こんにちは、リブラです。
今回は「イニシエーション」15章「転換点」の解説です。
まずは、あらすじから。
第15章「転換点」
失明への恐怖に怯え、絶望の中にいたエリザベスは、
ある日、散歩をしているときに内なる声を聞きます。
その声は、彼女にこう教えました。
「未来を心配して、今を無駄にしてはいけない」
そして、「霊的な盲目が消滅すれば、
たちどころに肉体の目も機能を取り戻すだろう」
と励ましてくれたのです。
その言葉を受け取ったエリザベスは、
ようやく我に返ります。
未来に起こるかもしれないことを恐れ続ける
のではなく、今この瞬間を生きること。
彼女は聖書の
「求めなさい、そうすれば与えられる。
門を叩きなさい、そうすれば開かれる」
という言葉を思い出し、
「今」に意識を向ける練習を始めます。
やがて妊娠したことで、
エリザベスの意識は大きく変わっていきました。
お腹の子どものことや出産に集中するうちに、
目の症状について考えることが
少なくなっていったのです。
そして、無事に息子を出産。
初めて我が子の産声を聞いた瞬間、
エリザベスは言葉では表現できないほどの
感謝と感動に包まれます。
その後も育児に追われる日々を過ごして
いるうちに、いつの間にか、
あれほど彼女を苦しめていた
「失明するかもしれない」という恐怖は
消えていました。
ところが――。
目の恐怖から解放されたエリザベスの前に、
今度は別の問いが浮かび上がります。
表面的には幸せな生活を送っているはずなのに、
なぜか心の奥底には深い不満が残っている。
「私は、なぜ幸せになれないのだろう?」
ある夜、夫との愛の絶頂を経験したあと、
エリザベスは眠ることができませんでした。
そして、自分自身に問いかけます。
自分が本当に求めているものは、いったい何なのだろう?
そこで彼女は、これまで気づかなかった
自分の心の奥深くにある願いに触れます。
彼女が本当に求めていたのは、
肉体と肉体の結合ではありませんでした。
もっと完全なもの――。
魂と魂がひとつになるような、
完全な合一を求めていたのです。
しかし肉体を持っているかぎり、
二人は完全にひとつになることはできない。
エリザベスは、肉体そのものが二人の融合を阻む
「壁」のようなものになっているのではないか、
と考え始めます。
そこから彼女の意識は、これまで考えたことも
なかった領域へ向かっていきます。
もし、肉体のない状態でも
「存在する」ことができるのなら。
もし、私たちがこの身体だけの存在ではないのなら。
遠い昔、自分が別の世界で生きていたのではないか。
「あの世」と呼ばれる世界や、
目には見えない世界が、
本当に存在するのではないか。
エリザベスは、この夜になって初めて、
それらを真剣に考え始めます。
そして、ひとつの結論にたどり着きます。
性的な結合は、肉体を満たすことはできても、
魂そのものを完全に満たすことはできない。
永遠の融合は、性によって得られるものではない。
ならば、自分が本当に求めている幸福は、
肉体の世界の中ではなく、目には見えない世界
にあるのではないだろうか。
この夜を境に、エリザベスの人生は
大きく方向を変えていきます。
失明への恐怖から始まった彼女の探求は、いつしか、
「私は、いったい何者なのか?」
「肉体を超えたところに、本当の幸福はあるのか?」
という、より深い問いへと変わっていったのです。
「イニシエーション」第15章の要約
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「未来を心配して、今を無駄にするな」
エリザベスは、エジプトに転生していた時代の師の声から、
「未来を心配して、今を無駄にするな」と忠告されます。
そして、その言葉によって初めて、
自分が「霊的盲目」の状態にあることに気づきます。
これは、エリザベスだけの話ではありません。
私たちもまた、現実に打ちのめされ、
心がサバイバルモードに入ったとき、
同じような「霊的盲目」に陥ることがあります。
意識が未来へ飛び、身体が「今ここ」に取り残される
最悪の未来を想像しているとき、
私たちの身体はどうなっているでしょうか。
身体が存在できるのは、
いつだって「今、この瞬間」です。
ところが、意識だけが未来へ飛んでしまう。
「もし、こうなったらどうしよう」
「このまま悪くなったら?」
「取り返しのつかないことになったら?」
そんなふうに未来の危険を探し続けていると、
心と身体が別々の場所にいるような状態になります。
身体は「今ここ」にいるのに、
意識は未来の危険を見張っている。
すると、身体は何をすればいいのかわからなくなります。
どこへ向かえばいいのか。
誰の指示に従えばいいのか。
