こんにちは、リブラです。

今回は「ミルトン・エリクソン心理療法<レジリエンスを育てる>」の第6章の解説です。

 

*兄に怪我を負わされた5歳のロキサンナのトラウマ

 

エリクソンの娘ロキサンナは5歳のとき、兄ランスのせいで足の親指の爪を剥がす怪我を負わされました。

 

ランスがドアの敷居のところで、ロキサンナの足を捕まえたことで起こった事故でした。

 

その怪我だけでも5歳のロキサンナにとっては大きな痛みでしたが、兄が自分のしたことをあまり悔いていないことにも傷ついていました。

 

足の傷が治ったころ、エリクソンはロキサンナを診察室に連れてきて、慎重に次のように話しました。

 

「もし、ランスが肩車をしてくれたら、きみは天井にある秘密の『スイッチ』を見つけられるよ。

 

ただ、きみが何を探しているのかをランスに言ってはいけない。

でも、もし見つけたら、好きなところにそれをとりつけていいし、好きなやりかたでそれを使ってもいいからね」

 

ロキサンナがランスのところに行って肩車を頼むと、ランスは機嫌よく頼みを聞いてくれました。

 

彼女は難なく想像上の『スイッチ』を見つけましたが、それを自分の服のどこにつけるか迷い、決められませんでした。

 

ロキサンナは爪先に煩わされることがなくなったばかりか、ランスのおかげで楽しい気分にもなり、それ以降事故のことを考えてもさほど悲しくならなくなりました。

 

ー「ミルトン・エリクソン心理療法<レジリエンス>を育てる」ーより  

 

故意にではなくても、足の爪を剝がす怪我を5歳の妹に負わせて謝罪の気持ちも表さない兄ランスは、通常なら「悪い子」のレッテルを家族に貼られます。

 

実際、被害に遭ったロキサンナは、「悪いお兄ちゃん」という認識を持ったことでしょう。

 

でも、ここの舞台はエリクソン家です。

エリクソンが良し悪しの二極化思考でランスを裁き、「悪い子」認定するわけがありません。

 

「悪い子」の烙印を押したら、ますますランスは「悪い子」ぶりを発揮するでしょう。

 

だから、エリクソンはロキサンナが兄につけてしまった「悪い子」のレッテルを剥がす機会を与えたのです。

 

ロキサンナはランスが謝らないので、いつ「悪いお兄ちゃん」がとびかかってきてまたひどい怪我を負わされるかわからない不安を抱えていました。

 

身体の大きな兄の腕力には勝てない無力感を味わい、代わりに両親に兄を罰して欲しいと思っていたことでしょう。

 

けれども、自発性を尊重するエリクソンは、無理にランスを謝らせたりしません。

ただ、「悪い子」のレッテルを剥がす名誉挽回の機会として、ロキサンナを「肩車してあげること」を提案しただけです。

 

怪我を負わせた兄に肩車を頼むことは、ロキサンナにとって大きなチャレンジです。

でも、兄の上に乗る機会はそう滅多にありません。

 

それに、天井の「秘密のスイッチ」も魅力的です。

兄はロキサンナが「秘密のスイッチ」を見つけるまで、彼女が何をするのかわからないまま肩に乗せることになるのですから。

 

兄にロキサンナが感じた不安を少し味合わせることもできるのです。

 

また、ランスの方にしても、ちょっ悪ふざけのつもりがロキサンナに大怪我を負わせてしまい、どう対応してよいのかわからず、罪悪感を抱いていたことでしょう。

 

ランスはエリクソンに「お尻を叩かれてみたくて」病院のガラス窓を7枚も割ってしまうような子です。

 

ランスは自分が謝るくらいではロキサンナに申し訳ない、でも何をしてあげたらいいのかわからない、というジレンマに陥っていたのでしょう。

 

だから、ロキサンナが肩車を頼んだとき機嫌よく引き受けたのもうなずけます。

 

エリクソンはこの2人に「注意のそらし」「新たな方向づけ」というストラテジーを使っていると、この本は解説しています。

 

ロキサンナは足の怪我が治っても心の傷が癒えていないので、兄の悪いところに意識を向ける。

ランスもロキサンナを見るたび、自分がしでかしたことを思い出し罪悪感に意識が向かう。

双方ともが爪剥がし事故が起こきたところで、意識の時間が止まった状態です。

 

エリクソンはロキサンナに「秘密のスイッチ」、ランスには肩車奉仕に意識を向けさせ、「注意のそらし」を成功させたのです。

 

