こんにちは、リブラです。
今回は「イニシエーション」13章の解説です。
それでは、13章のあらすじから。
第13章 再び死と対峙する(あらすじ)
結婚式の日。花嫁となったエリザベスは、
本来なら人生で最も幸福な瞬間を迎えていました。
愛する人と結ばれ、これまで願ってきたことが、
すべて現実になった。
願いは、叶ったのです。
けれども、その瞬間から、エリザベスの心に
思いもよらないものが忍び寄ってきました。
「この幸せも、いつか終わる」
そのことに、気づいてしまったのです。
愛する夫の瞳を見つめながら、
エリザベスは幸福を感じるどころか、
胸を締めつけられるような恐怖に襲われます。
どれほど愛していても。
どれほど幸せでも。
いつか必ず、死によって引き裂かれる日がやってくる。
まるで死の冷たい手が、首を絞めるように迫ってくる。
「こんなに幸せになってしまったら、
この幸せを失うときの苦しみも、
それだけ大きくなるのではないか」
そんな思いが、彼女の心を絶望へと追い込んでいきます。
幸せになればなるほど、失うことが怖くなる。
愛が深ければ深いほど、別れの痛みも深くなる。
それならば、いっそ幸せになどならないほうが
よかったのではないか。
エリザベスの心は、そんな矛盾した思いに
引き裂かれていきました。
しかも、周囲の人々は、まるで自分たちが
永遠に生きるかのように、結婚を祝福し、
未来を語っています。
誰も、この「幸せには終わりがある」という
当たり前の事実を見ていない。
けれどもエリザベスには、それが見えてしまった。
みんなが人生を楽しんでいる世界の中で、自分だけが、
人生の終わりを知ってしまったような感覚。
その気づきは、彼女を深い孤独へと連れていきます。
「なぜ、私だけがこんなことを考えてしまうのだろう」
幸福のただ中にいるはずなのに、
心の中は空っぽになっていく。
未来を思い描こうとしても、
その先には必ず「死」が待っている。
そして、その死を乗り越えるための答えも、
彼女には見つけられませんでした。
宗教は、死後の世界や永遠の命を語ります。
けれども、このときのエリザベスには、
その慰めさえ信じることができない。
頭で「死後の世界がある」と言われても、
今ここにある愛する人を失う恐怖は
消えてくれないのです。
だから彼女の心から出てきたのは、
理屈でも信仰でもありませんでした。
それは、荒野にひとり取り残された人間が、
誰かに届いてほしいと叫ぶような、
切実な叫びでした。
「誰か、私をここから救って――」
幸福の絶頂で、死と対峙する。
この章でエリザベスが経験しているのは、
そんな残酷な逆説だったのです。
「イニシエーション」第13章の要約
〇~〇~〇~〇~〇~〇~〇~〇~〇~〇~〇~〇~〇~〇
幸せの絶頂で、なぜエリザベスは絶望したのか?
人生で最も幸せな瞬間に、
突然「死」が怖くなったとしたら。
あなたは、どうするでしょうか?
愛する人との結婚。
幼い頃から願い続けてきた夢が、とうとう叶う日。
普通なら、人生最高の幸福に包まれているはずです。
ところが、第13章で、エリザベスは結婚式の日に、
再び「死」と対峙することになります。
愛する人と結ばれたからこそ、
「いつか、この人を失ってしまう」
という恐怖に襲われたのです。
なぜ、幸せの絶頂で、
彼女は絶望してしまったのでしょうか?
「死への恐怖」は、消えたわけではなかった
実はエリザベスは、以前(10章)にも
「死」について深く悩む場面がありました。
婚約を解消して自由になったとき、
彼女は、「どうせ人間は死ぬのに、
生きることに何の意味があるのだろう?」
という考えに取り憑かれ、苦しんでいました。
けれども、その後の彼女は少しずつ人生の
明るい方向に目を向けていきます。
ピアノ教師になるという目標を持ち、
テニスを楽しみ、同世代の若者たちとの交流を
楽しみ、そして新しい恋も経験する。
そうしているうちに、「死への恐怖」は、
いつの間にか意識の中心から
遠ざかっていきました。
でも、それは「死への恐怖を克服した」という
ことではありませんでした。
ただ、別のものに意識を向けることで、
その問題を棚上げしていただけだったのです。
そして、人生最大の夢が叶ったとき、
その問題が再び姿を現しました。
夢が叶った。その先には、何がある?