何を信じて生きればいいのか。
何か怖いことが起こりそうな気配だけはある。
けれども、「逃げるのか、戦うのか」という
具体的な指示は、いつまで経っても降りてこない。
そんな「盲目」の状態に置かれているような感覚を、
身体は受け取ることになるのです。
身体には、言葉で「私は今、こんな状態です」と
説明することができません。
だからこそ、私たちは身体の感覚や変化に
気づくことが大切なのでしょう。
エリザベスの場合、それが「目」の症状として
現れていた、と彼女は受け止めました。
幸せを探しているのに、不幸な未来を見つめていた
これまでのエリザベスは、自分の心にある欠乏感を、
物質的な世界の中で埋めようとしてきました。
愛する人と結ばれれば、幸せになれる。
そう信じて結婚しました。
ところが、愛する人と死別することへの恐怖や、
自分自身の人生が死によって終わってしまうことへ
の恐怖に意識が向かうようになります。
せっかく愛する人に囲まれているのに、
幸せを味わうことができない。
なぜでしょうか。
彼女の意識が、いつも「不幸になる未来」に
フォーカスを合わせていたからです。
幸せの中にいるのに、そこに存在していない不幸
を探してしまう。
そして、人間の「フォーカス」には、大きな力があります。
タフティでも、未来の1コマに意識のフォーカスを
繰り返し照射することで、その現実を含んだ人生ライン
へ切り替わっていく、という考え方が語られていました。
エリザベスは、まさにそれをしていたのではないでしょうか。
彼女は、自分が最も怖れている「失明する未来」に、
意識のフォーカスを照射し続けていたのです。
そこへ師の声が届きます。
「あなたは今、霊的に盲目になっている」
そのことに気づいたことで、
彼女はフォーカスする対象を変えていきます。
そして、妊娠をきっかけに、
意識は「子ども」という未来へ向かいます。
すると、失明への恐怖はいつの間にか消えていきました。
「結婚」から「子ども」へ
けれども、ここにはもう一つ、
大切なことが見えてきます。
エリザベスは、フォーカスする対象を変えただけで、
まだ「物質的な世界の中で幸せを手に入れる」という
探し方そのものからは抜け出していません。
それまでの、「愛する人と結婚すれば幸せになれる」が、
「子どもが生まれれば幸せになれる」へと変わっただけ
とも言えるのです。
もちろん、彼女にとって子どもを授かることは
大きな喜びでした。
産声を聞いた瞬間の感動は、
彼女にとってかけがえのない体験だったでしょう。
けれども、子どもを育てる喜びを味わっても、
心の奥にある欠乏感そのものは消えていきませんでした。
そして彼女は、さらに深いところへ進んでいきます。
愛する人との性的な結合。
肉体と肉体が完全に融合するような体験。
それによって、今度こそ自分の欠乏感は
満たされるのではないか。
ところが、それでも満たされない。
そこで初めて、彼女は気づきます。
自分が本当に求めていた「完全な融合」は、
肉体によっては得られないのではないか、と。
身体があるかぎり、
二人は完全にひとつにはなれない。
ならば、自分が求めている幸福は、
肉体的な体験そのものではないのではないか。
エリザベスは、少しずつ気づき始めます。
自分が本当に探していた幸福は、
「物質界」に存在するものではない。
それは、目には見えない世界にあるのではないか、と。
私自身の「幸福の青い鳥」
ここまで読んでくると、
私自身の体験とも重なってきます。
私もエリザベスと同じように、30代半ば頃までは、
「男女関係の中に、自分の心を最も満たしてくれる
幸福があるのではないか」と探し求めては、
何度も失望していました。
そして、そのたびにスピリチュアルな叡智を探求し、
自分の中にある「霊的盲目」を見つけては、
方向転換してきました。
そんな探求の中で、ヒプノセラピーや
ヴィジョン心理学に出会います。
そこで私は、自分の中にある最も強い「愛の欠乏感」を
訴えていたのが、インナーチャイルドだったことに気づきます。
そして、その欠乏感を本当の意味で癒すことができるのは、
外側にいる誰かではなく、自分自身の大人意識なのだ
ということにも気づいたのです。
そのとき私は、
「幸福の青い鳥は、ここにいたんだ」
という気持ちになりました。
トートタロットのワンド9「強さ」が教えてくれたこと
トートタロットのワンド9「強さ」は、
まさにその瞬間の私の状態を表しているように感じます。
カードの中では、暗闇の記憶の中で、
ひとりぼっちで怯えている「欠けた月」が描かれています。
そこへ「太陽」が探しに来る。
私は、この月をインナーチャイルド、
太陽を「高次の自己」の意識として見ています。