きっとロキサンナは想像上の「秘密のスイッチ」を兄の肩車上で見つけたとき、久しぶり心が軽くなったのを感じたことでしょう。

誰かの被害者意識になっているという感覚は、苦しいものです。

 

そんな思いにとらわれているより、「秘密のスイッチ」を自分の洋服のどこにつけるかを想像する方が大事と思ったことでしょう。

 

すると、爪剥がし事故で止まった時間が動きだし「新たな方向づけ」に集中するエネルギーが湧いてくるのです。

 

ロキサンナにとってそれは「秘密のスイッチ」を自分の洋服のどこにつけるかに思いを巡らせることであり、「悪いお兄ちゃん」のレッテルを剝がし、「妹の気の済むまで肩車に付き合ってくれる優しいお兄ちゃん」という新たな認識を持つことだったのです。

 

振り返ってみれば、わたしのきょうだいにも今回のようなケースがありました。

 

わたしには5歳下の妹と、8歳下の双子の弟と妹がいます。

 

わたしが高校生のとき、両親が親戚の結婚式に呼ばれて不在で、わたしが下の子たちの昼食を作ってあげることになりました。

 

妹たちが「オムライスが食べたい!」とリクエストしたので、わたしは「1つ1つ卵にくるまないといけないから順番ね。その間部屋の片づけや食器の準備を手伝って!」と言いました。

 

日頃から、わたしの両親は、一人息子を溺愛していたので、弟だけは何のお手伝いもさせませんでした。

そのため弟は、1番最初に出来上がったオムライスを当然のように「自分によこせ」と主張しました。

 

わたしは「1番お手伝いした子が、1番に決まってるじゃない?」と言って、双子の片割れの8歳下の妹に最初のオムライスを渡しました。

 

すると弟が、2個目のオムライスを用意しているわたしの背中に向けて、フタを開けた状態のケチャップをぶつけました。

台所とわたしはケチャップまみれになりました。

 

頭にきたわたしは「もう、あんたの分はオムライス作る気が失せたから、冷蔵庫の冷やご飯に卵でもかけて食べなさい。

 

でも、台所のケチャップの汚れを全部キレイに拭いてくれたら、最後にオムライスを作ってあげる気分になるかもしれない」と言いました。

 

わたしはむくれている弟を台所に残して、5歳下の妹のと自分のオムライスを完成させて居間で食べ始めました。

 

食べ終わってから台所に戻ると、ケチャップ汚れはキレイに拭き取ってあったので、わたしは4つ目のオムライスを作って弟に渡しました。

 

弟はわたしにケチャップをぶつけたことを謝ったりしませんでしたが、「謝罪させないと気が済まない気持ち」を「ケチャップ汚れの掃除」に「注意のそらし」したため、怒りの矛先が「ケチャップまみれになった自分の背中」から「ケチャップまみれになった台所」に移りました。

 

そして、台所はキレイになっていたので、「弟を許してオムライスを作る気になった」=「新たな方向づけ」ができたわけです。

 

弟にしても、赤ん坊のときの授乳から双子の妹よりも「最優先されていた」から、妹が先にオムライスをもらって自分が後回しの順番に怒りが出たのでしょう。

 

「自分より妹が優先された」という怒りがあるうちは、その抗議としてぶつけたケチャップのことは謝る気になれない。

 

だから、「台所の掃除」に「注意のそらし」で意識が移った時点で「自分より妹が優先された」という怒りは静まり、「ケチャップ汚れをキレイにする気になった」=「新たな方向づけ」になったのでしょう。

 

弟の「新たな方向づけ」の効果は絶大で、「ケチャップまみれ事件」以降、弟は自分から玄関の掃除係を毎日するようになり、部屋が散らかっていると掃除しないと気が済まない掃除の鬼になりました。

 

近親者で「謝らない相手」にストレスを感じたら、その人でも簡単にできそうなことを頼んで自身の怒りの矛先の「注意のそらし」をしてみるとよいでしょう。

 

「相手が自分の指示したことをやっている」のを見れば、潜在意識が被害者意識を手放し怒りが静まるのを感じるはずです。

 

すると、「謝らない相手」との問題でストップしていた時間やエネルギーが動きだし、「自分の明るい未来に意識を向ける」=「新たな方向づけ」ができます。

 

次回は「ミルトン・エリクソン心理療法<レジリエンスを育てる>」の解説を予定しています。

 

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最後まで読んでくださり、ありがとうございます。