こんにちは、リブラです。今回は、ナポレオン・ヒルの「悪魔を出し抜け!」第9章の解説です。
ヒル「わたしは生まれてからずっと、聖職者たちが罪や罪人について警告するのを聞いてきました。
でも、その罪が何であるのかは説明されたことが1度もありません。
この点について何か意見がありますか?」
悪魔「罪とは、人間が自分の考えや行いによって自分自身を不幸にすることをいうのだ!
心身ともに健全な人間は、自分自身に対して平安である。故に幸福でいられる。」
ヒル「明確な目的や計画や目標をもたず、人生を流されていくのは罪ですか?」
悪魔「そうだ。それが習慣になると、貧困に陥り、自分の人生を自分で決めることができるという特権が壊されてしまうからだ。
さらに『無限の知性』とつながる媒体である、自分の意識を自由に使うという特権も失ってしまう」
ヒル「全く罪を犯さない人間の意識でも、あなたは支配できるのですか?」
悪魔「それはできない。なぜなら、そういう人間は、否定的な思考で自分の意識が占領されるのを黙って見ていることはないからだ」
ヒル「罪の中でも、最も破壊的なのは何ですか?」
悪魔「恐怖と無知だ」
ヒル「信念とは何ですか?」
悪魔「信念とは、積極的な思考の力を認識し、それを使うことのできる心の状態のことだ。
信念を媒体にして、人間は『無限の知性』とつながり、それを意のままに利用できるようになる」
ヒル「つまり、信念とは否定的な思考が1つもない状態をいうのですね」
悪魔「そうだ。そういう言い方もできる」
ヒル「『流される』人間にも信念を使う力はありますか?」
悪魔「『流される』人間もその力は持っているが、それを使うことはできない。
いかなる人間にも自分の意識から否定的な思考を追い出す力は秘められている。
したがって、その気になれば誰でも信念の力を利用することができる」
ヒル「言い換えれば、信念とは明確な目標を持ち、その目標を必ず達成できると強く信じることなのですね?」
悪魔「まさしく、その通りだ」
ー「悪魔を出し抜け!」第8章よりー
ここでヒルが質問した「罪」とは、法律によって裁かれるような「罪」ではなく、「なんだか悪いことをしているような気分」になって自分に裁きを与えねばという思い=「罪悪感」を発動するような罪です。
その大半は、誰かに迷惑をかけたとか、不用意な言葉で心を傷つけたとか、期待に応えることができなかったとかなど、人間関係において発生する罪がほとんどです。
でも、それだったら、「罪悪感」でうじうじと悩んでいる間に、相手に謝罪したり、𠮟られたり、埋め合わせをしたり、責任をとったりすれば、終了します。
そうならないで罪の意識に悩むのは、「なんだか悪いことをしているような気分」に駆られて自分を裁くような案件のときです。
「わたしは何の役にも立てなかった」とか、「志を達成できたためしがない」とか、「わたしの存在そのものがお荷物なんじゃないか」とか、「わたしは自分が何で、何がしたいのかさえわからない」などの「罪」で裁く、自分自身の存在に向けての「罪悪感」です。
この自分自身の存在に向けての「罪悪感」は、とても厄介です。
なぜなら、この手の「罪悪感」は、悪魔(エゴ)がわたしたちの意識を安全圏だけに向くように仕掛けるトリックだからです。
「なんだか悪いことをしているような気分」だけで自分を裁くとき、「罪悪感」で自分を無意識に責め続ける状態になり、前に進むエネルギーを奪ってしまうのです。
せっかく明確な目標を持ち、新しい人生の展開に向けて計画を立てているにもかかわらず、「自己満足のために自分のエネルギーを使っていいのだろうかという気分」がよぎったとしたら、既に「罪悪感」のトリックに引っかかっています。
悪魔(エゴ)も「罪とは、人間が自分の考えや行いによって自分自身を不幸にすることをいうのだ!」と種明かしをしています。
「罪悪感」により自身の考えや行動に制限されて、自由意志を奪われるシステムこそが「罪」であり、「罪」の意識を人間に植え付けることは、悪魔(エゴ)の職務なのです。
自分の頭で考え、自由意志を行使しようとするとき「罪悪感」が自動発動します。
「いかなる人間にも自分の意識から否定的な思考を追い出す力は秘められている。
したがって、その気になれば誰でも信念の力を利用することができる」
と悪魔は言っているので、わたしたちが「信念の魔法」に気づいてしまったら、もう、「流され」なくなり、思いのままにコントロールすることができなくのを知っているのです。
それを防止するため、わたしたちが自分の頭で考え、自由意志を行使しようとするとき「罪悪感」が自動発動するように思考回路に組み込んでいるのです。
言い換えれば、誰しも、自分の頭で考え、自由意志を行使しようとするとき「罪悪感」が自動発動して自分を責め、前に進むエネルギーを削がれるということです。
それくらい、悪魔(エゴ)はわたしたちが「信念の魔法」を使うのを恐れています。
「信念とは明確な目標を持ち、その目標を必ず達成できると強く信じること」だからです。
「明確な目標」と「それが必ず達成できると信じる」ことがセットになったら、必ずそれは具現化します。
もう、悪魔(エゴ)の餌にわたしたちは振り回されることはなくなるのです。
それでは、悪魔(エゴ)も恐れる人類の最終兵器「信念の魔法」は、どうしたら使えるのでしょうか?
「信念とは明確な目標を持ち、その目標を必ず達成できると強く信じること」ですから、「明確な目標」を持つ必要があります。
まず、自分のために自分の頭で自由に「明確な目標」を考えます。
この段階で、必ず、「罪悪感」が発生してモヤモヤしたり、違和感を覚えたりしますが、それは悪魔(エゴ)が「やめてくれ~」とあげている悲鳴だと思ってスルーします。
この「罪悪感」の試練を乗り越えると、「明確な目標」は自分のものとして認識され、向かうべきベクトルが定められます。
しかも、「罪悪感」による「自分責め」をしないので前に進むためのエネルギーは温存されています。
「明確な目標」が定まり、向かうべきベクトルが定められ、それを推し進めるエネルギーが温存しているならば、目の前にニンジンをぶら下げた馬に乗っているような状態=ドーパミン(快楽&興奮)が分泌してやる気スイッチONの状態になるのです。
ドーパミンは、飢えた人間が目の前の獲物を仕留めるため底力を振り絞って襲い掛かる力を発動する「快楽&興奮」の神経伝達物質です。
これが分泌されるとワクワクとした高揚感で、疲れも怖れも吹っ飛んだ状態になり、目的を達成することに全集中できるのです。
絶体絶命のときに全集中の呼吸で火の神神楽を繰り出す炭治郎みたいになるのです。
「信念の魔法」とは、ドーパミンを分泌させるための魔法なのです。
それには、「罪悪感」による「自分責め」をスルーするという条件がありますが、それさえクリアすれば、やる気スイッチはONになり、「信念の魔法」の発動で「明確な目標」は現実化するのです。
次回はエリクソンの「わたしの声はあなたとともに」の解説を予定しています。
わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。
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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
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