こんにちは、リブラです。今回はミルトン・エリクソンの本を題材に、潜在意識の世界を解説してこうと思います。

 

*必要ないもん

 

エリクソンの娘クリスティは、母親が読んでいた新聞をひっつかむと床に投げつけました。母親が「だめじゃないのクリスティ、新聞を拾って、ちゃんと謝りなさい」と言うと、クリスティは「そんなの必要ないもん」と答えました。

 

エリクソンは寝室で横になっていたので、そこにクリスティを呼びました。エリクソンはベッド上にクリスティを乗せて足首を握りしめました。

 

彼女は「放してよ」といいましたが、エリクソンは「その必要はない」と答えて足首を握りしめ、クリスティは蹴ったり、もがいたり、2人のタイタン(ギリシャ神話の巨人)のような闘いが続き4時間が経ちました。

 

するとクリスティは負けを認め「新聞を拾ってお母さんに返してくる」と言いました。ところが、エリクソンは「そうする必要はない」と言いました。

 

クリスティは思考を巡らし「あたしは、新聞を拾ってお母さんに返してくる。お母さんにごめんなさいって言うの」と言いましたが、エリクソンはまた「そうする必要はない」と言いました。

 

クリスティはさらに頭をフル回転させて「あたしは、新聞を拾いたいの。お母さんに謝りたいの」と言ったとき、ようやくエリクソンは「よろしい」と言いました。

 

10年後、娘のロキシーとクリスティは、母親に向かって怒鳴りました。エリクソンは2人の娘たちを書斎に呼び「お母さんに向かって怒鳴るのは感心しないね。そこに立ってよく考えなさい」と言いました。

 

クリスティは「あたしは一晩中でもここに立っていられるわ」と言い、ロキシーは「お母さんに大きな声を出したのは良くないと思うので、謝ってきます」と母親のところに行きました。

 

エリクソンは原稿を書きながら1時間してクリスティを見て、もう1時間、原稿を書いてまたクリスティを見て言いました。

「時計の針ですらとてもゆっくりのようだ」。

 

そして30分後、「おまえがお母さんに言ったのは、とても馬鹿げたことだと思う。お母さんに大声を出したのは愚かなことだ」とエリクソンが言うと、クリスティは崩れるようにエリクソンの膝に倒れかかり「あたしもそう思う」と言ってすすり泣きました。

 

このエピソード以外では、2~12歳までの10年間、1度もエリクソンはこの娘たちを叱ることはなく、15歳のとき1度叱ったきりで、たった3回叱っただけした。

 

ー「私の声はあなたとともに」ーより

 

子ども時代には、何かにつけて親に反抗したくなる第1次反抗期(幼年期)と、第2次反抗期(思春期)があります。親の立場からすると手を焼く厄介な時期なのでしょうけれど、子どもの成長プロセスとしてはとても重要です。

 

子どもは親に反抗することで、自分と外界の世界との渡合い方を学んでいきまです。けれども、多くの親は、子どもが反抗したりすると、善悪や社会基準に照らし合わせてしつけることを重視しがちです。

 

子どもはルールがわかっていないから、そのルールを教えることが大事と思うわけです。でも、子どもの側からすると反抗する内容はどうでもよかったりするのです。闘って自分の立場を勝ち取ることが目的だからです。

 

ヒトの子は、この世に生まれたときは食事も排泄も何から何まですべてお世話されないと生きていけません。保護者からサービスを受けっぱなしですが、お願いしてやってもらっているのではなく、大声で泣き叫び要求(命令)することで世話を受ける形になります。

 

気に食わないと泣いて、満足すると微笑みを与える。ある意味王様(あかちゃん)と下僕(親)のような関係ができあがるのです。そうするとあかちゃんは暴君のように、この世は命令ひとつで何でも思い通りのサービスを受けることができると思い込むのです。

 

あかちゃんの要求ぐらいだったら親は簡単に応えることができるのでそうしているのですが、それにも限界が出てきます。自分の足で歩けるようになり、広い世界を目にするようになると要求も複雑で高度になり親が叶えてあげられなかったり、禁止されたりするからです。

 

このとき発生するのが第1次反抗期です。要求さえすれば何でも下僕(親)が叶えてくれると思っていたのに、無視されたり禁止されたりして、「ひょっとしてわたしの玉座が脅かされていないか?」と疑い始めるのです。

 

「王様の玉座を奪還するために、下僕と闘わねば」と第1次反抗期の幼児は思うわけです。

母親が読んでいた新聞をクリスティが掴んで床に投げ捨てる暴挙に出たのも、「なんでわたしの下僕はわたしを無視して新聞なんか読んでいるのよ!」と腹を立てたからでしょう。

 

無条件に愛され大切にされるのは当然と思っているから、自分を無視した下僕(母親)に制裁を与えて妥当だと幼いクリスティは思ったことでしょう。だから、母親から「新聞を拾って、謝りなさい」と言われたときに「そんなの必要ないもん」という言葉が飛び出したのです。

 

そして、父親のエリクソンには足首を掴まれて自由を奪われました。ここで第1次反抗期の子どもは、無力感を体験します。この世が自分の思うようにならない所で、自身は王様ではなかったことを知るのです。

 

幼いクリスティは、4時間父親と格闘してそのことに気づいたのです。そして、自分が変わらないと思い通り結果を引き出せないことがわかって、「新聞を拾って、お母さんに謝る」とを思いつくのです。そうすれば解放されるクリスティは考えたのです。

 

ところが、子どもの自発性を引き出したいエリクソンは、まだクリスティの足首を放してくれません。

「新聞を拾って、お母さんに謝るだけじゃ足りないの?どうしたらいいのかしら?あたしがお母さんだったらどうしてほしいだろうか?イヤイヤながら新聞を拾ったり、謝って欲しくないわ。あたしはお母さんに新聞を拾ってあげたい。ひどいことしたのを謝りたい」という一連の思考がクリスティの頭に巡ったことでしょう。

 

そして、幼いクリスティは命令によって人を思い通りにコントロールするのではなく、共感力を働かせて相手が喜ぶ形で自分の望みを叶る方法を学んだのです。

 

今回のエピソードでわかるように、クリスティはエリクソン家の中でも1番自我の強い頑固な子ですが、あえて難局を喜んでチャレンジし、望みを叶えるバイタリティー溢れる女性に成長したのでした。

 

医学部入学と同時に独り暮らしアルバイトを始め、学費と生活費の両方をすべて自分で稼いで支払い、医師になる過酷なコースをやり遂げたのです。

 

子どもの反抗期は成長の証。無力感の越え方にもがく時期でフラストレーションの塊になりますが、反抗期で大いに無力感を感じて格闘しておくことが逆境をバネにできる精神力を育むのです。

 

次回はエリクソンの「わたしの声はあなたとともに」の解説を予定しています。

 

わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。

 

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新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。