こんにちは、リブラです。今回はミルトン・エリクソンの本を題材に、潜在意識の世界を解説してこうと思います。
*紐ネクタイ
エリクソンは制限について、ニュースキャスターのビル・フォスビーがレストランでネクタイのクレームを受けた話を引用しました。
給仕長「ここではネクタイを着用しなければなりません。あなたがしているのは紐ネクタイだからダメです」
ビル「君のネクタイはいくらしたの?」
給仕長「(自信満々に)25ドルでございます!」
ビル「僕の紐ネクタイは200ドルなのだがね」
それを聞いて給仕長はまごついてしまいました。給仕長がまごついている間に、ビルは店の中に入り勝ってに選んで席についてしまいました。
ビルが着用していたのは風変わりなもの!そいつが200ドルもする!それに引き換え自分のは、たった25ドルだ・・・とその給仕長は思ってまごついたのでしょう。
だから、夢を持ちなさい。夢を見るときはいつでも、その夢に別の役者として登場する権利と特典を持っているのです。そしてそうすることで、これまで知ることのないようにしつけられてきた多くのことを発見できるでしょう。
「こうしてはいけない。ああしてはいけない。身なりや靴を正しなさい」。限られた指導に基づいて、わたしたちの理解力が独自に発展するのを妨げるのです。そして、わたしたちは制限されたパターンを手に入れるのです。
ー私の声はあなたとともにーより
ドレスコードがあるレストランって、正装して儀式でもするように食事をしなければいけないのでしょうかね。自由を尊ぶみずがめ座アセンダントに土星持ちのわたしは、そんな店では食事を楽しめない気がします(そもそもそんなところに行きませんが)。
客の方が店に品定めされているようで嫌な感じがします。
でも、こんなシステムがあるのは、わたしたちが子ども頃からルールによってしつけられてきた名残りなのだと思います。
ルールによって守られ、ルールによって選別されてハイクラスな枠組みに入れてもらうことに安心や喜びを感じるような教育をされてきたからでしょう。
ハイクラスな枠組みの中に入っているならば安心。変な格好の人がいるところでは自分までも同類に見られるのが嫌。そんな『群れ』単位で自分のことを考えしまう人々が思いつきそうなシステムだなと思います。
ドレスコードは極端な例ですが、学歴とか、資格とか、勤務先などで人を観るところは、社会システムの中に組み込まれているので、従うのが当然と無意識に受け入れている自分もいて、ハッとするのです。
25年間は資格に守られて病院勤務してきたので、制限の中で安心していた自分も確かにいるのです。わたしのその部分は、おとめ座冥王星と天王星だと思います。
おとめ座とルールは切っても切れない関係があります。「ルールを使って役に立つ」のがおとめ座の使命だからです。
おとめ座神話の主人公のペルセフォネは、大地の女神の母デメテルのいる地上と夫の冥界の王プルートのいる地下を規則正しく行ったり来たりすることで、両者の愛を受け取り、両者の争いを終結させて役に立ったのです。
ですから、おとめ座さんは観察力と分析力に優れ、そこに存在する法則やルールを見抜き、それを守ることで規律を維持して役に立とうとするのです。社会でみんなが健やかに暮らすためにルールは不可欠です。
ゴミ出しの時間を住民が守れなかったり、回収業者の仕事が不規則だったりすれば、ゴミが腐敗して悪臭を放ったりして結局みんなが不愉快な思いをすることになります。
確かにルールは制限を生むけれどわたしたちに必要です。でも、ルールのもたらす制限がわたしたちの思考や視野を狭め、潜在意識の可能性を妨げているのも事実です。
エリクソンは、「夢を持ちなさい。夢を見るときはいつでも、その夢に別の役者として登場する権利と特典を持っている」と制限の超え方説きました。
この話に登場したニュースキャスターのビルは、どこでも紐ネクタイで通す「自分が主人公」の役者を無意識に演じていました。一方、給仕長は、紐ネクタイのビルを見つけた時点で、給仕長役から「ネクタイ査定係」にキャラ変更してしまいました。
給仕長役だったら、お客に気持ちよく食事をしてもらうことを第一に対応したことでしょう。「ネクタイ査定係」に徹してしまったので、紐ネクタイの客はその店に相応しくないと判断し、客の紐ネクタイの方が自分のネクタイより高価と聞くと怯んでしまったのです。
これは、「自分が主人公」のビルの作戦勝ちです。「自分が主人公」役なら自分がルールを操る側なので、「ネクタイ着用」ルールから勝手に「高価なら紐ネクタイも可」に変えてしまい、値段で給仕長を怯ませた隙に椅子取りゲームのゴールを手に入れたのです。「自分が主人公」役のビルは「ルールにこだわる奴はルールの虜だから、値段のルールにはまるだろう」ともくろんだのでしょう。
ここで重要なのは、「自分が主人公」が最強だということです。「自分が主人公」なら役に誰よりも適役でその役に徹することができます。
給仕長の敗因は、慣れた給仕長役から不慣れな「ネクタイ査定係」にキャラ変更した点です。「ネクタイ査定係」に徹するなら、あらゆるケースのネクタイ査定に精通していなければなりません。高価な紐ネクタイという案件にまごついているようでは役不足です。
自分の人生の中では「自分が主人公」なのだという意識を持つと、その自分が描く夢は制限がありません。いつもルールの虜で自分が主になることが想定できない場合は、エリクソンの勧めるように、夢の中だけ制限知らずの別人格の役者を演じてみると良いでしょう。
好きな物語のヒーローやヒロインになった気分になって、自分の創った王国で好き勝手なストーリーを想像して楽しむのです。そしてその夢から醒めると、小さな制限のパターンに囚われているのがバカバカしく感じるでしょう。
ルールは必要だけど、どのルールに従うのかは選べるのです。おとめ座神話は、大地の女神の母と娘の物語なので、そのルールも自然界のルールなのです。自然界の生き残り(地球)のルールだけは守れている安心感があれば、あとの小さなルール違反に寛大になれます。
おとめ座が制限に悩むのは、自然界の健やかなルールを違反してまでも人間社会のルールを守ろうとするときです。わたしはそんなとき、そのルールを守ることとわたしの心と身体の健やかさを守ることのどちらが大事かてんびんにかけます。そして、両者のバランスのとれるところを選びます。
ルールを選び使う側になれば、ルールの虜になって制限の世界に閉じ込められる苦しみからは解放されます。
次回は「老子が教えるタオの哲学」の解説を予定しています。
わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。
詳しくはこちら をご覧ください。
新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。