こんにちは、リブラです。今回はミルトン・エリクソンの本を題材に、潜在意識の世界を解説してこうと思います。

 

*われわれ身体障害者

 

エリクソンが教える医学部の学生が不慮の事故で片脚をなくしました。

彼は社交的でみんなに好かれる成績優秀な生徒でしたが、事故後義足を着けてからはとても引っ込み思案で過敏になりました。

 

学生部長は、その学生が親しみやすさをなくし、挨拶すら返さなくなったこと、本ばかり読んで自分のことだけするようになったことを心配して、エリクソンに相談しました。

 

エリクソンは学生部長に「数週間のうちにクラスに溶け込めるよう、その少年の世話をしてみましょう」と言いました。

 

エリクソンは3人の学生を呼んで次のような指示を与えました。

「ジェリーは来週の月曜日の朝、4階に上がってエレベーターのドアを開けていなさい。

トミーは階段の吹き抜けに立って1階を見下ろし、わたしが階段を登って来るのが見えたら、ジェリーにエレベーターのドアを放すように合図を送りなさい。

サムは1階のエレベーターのボタンを押していなさい」

 

「来週の月曜日の朝、エリクソン先生がクラスのみんなに悪ふざけをやるだろうという噂を流しなさい」

 

その月曜朝7時30分、ジェリーは4階のエレベーターを開けておき、トミーは階段の吹き抜けで待機し、エリクソンはクラス全員の生徒と一緒に1階のエレベーター前にいました。

 

エリクソンがサムに「君の親指はどうかしたのかい、力が入らないのかね?エレベーターのボタンを押してくれないか」というと、

「もう押しています。きっと管理人がバケツやモップを降ろすのに苦労して、エレベーターを開けたままにしているのでしょう」とサムは答えました。

 

エリクソンは義足を着けた学生の方を向き「われわれ身体障害者は、よたよたと歩いて階段を上がろうじゃないか。

エレベーターは健常者にとっといてやろう」と話しかけました。

 

エリクソンとその学生が階段をよたよたと歩き始めると、トミーが合図を送ってエレベーターを動かし、待っていた健常者たちはそれに乗りました。

 

そしてその授業時間の終わりには、例の学生は新たなアイデンティティ(自己同一性;「自分とは何か」という自己定義)とともに再び社交的になりました。

 

彼はエリクソンの「われわれ身体障害者」という言葉で、脚が不自由でも医師であり教授であり階段を登っているエリクソンと自分を同一視して、同じグループに入れることができたのです。

 

ー「私の声はあなたとともに」ーより

 

急なアクシデントや急激な環境や関係の変化で、それまでの自分が保っていられない状況にさらされたとき、人はアイデンティティクライシス(自己同一性の危機)に陥ります。

 

長年勤めていた仕事を引退するとか、子育てが終わった後の母親とか、離婚して妻や夫ではなくなったとか・・・。

それまで馴れ親しんでいた自分のキャラクターにふさわしい役割や立場や器を失くして、自分をどう捉えてよいのかわからなくなるのです。

 

片脚を失った学生も、五体満足で有望な前途がある医学生だったのでしょう。

そして、彼のクラスのみんなも不自由な身体を持つ人はいなかったのでしょう。

 

突然片脚を失って絶望したとき、心も元の自分に戻れず、かといって新しい自分はなおさらわからない。

本人がそのような状態だから、クラスの友だちもどう接してよいのかわからず、つい、憐みの視線を向けてしまったのかもしれません。

 

「かわいそうな人」というキャラクターが常について回り、もう、以前と同じような付き合いができないのだとしたら、自然と人間関係を遠ざけて孤立したくもなります。

 

でも、彼は元来社交的な人だったので、自ら孤立しても心の底には、所属欲求(人とつながりたいという欲求)が潜んでいます。

 

そこでエリクソンは彼の所属欲求に焦点を当てました。

エリクソンは「われら身体障害者」というグループを結成してしまおうと考えたのです。

 

健常者の集団の中で片脚が義足の人が同じように振る舞うのは無理があり、劣等感を感じてしまいます。

 

しかし、小児麻痺の後遺症があり、杖をつきながら歩いているエリクソンとならば、よたよた歩くのが普通で、義足の学生もマイペースが保てます。

 

そして、エリクソンは身体が不自由でも心が自由で、自分にも他者にも寛大です。

しかも、教授として生徒たちからも尊敬されています。

 

その学生はエリクソンにわれわれ身体障害者は、よたよたと歩いて階段を上がろうじゃないか。エレベーターは健常者にとっといてやろう」と言われ、そこに仲間入りすることで所属欲求を満たし、「健常者にエレベーターをとっておいてやる」という考え方で、劣等感を払拭したのでしょう。

 

片脚が義足というハンデを超えて階段を登りきったときの彼は、五体満足だった頃よりも強い精神力を備えて、その自分を誇りに思ったことでしょう。

 

自分の弱点や欠点を責めず、それを守り、補い、工夫して、その弱点や欠点も含めて自分を愛することができたら、最強の精神力を備えることができます。

 

やぎ座4天体とやぎ座アセンダントを持つエリクソンは、そうやってストイックで現実的な努力の積み重ね、全身麻痺だった状態から自由に歩き回れる身体に変え、自分で学費を稼いで医者になり、独学で催眠療法の第一人者になりました。

 

例の学生は、そんなエリクソンと仲間になることでモデリングし、新しい自分の明るい未来の方向性を得たのでしょう。

 

こうして自分の新しいセルフイメージ(例の学生の場合は身体障害者としてのセルフイメージ)を肯定的に捉えられるようになると、安心して自分らしさを人前で表現できるのです。

 

そして、健常者の友だちと対等に付き合っていく自信をつけたのでしょう。

 

以前、シラーの小鳥のおとぎ話を読んだのを思い出しました。

 

昔、神様が生き物を創ったとき、それぞれに特性を与えて、この世で生き残る武器とさせました。

 

それを羨ましく思った小鳥たちは「わたしたちは弱く、ちっぽけな足では速く逃げることもできません。何か守れる武器をください」と訴えました。

 

すると神様は小鳥たちの背中に何か重いものを載せました。

小鳥たちはそれが何なのかわかりませんでしたが、神様が与えてくれたので文句は言えません。

 

背中の重みで前よりさらに不安定になり、よたよた歩き、転んだりしていました。

強い生き物に崖っぷちに追い込まれたときに、思わず下に飛び降りると背中で羽が開いて空を舞いました。

 

小鳥たちは、自分の翼で空の世界を自由に飛ぶことができるようになったのです。

 

わたしたち人間は、無限の可能性を秘めています。

限界を作ってしまうのは、わたしたちの自分に対する固定観念の仕業です。

 

ハンデや逆境を重荷として背負っているままでは、翼をもらっても飛ぼうとしない小鳥と同じです。

 

背負ったハンデや逆境は、それを超える力を引き出して「新しい自分」を生み出すチャンスです。

わたしたちの神秘的な力が発揮されるのは、不死鳥のような「新しい自分」が生まれる瞬間なのです。

 

次回はエリクソンの「わたしの声はあなたとともに」の解説を予定しています。

 

わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。

 

詳しくはこちら をご覧ください。

 

新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。