こんにちは、リブラです。今回は、ナポレオン・ヒルの「悪魔を出し抜け!」第9章の解説です。

 

ヒル「明確な計画と目標を持った人間が、ときどき自分の望むものを手に入れた後、本当はそんなものが欲しいわけではなかったと気づいた場合、どうすればいいのでしょう?

 

悪魔「心の平安や満足感、幸福感に満ちた人生からは、その人生に不要なものは自然と取り除かれる。

 

自分の望まないものによって不快を感じるような人生を送っている人間は、明確に生きることのできていない人間だ。

かれらはみな『流される』人間だ」

 

ヒル「お互いを必要としなくなった夫婦は、離婚すべきなのでしょうか?

それとも、『すべての結婚は天の定めたもの』だから、契約によって永遠に縛られ、双方にとって不毛なものであると判明しても、別れるべきではないのでしょうか?」

 

悪魔「まず、『すべての結婚は天の定めたもの』ということわざについて訂正しておきたい。

というのも、その中にはわたしの支配のものも含まれているからだ。

 

結婚であれ、ほかのどんな人間関係であれ、調和のない2つの意識が無理やり一緒にさせられることは決してあってはいけない。

 

衝突や仲たがいは必ず『流される』習慣を生み、当然そういう人間は明確でいることもできなくなる

 

ヒル「ときに、義務感からある人間関係に縛られてしまい、そのため、人生で最も望むものを手に入れようにも現実には無理という人がいるのではないですか?

 

悪魔「どんな人間も、まず、『義務』を負うべきは自分自身なのだ。

すべての人間は、幸福で充実した人生を自分に与えるという義務がある。

 

それを達成し、もはや自分の願望の実現のためには時間もエネルギーもそれほど必要なくなったという人間だけが、他人を助けるという義務を負うことになる」

 

ヒル「子どもは自分を生んで育ててくれた親に対して何らかの『義務』があるのではないでしょうか?」

 

悪魔「そんな『義務』はまったくない。むしろ、その逆だ。

親は子どもに対して、自分の持っている知識をすべて与えるという『義務』を持っている。

 

子どもを助けるどころか、反対にダメにしている親が多すぎる。

かれらは『義務』という言葉の意味をはき違え、子どもを甘やかしてばかりいる。

 

ほんとうは、子どもたちが自力で知識を得るよう仕向けなくてはならないのだ」

 

ー「悪魔を出し抜け!」第8章よりー

 

わたしたち人間は、頑張って手に入れたものを手放そうとするとき、大なり小なり執着が発生します。

欲しいものではなかったと気づいても、なかなか手放せなかったりします。

 

それは手に入れたものが惜しいのではなく(それはもう要らないと思っているわけですから)、「そこに費やしたエネルギーが無駄だった。それを手に入れる目標が間違っていた」と思うことが嫌だからです。

 

でも、そんなときこそ、悪魔のヒプノティック・リズム(大衆心理による集団催眠)に巻き込まれていたことに気づくチャンスなのです!

 

わたしたちが「これ欲しい!」「これが目的」と定めるとき、純粋な魂意識の衝動かなのか?というと定かではありません。

 

巷に溢れる情報に刺激され、悪魔のヒプノティック・リズム(大衆心理による集団催眠)に巻き込まれてそれが欲しくなっていることが多々あるからです。

 

「みんな持っているからわたしもそれが欲しい」とか、「結婚して子どもを持てば親を喜ばせることができる」とか無意識レベルの思いが働いて、「それを目標にしよう」という衝動が浮上することもあるのです。

 

それを明確な計画のもとにその目標が達成されることを信じて行動したならば、現実化されて手にすることになります。

 

けれども、望んだものを手に入れた瞬間違和感を感じて、それは本当に望んだものではない、要らないものだった判明するのです。

 

頑張って目標を達成したのに手に入れたものが望んだものでなかったら、がっかりしますよね。

でも、このがっかり感は、それまで気がつかなかった「ほんとうの望み」を知らせているのです!