エリザベスにとって、「愛する人と結婚する」ことは、
幼い頃からの大きな夢でした。
そして、ついにその夢が叶った。
ところが、「結婚する」という目標を達成してしまった瞬間、
彼女には次に追いかけるものがなくなってしまいました。
すると、これまで別のものに向けていた意識が、
再び「死」へと向かってしまいます。
幸せになったからこそ、
「この幸せも、いつか終わる」
という事実が、以前よりもはっきり見えてしまったのです。
愛する夫の瞳を見ながら、
「いつか、この人とも別れなければならない」
と思ってしまう。
幸福が大きければ大きいほど、
失ったときの苦しみも大きくなる。
そう考えると、
幸福そのものが恐ろしくなってしまいます。
これは、とても不思議な心の動きです。
でも、よく考えてみると、
私たちにも似たところがあるのではないでしょうか。
「これを手に入れれば幸せになれる」の、その先
仕事で成功したら。
理想の恋人ができたら。
結婚したら。
子どもが生まれたら。
お金があれば。
夢を実現したら。
「これさえ手に入れば、私は幸せになれる」
私たちは、人生の中で何度もそう考えます。
そして、その目標に向かっている間は、
人生そのものについて深く考えずに
済むことがあります。
ところが、目標を達成した瞬間、
「それで、この先は?」という空白が
現れることがある。
エリザベスの場合、それが結婚式の日だったのです。
彼女は「結婚」という夢を叶えたことで、
再び「人生には終わりがある」という問題
の前に立たされることになりました。
エゴは、なぜ「死」を怖れるのか?
ここからは、エリザベスの物語を
少し離れて考えてみたいと思います。
そもそも、なぜ私たちは死を怖れるのでしょうか?
エゴは生存を担っている意識です。
危険を避け、自分の身体を守ろうとする。
だから、死を避けようとするのは
当然のことのようにも思えます。
でも、エリザベスの言葉をよく見てみると、
彼女が本当に怖れているものは
「死」そのものではありません。
彼女が怖れていたのは、
「死んだ瞬間に、それまで生きてきた人生が
無意味になってしまうこと」だったのです。
生きている間は、呼吸することも。考えることも。
食べることも。楽しむことも。愛することも。
すべてに意味があります。
ところが死んだ瞬間、それらが全部消えてしまう。
自分の人生も、思い出も、愛した人との時間も、
何もかも「無」になってしまう。
エリザベスのエゴは、そう考えていたのです。
でも、本当に、そうなのでしょうか?
「死んだら、すべてが無意味になる」は本当なのか?
私たちは、先人たちが残してくれた文明
の中で生きています。
誰かが発見した知識。誰かが作った道具。
誰かが残した文化。
誰かが伝えた言葉。誰かが生きた経験。
それらを私たちは受け取り、利用し、学び、
そして次の世代へと渡していきます。
人は死んだからといって、
その人が生きた時間まで
消えるわけではありません。
むしろ私たちの人生は、
過去から受け取ったものの上に成り立ち、
さらに未来へ何かを手渡していく
営みでもあります。
だから、「死んだら、すべてが無意味になる」
という考えは、事実というよりも、
エゴが作り出した一つの悲観的な物語に
すぎないのではないでしょうか。
では、なぜエゴは、
そんな物語を作ってしまうのでしょう?
エゴは「自分=身体」だと思い込んでいる
私は、その理由の一つが、エゴが「物質界」を
自分の拠りどころにしていることだと考えています。
エゴもまた意識の一つであるにもかかわらず、
「目に見えるもの」
「触れることのできるもの」
「物質として存在しているもの」
を、最も確かな現実だと思い込んでしまう。
そして、自分自身についても、
「私は、この身体である」と思い込みます。
だから、
身体が死ぬ
↓
身体がなくなる
↓
私もなくなる
↓
私が生きた人生もなくなる
という結論に至ってしまう。
けれども、身体が物質界に属する存在であるならば、
老い、死を迎えるのは自然なことです。
身体には寿命がある。これは避けられません。
一方で、エゴや魂を身体と同一視しなければ、
「死」は必ずしも「私という存在の完全な消滅」
を意味するわけではありません。
私の考えでは、魂は大いなる源の分霊として、
すべてを見守る存在。
そしてエゴは、一人の人間として、この人生を
生きながら進化成長していく役割を担っています。
だからこそエゴには、「私は私である」
という個としてのこだわりがあり、
「私が無くなる」ことを怖れるのでしょう。
エゴが本当に怖れるべきもの
そう考えると、
エゴが本当に向き合うべき問いは、
「どうすれば死なずに済むのか?」
ではないでしょう。
一つの人生には、始まりがあり、
終わりがあります。
ならば、その限られた時間の中で、
「私は、どんなふうに成長したのか?」
ということの方が大切になる
のではないでしょうか。
エゴの役割が進化成長だとするなら、
その成長とは、何かをたくさん達成する
ことだけではありません。
意識界の存在であるエゴにとっての
進化成長とは、精神的な成長なのだと思います。
「何をしたか」よりも「どう在ったか」
私たちは、どうしても「何をしたか」に意識を向けます。
何を達成したのか。
何を手に入れたのか。
どんな仕事をしたのか。
どんな結果を残したのか。
