのは外側だけ
私たちは普段、「生きている」ということを、
身体が存在していることと結びつけて考えています。
身体が生まれ、成長し、老いて、最後には死ぬ。
だからこそ、
「身体がなくなる=自分という存在もなくなる」
と考えれば、死はとても恐ろしいものになります。
しかし、自然を観察してみると、
少し違った景色が見えてきます。
種は土の中に入り、芽を出し、植物になり、
花を咲かせ、実をつける。
葉は生まれ、やがて落ちる。
そして、また新しい葉が生まれる。
そこでは、「生」と「死」は切り離されていません。
一つの生命の流れの中で、姿を変えながら循環しています。
エリザベスが気づいたのも、まさにこのことでした。
変化しているのは生命そのものではなく、
生命がとっている形なのではないか。
もしそうだとしたら、死は「存在の終わり」ではなく、
「存在の形が変わること」として捉えることができます。
この出来事は、エリザベスにとっては、求めていた光を
やった見つけたような、そんな体験だったのです。
「死んだらどうなるのか?」
という問いから、
「そもそも生命とは何なのか?」
という、もっと根源的な問いへ移っていったからです。
そして、この問いこそが、彼女を次の探究へと導いていきます。
わたしが、いつも希望の光を見出すのも、
こんな探究の始まりです。
「信じる」のではなく「確かめる」――知りたいという欲求
エリザベスは、「生命は永遠なのだ」と気づくと、
「本当にそうなのだろうか?」
もっと知りたい。
確かめてみたい。
そんな強い探究心に、突き動かされ、
心霊主義について調べることにしました。
自動書記を体験してみると、そこからさらに、
「もし肉体を持たない存在の考えを受け取る
ことができるなら、肉体を持った人間の思考も
受け取れるのではないか?」と考えます。
この発想から、夫との思考伝達実験が始まりました。
エリザベスは、未知の世界を「信じる人」ではなく、
「知りたいなら、自分で体験してみる人」なのです。
だからこそ、内なる声が彼女に「生」を見せたあと、
彼女はそこからどんどん探究を深めていきます。
生命について知りたい。
意識について知りたい。
思考とは何なのか知りたい。
人間の意思は、
身体の外側にも作用するのか知りたい。
「知ること」に貪欲なエリザベスにとって、
これはまさに夢中になれる世界でした。
内なる声は、彼女自身が最も興味を持ち、
夢中になれる方向へ、自然に導いていった
とも考えられます。
このように、エゴの「~すべき」優先順位を手放すと
(エリザベスの場合は、一世を風靡する華麗な
ピアニストの未来を手放した)、
内なる声は、真に夢中になれるものへと
導いてくれるものなのです。
思考は「頭の中だけ」にあるのか?
夫との実験で、彼の臍のあたりから、
力の流れのようなものが出てきて、
それが彼女の身体を取り囲み、
一方向へ引っ張っていく。
自分の意思で別の方向へ行こうとしても、
元の方向へ戻される。
筋肉を使っているという感覚はない。
まるで、自分の身体が夫の意思によって
動かされているようだったのです。
しかも、エリザベスが体験したことは、
夫の思考と一致していたのです。
エリザベス自身が立てた問い、
「人間の意思や意識は、いったいどこまで
身体に影響を与えているのだろう?」
に、実験が彼女の予想を超える形で答えたのです。
私たちは、「自分が身体を動かしている」と
当たり前のように思っています。
けれども、自分の意思だと思っているものは、
本当は、それだけではなかったのです。
他人の言葉。
他人の期待。
周囲の空気。
誰かの感情。
そうしたものは、私たちの身体や行動に、
思っている以上の影響を与える可能性があるのです。
エリザベスは思考伝達実験で、そんな不思議で深淵な
世界の扉を開けてしまったのです!