 

悪魔(エゴ)の「分離思考」で考えると、「望んだもの」は手にする価値があり、「望んだのと違いがっかりさせたもの」はそもそも目標が間違いで、要らないとわかったら捨てればよいと判断します。

 

だから悪魔はこの質問に対して、

「自分の望まないものによって不快を感じるような人生を送っている人間は、明確に生きることのできていない人間だ。

かれらはみな『流される』人間だ」と答えたのです。

 

でも、神(魂意識)は「統合思考」ですから、起こること、出会うもの、つながるものはすべて必然と考えます。

5次元的発想でも、過去(望んだ自分)・現在(望んだものではないものを得て失望した自分)・未来(望んだものを手にして満足している自分)は同時存在していて分離がありません。

 

「分離思考」では失敗と見做したものが、「統合思考」では、失敗を含めた全部が一続きで成功の種に変わるのです。

 

悪魔もこのことは「『流される』人間と『流される』ことのない人間の違いについて」を説明したときに言ってました。

 

『流される』ことのない人間は、一時的な失敗ぐらいでは諦めず、むしろその失敗を糧に成功を遂げると。

 

「これがわたしの望み」と信じて頑張り手に入れたものが予想と違ってがっかりしたら、そのおかげでヒプノティック・リズム(大衆心理による集団催眠)の影響から目が覚めたと喜びましょう。

定かでなかった「わたしの望み」が、これは違うと選別できて明らかになってきたのですから。

 

「わたしの望み」はどんな望みであれ、唯一無二の自分の個性の表れであり、自分の価値観に気づくチャンスなので、みんなと違うものを望んで当然です。

 

みんなと違うものを望むときは、見えるところに転がっているはずもなく、誰かにその在り処を尋ねるわけにもいきません。

自分の勘だけがそれを探り当ててくれるのです。

 

これは「明確な目標」により獲得した「望んでいないもの」だけでなく、人間関係でがっかりした場合も同様です。

仲良しで調和があるときだけ付き合って、衝突や仲たがいをしたらすぐ別れるならば、おそらく同じパターンを別な相手と繰り返すことになるでしょう。

 

長い年月苦楽を共にして信頼の絆を深めている夫婦は、かなり高い確率でお互いのホロスコープの天体がハードアスペクトの配置を持っています。

 

人間は、特に恋愛関係は自分にないものを持っている相手の方が魅力を感じて惹かれます。

でも、それは異なる性質同士の衝突や摩擦を招きます。

そこで別れてしまうと、また新しい相手に惹かれて仲良くなり、衝突して別れる・・・を繰り返すことになります。

 

魂意識が惹かれ合う関係は、お互いに魂の強い好奇心が働いています。

魂は両性なので、性別の違いで惹かれているのではなく、純粋に個性の違いに好奇心を抱いているのです。

 

「大いなる存在」と一つにつながっている自分と相手が、「元は一つなのにこんなに違う現れをしておもしろい」とその個性に驚きを感じるとき魂の恋が始まり、相手と自分の個性の相互理解に進むと好奇心が満たされ共鳴共振反応が起こります。

 

相手と自分の魂意識が共鳴しているときは、「大いなる存在」と一つになって三位一体で共振するのでとても愛に満たされた感覚になります。

 

でも、魂は個としての冒険をするために転生しているので、共振すると好奇心は失せます。

そして、また、それぞれの人生のトライアルで個性の新たな一面を見つけると再び好奇心を抱くのです。

 

魂のレベルだと、相手の個性に好奇心を持っているうちは一緒にいるけれど、それがなくなると関係を解消する方向に自然に向かうようです(というか、あらかじめいつ出会い、いつ離れるかは魂同士で転生前から設定してあるみたいです)。

 

魂同士は好奇心でつながる自由な関係ですから、エゴが人間関係に義務を持ち込み、縛り合うのをおもしろいゲームを眺めるように観察しているのです。

 

そういう点から見ると、当人同士が衝突や仲たがいをしているのを、お互いの魂意識同士は仲良く観戦しているのかもしれません。

 

次回は「悪魔を出し抜け」の解説を予定しています。

 

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