これはすべて、doingの世界です。
けれども、人生の最後に残る問いは、
それだけではありません。
「私は、どんな人間として生きた」のか。
「人に対して、どんな心で接した」のか。
「苦しいとき、どんな自分で在った」のか。
「愛するとき、どんな愛し方をした」のか。
そして、「自分自身に対して、どう在った」のか。
これは、beingの世界です。
だから私は、「何を成し遂げたか」よりも、
「どんな自分として生きたか」
ということが、精神的な成長にとって
大切なのではないかと思うのです。
結婚式の誓いは、「幸せを永遠に保存する」ためのものではない
ここで、もう一度エリザベスの結婚式に
戻ってみましょう。
結婚式では、
「富めるときも貧しきときも、
健やかなるときも病めるときも」
という趣旨の誓いが交わされます。
これは、とても深い言葉だと思います。
「これからずっと幸せでいられますように」
という誓いではありません。
人生には、豊かなときもあれば、苦しいときもある。
健康なときもあれば、病気になることもある。
そんな人生の変化を知ったうえで、
それでも相手の人生から目を背けず、共に在る。
そういう愛を誓う言葉なのではないでしょうか。
それは、「コンパッションの愛」に近いもの
だと私は考えます。
相手が自分にとって都合のいい状態
にあるときだけ愛するのではない。
相手が苦しんでいるときも、
その姿から目を背けない。
相手を自分の望む物語の中に
閉じ込めるのではなく、
その人自身の人生を尊重しながら見守る。
それもまた、愛なのだと思います。
ところがエリザベスは、その誓いを聞いていなかった
本文では、結婚式の最中、エリザベスはすでに
「死」への恐怖で頭がいっぱいになっており、
結婚式の誓いの言葉も上の空になっていたこと
が描かれています。
その上、
「牧師の話が長いとあくびが出るから短くしてほしい」
と注文までつけていました。
ここが、私はとても象徴的だと思いました。
目の前には、
これから人生を共にする愛する人がいる。
けれどもエリザベスの意識は、
「いつか訪れる別れ」に向かってしまっている。
「今、この人とどう生きるか」ではなく、
「いつか、この人を失ってしまう」
という未来の出来事に意識を奪われているのです。
そして、ここにはエゴの特徴がよく表れています。
エゴは、目の前の現実よりも、
「失いたくない」
という自分の願いに意識を向けてしまう。
「結婚する」ことがゴールではなかった
エリザベスにとって、「愛する人と結婚する」は
幼い頃からの夢でした。
だからこそ、「結婚する=夢を達成する」というところで、
物語が終わってしまった。
でも、本当は違ったのではないでしょうか。
結婚式はゴールではなく、スタートです。
「結婚する」というdoingの先には、
「妻として、パートナーとして、どう在るのか」
という新しい人生のbeingが始まっています。
もしエリザベスが結婚式の誓いを
もっと真摯に受け取ることができていたなら、
「いつか死によって、この人を失う」
という未来ではなく、
「今日から、この人とどんな人生を生きていこう」
という現在に、意識を戻すことができたのではないでしょうか。
結婚という「達成」ではなく、
パートナーとして生きるという「在り方」。
そこには、まだ始まったばかりの人生があったのです。
死は「人生の失敗」ではなく、一つの区切り
人生には、終わりがあります。
身体は生まれ、成長し、老いて、やがて死を迎える。
それは誰にも避けられない、自然の摂理です。
だからこそ、「死なないように生きる」
ことだけを人生の目的にしてしまうと、
私たちは「今ここで、どう生きるか」を
見失ってしまいます。
死は、一つの人生という物語の区切り。
その区切りまでに、
何を成し遂げたかだけではなく、
どんな意識で生きたのか。
どんな人間として在ったのか。
そこに、人生の本当の意味が
あるのではないでしょうか。
エゴが恐れるべきなのは、
死そのものではなく、
「この人生という貴重な時間の中で、
どれだけ自分の精神を成長させること
ができたのか」なのだと思います。
「死ぬまでに、何をする?」ではなく
エリザベスは、結婚という人生最大の夢
を叶えた瞬間に、再び「死」と向き合う
ことになりました。
でも、それは彼女にとって
新しい人生の扉だったのかもしれません。
夢を叶えたら終わり。
何かを達成したら終わり。
幸せを手に入れたら、
それを失わないように守り続ける。
そんな生き方から一歩進んで、
「この人生を、私はどんな自分として生きるのか」
という問いへ。
人生には、いつか終わりが来ます。
だからこそ、
「死ぬまでに何をしなければならないのか」
だけではなく、
「死ぬ瞬間まで、私はどんな自分で在りたいのか」
を考えてみる。
それは、死を恐れるエゴにとって、ひとつの
大きな意識の転換になるのではないでしょうか。
そして、エリザベスが結婚式で聞き流してしまった
「誓い」の言葉もまた、そんな人生の在り方を
静かに教えてくれているように、私には感じられるのです。
次回も「イニシエーション」の解説を予定しています。
Noteも更新しました。こちらも読んでいただけたらうれしいです!
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