こんな超常現象を意図的に起こせたら、
見えない世界の神秘に夢中になりますよね。
「自分を空っぽにする」という危うさ
ところが、実験を続けるうちに、
エリザベスはある問題に気づきます。
他人の波動を受け取るためには、
自分自身を空っぽにして、
自分の神経系に相手の波動を通さなければならない。
それを繰り返すことで、彼女は心身ともに
激しく疲弊してしまったのです。
そして、ここで非常に重要な発見をします。
「人間の神経系は、本来、自分自身の波動を通すように
できている。そして、自分自身の生命力の流れに応じた
抵抗力を備えている」
つまり、
「他者を受け入れること」と
「自分を空っぽにすること」は同じではない。
ということです。
これは、霊媒実験という特殊な話だけではありません。
私たちの日常生活にも、似たようなことは起こります。
たとえば、人間関係の中で、
「相手はどう思っているんだろう?」
「相手は何を望んでいるんだろう?」
「嫌われないためには、どうすればいい?」
と、いつも相手の気持ちを先回りして考えてしまう
ことがあります。
相手を思いやることは、とても大切です。
けれども、それが行き過ぎると、
「私はどう感じているんだろう?」
「私は本当はどうしたいんだろう?」
という、自分自身の声が聞こえなくなってしまう
ことがあります。
相手の意見や思惑ばかりを気にしているうちに、
自分の感情や意思がわからなくなってしまう。
そして、気づかないうちに「相手に合わせること」が
自分の役割になってしまう。
これは、エリザベスが実験を通して経験した、
「他者の波動を自分の神経系に通し続けることで、
自分自身が消耗する」という現象を、
日常生活の中で考えてみるための一つのヒント
になるのではないでしょうか。
神秘体験には「境界線」が必要なのかもしれない
エリザベスは、その後、霊媒について
さらに文献を調べます。
そして、他者の影響を受け続けた結果、
自分自身の意思を失い、まるで「意思のないロボット」
のようになってしまった霊媒たちの記録を
数多く知ることになります。
そこで彼女は、霊媒的な思考伝達の実験をやめました。
この判断は、自分自身の体験を通して、エリザベスが
意識を開くことと、自分自身を失うことは違う。
ということを学んだからだと思います。
他者を理解する。
他者の気持ちを感じ取る。
相手の立場に立って考える。
それは、人間関係において大切な能力です。
けれども、相手を理解することと、
相手と同化することは違います。
相手の気持ちを尊重することと、
自分の気持ちを消すことも違います。
本当の意味で対等な関係をつくるためには、
「相手」と「自分」の両方が、
そこに存在していなければならない。のです。
自分の意思を持ったまま、相手の意思も尊重する。
自分の感情を感じながら、相手の感情にも耳を傾ける。
つながりながらも、自分を失わない。
それは、他者との「境界線」をつくることでもあります。
境界線というと、冷たく距離を置くことのよう
に感じるかもしれません。
でも、自分と相手がそれぞれ別の存在だからこそ、
対等に出会うことができるのです。
自分を失って相手と一つになるのではなく、
「私は私。あなたはあなた。」
という違いを保ったまま、互いに心を開く。
そのほうが、ずっと深い交流ができるのではないでしょうか。
光を求めて
第16章「光を求めて」は、死後の世界を知りたい
というエリザベスの問いから始まりました。
そんな彼女が導かれたのは、死を知ろうとして、
生の神秘に出会うことでした。
生の神秘を知ろうとして、意識の不思議に出会う。
そして意識を探究する中で、
「自分自身の生命力を失わないこと」
の大切さに気づいていく。
そんな章だったのではないでしょうか。
「光を求めて」というタイトルを見たとき、
私たちは、どこか遠くにある光を探す物語を想像
するかもしれません。
でも、エリザベスが見つけていったものは、
遠い世界の抽象的な存在ではありませんでした。
窓辺に散る一枚の葉。
春に芽吹く新しい葉。
自分の身体に起こる不思議な感覚。
そして、自分の内側から生まれる問い。
彼女は、こうした身近な体験の一つひとつを
手がかりにして、生命について探究して
いったのです。
もしかすると、光を求めるということは、
外側に答えを探し続けることではなく、
自分自身の生命の流れに気づいていく
ことなのかもしれません。
生命エネルギーの神秘に触れたエリザベスは、
これからさらにスピリチュアルな世界の深淵
に、探求を進めることになります。
次回も「イニシエーション」の解説を予定しています。
Noteも更新しました。こちらも読んでいただけたらうれしいです!
わたしのサロン、リブラライブラリーでは、
あなたの心のしくみをホロスコープで解説し、
心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題に
セルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。
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