暗闇の中に置き去りにされていた、幼い自分。
その自分を、「高次の自己」が探しに来て、迎え入れる。
それは、私にとって「自分自身との再会」でした。
インナーチャイルドが抱えている「愛の欠乏感」は、
他者には完全には理解できません。
なぜなら、そのトラウマの記憶を
本当の意味で共有できるのは、
その記憶を持っている本人だからです。
だから、外の世界で自分を愛してくれる人を探し続けても、
埋まらない欠乏感がありました。
けれども、自分自身のインナーチャイルドが抱えていた記憶
に触れ、その悲しみや寂しさを、大人になった自分自身が
共に感じる。
その感情を「そんなことで悲しむな」と否定するのではなく、
「そうだったんだね」
「ずっと寂しかったんだね」
と、最後まで一緒に感じてあげる。
そして、共感の涙を流し切ったとき、
長い間抱えていた感情が、ようやく役目を終えていく。
そんな体験を、私はしてきました。
最も弱く、幼い自分を「自分の一部」として認める。
すると、それまで感じていた自分の中の分離感が、
少しずつ消えていきます。
そしてインナーチャイルドは、魂の意識との一体感を
感じ始めるのです。
私にとって、これこそが本当の意味での「強さ」でした。
エリザベスも、いよいよ「内側」へ
第15章で、エリザベスは肉体の融合によって
愛を得ようとすることの限界に突き当たりました。
このとき初めて彼女は、
「外側にある何かを手に入れることでは、
私の本当の欠乏感は満たされない」
というところまで来たのででしょう。
そして、それまで外側に求め続けてきた幸福を、
今度は「見えない世界」に探しに行こうと決意します。
その先に待っているのは、スピリチュアルな世界です。
自分自身の深い潜在意識の中へと降りていく旅です。
そこには、まだ本人さえ気づいていない記憶や感情、
そして置き去りにされた「自分」の断片が、見つけられる
のを待っているのです。
「あの子を、どうやって探しに行けばいいの?」
もし、ここまで読んで、
「私の中にも、見えない暗闇に閉じ込められている
インナーチャイルドがいるのかもしれない」
「でも、どうやって探しに行けばいいの?」
そんな思いが芽生えたなら、ひとつの方法として、
ホ・オポノポノを試してみるのもよいでしょう。
ホ・オポノポノでは、ネガティブな思考や感情が
浮かんできたとき、
「愛しています」
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「許してください」
という4つの言葉のどれかを唱えます。
私は、この言葉を、潜在意識の奥に絡まった複雑な思いを、
少しずつほどいていくための言葉として捉えています。
繰り返しているうちに、表面に積み重なったネガティブな感情の、
そのさらに奥にあるインナーチャイルドの本音が、
少しずつ感じられるようになることがあります。
分離の孤独を抱えたまま、ひとりでネガティブな感情を
感じることは、とても苦しいものです。
けれども、
「もう、私はひとりじゃない」
という安心感の中で感情を感じることができたなら、
その感情を最後まで一緒に感じ切ることができます。
インナーチャイルドが、
「わかってほしかった」
「気づいてほしかった」
「ずっと寂しかった」
と訴えていた思いを、自分自身が共に感じてあげる。
すると、その感情は少しずつ役目を終え、
手放されていきます。
そして、長いあいだ「愛が足りない」と訴えていた
インナーチャイルドは、やがて、自分の中にある
魂の喜びと共鳴する存在へと変わっていく。
私は、その状態を「ワンダーチャイルド」と呼んでいます。
外の世界に幸福を探し続けていた私たちが、
最後に見つける「幸福の青い鳥」。
それは、遠くへ探しに行くものではなく、
ずっと自分の内側で、私たちが迎えに来てくれるのを
待っていた自分自身なのかもしれません。
次回も「イニシエーション」の解説を予定しています。
Noteも更新しました。こちらも読んでいただけたらうれしいです!
わたしのサロン、リブラライブラリーでは、
あなたの心のしくみをホロスコープで解説し、
心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題に
セルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。
詳しくはこちらをご覧ください。
新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、
キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後までお読みいただきありがとうございます。


