こんにちは、リブラです。今回は、アニータ・ムアジャーニ著「喜びから人生を生きる」の第18章を解説をしていきます。
第18章「臨死体験についての質疑応答」のあらすじ
Q あたりを見まわすと、自分の現実や意見が正しいと主張する人たちの憎しみや口論で溢れているように思います。でも、あなたをはじめとする臨死体験をした人たちは、わたしたちが現実だと思っているものは夢と大差がないと言っています。このことについてもう少し詳しく説明してもらえませんか?
A(アニータ)「わたしの体験を述べることしかできませんが、死んだとき(肉体から離れたとき)、まるで夢から目覚めたような感じでした。覚醒して、360度の視野と、完全な共感覚(複数の感覚が同時に認識されること)が得られたようでした。
あらゆるものが見え、感じられ、わかるだけでなく、自分の過去、現在、未来を同時に生きていました。まるで、盲目の人が初めて見えるようになった感じでした。
みんながどのようにつながっているのか、宇宙はわたしの中にあって自分の感じていることがいかに宇宙に影響を与えているのか、わたしが幸せなら宇宙は幸せで、わたしが自分を愛していれば他人もわたしを愛することへの理解がもたらされたのです。
この世に戻ってきてからも、理解や明晰さや愛の感覚は、今でもわたしの中に残っています。目が見えるようになった盲目の人が、再び盲目に戻ったとしても、ほんとうはどう見えるかは知っているはずです。
この現実世界が本物ではないということについてですが、この世はこういうものであるという自分の思いによって、わたしたちは自分の現実を創り上げているのだと思います。
向こう側の世界に行ったとき、この世よりもずっと現実のような場所で目覚めたのです。それはまさに、夢から目が覚めたときのような感じでした」
Q 宗教についてどう思われますか?ご自分の体験について語るとき、めったにそのことに触れないように思いますが。
A「それは、死が宗教を超えたものだからです。宗教は死を理解するための助けとしてわたしたちが創り上げたものです。けれど、向こう側の世界を体験してから、それを宗教に当てはめようとすると、どの宗教も十分ではない気がしました。
大切なのは今ここで、あなたが自分のことをどう感じているかです。今この瞬間以外の時は存在しません。ですから、自分自身でいること、そして自分の真実を生きることが重要なのです。
Q わたしがあなたの臨死体験で最も興味をそそったことの一つは、この瞬間にわたしたちが行う選択によって、未来と同じように、自分の過去も効果的に変えられるということですが、わたしはあなたの書いたことを深読みしすぎていますか?
A「あなたはわたしが言おうとしたことを正確に理解しています。
現在の瞬間は、わたしたちが自分の現実を創造するための唯一の時間です。わたしには、過去も未来も流動体のように感じられました。
だから、この世に戻るか戻らないかによって、検査結果を変えることができたのです(臨死体験中のアニータは、戻らないときの未来の事象も同時に見ていた)。
Q 臨死体験の中の話の中で、あなたは、「あらゆる病気はまずエネルギーの中で始まり、それが現れてくる」と言っています。これはどのように起こるのでしょうか?最初にエネルギーの中で病気を生み出すのは何なのでしょうか?
A「臨死体験中、わたしは自分の身体を個体の存在として感じず、純粋なエネルギーだったのです。それは魂とかスピリットの状態で、身体よりもはるかに大きく、“すばらしいもの“でした。物質的な身体を持つのは、単なる結果に思えました。
この無限のエネルギーの広がりがほんとうのわたしで、身体はこの生命力がどのくらい“現れているか”あるいは表現されているかを示すバロメーターにすぎないのです。
3次元の世界の方が異次元で、わたしのエネルギーの広がりの方が本物に思えました。
“高い波動を持つ“と言われる人は、おそらく自分のほんとうのすばらしさをはっきり表現していて、そのためのバロメーターの指数がとても高いのではないかと思います。
けれど、向こう側の世界では、誰もがすばらしい存在で、人より強いとか弱いとかはありません。
この次元で、自分のすばらしさを身体を通してどれくらい表現するかは、わたしたちの選択にかかっているようです。
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アニータは「臨死体験中、わたしは自分の身体を個体の存在として感じず、純粋なエネルギーだったのです。それは魂とかスピリットの状態で、身体よりもはるかに大きく、“すばらしいもの“でした」と言っています。
量子物理学では、物質は波でもあり、粒子でもあります。「波」は特定の場所を持たず、「粒子」は場所を特定します。
アニータは向こう側の世界では、「波」である純粋なエネルギーの自分を体験し、この世では「粒子」として個体の身体を持つ存在の自分を体験しています。
そこから推察すると、死とは「波」である純粋なエネルギーの自分になることで、この世の生は「粒子」として個体の身体を持つ自分を生きることだと思われます。
つまり、元からわたしたちは、「波」である純粋なエネルギーの自分と、「粒子」である個体の身体の自分の2つの形態を持つ存在だと言えます。
<観察>される前は、電子は「波」としか言えず、<観察>されることで電子は「粒子」としての形を現します。〈観察〉というのがどちらの形態で存在するかの決め手になります。
「この世はこういうものであるという<自分の思い>によって、わたしたちは自分の現実を創り上げている」というアニータの回答を、電子の「波」か「粒子」かに当てはめて考えると、電子にとっての<観察>は、わたしたちとっての<思い>に相当します。
アニータは臨死体験後も、純粋なエネルギーとしての“すばらしいもの“がほんとうの自分であると認識しています。
身体中悪性リンパ腫に蝕まれ瀕死状態のアニータの身体が、わずか5週間で腫瘍の消失が起こり、現在に至るまで健康な状態を保っているのは、わたしたちの思い(選択)が決め手になり、この世の現実を創っている証明のように思います。
アニータはこの世のどの宗教も彼女が臨死で体験したことに当てはまらないと言っていましたが、量子物理学の物質の「波」と「粒子」の現れ方には当てはまるのはおもしろいなと思いました。
「現在の瞬間は、わたしたちが自分の現実を創造するための唯一の時間です。わたしには、過去も未来も流動体のように感じられる」というのも、3次元を超越して、過去も現在も未来も同時存在する5次元以上の世界を現しているように感じます。
そうだとしたら、わたしたちのほんとうの形態は純粋なエネルギーとしての“すばらしいもの“(波)であり、すべてとつながり、どこにでも偏在する無限の存在です。
そのわたしたちが、小さな身体(粒子)としてこの世に生まれ、その<思い>に応じて無限の可能性を個別に表現していることになります。
アニータによれば、純粋なエネルギーとしての“すばらしいもの“(波)の存在として生きるも、小さな身体(粒子)として生きるのも、自分をどちらと思っているかの違いだけということになります。
純粋なエネルギーとしての“すばらしいもの“自分が宿っていると思えば思うほど、この物質次元のこの小さな身体に投影されるなら、もっと可能性を試してみたい気持ちになります。
物質界の現実の制限だけを見て、自分を枠内にとどめていたらもったいないと思います。
自分のすばらしさを身体を通してどれくらい表現するか、それを選択する度に、わたしたちの意識は拡大し、それに相応しい物質世界の現実を創っていくことになるのでしょう。
地球上にいるすべての人々が純粋なエネルギーとしての自分を、個としてそれぞれ物質界で表現したら、この世は地上天国のようにすばらしい場所になることでしょう。
次回も「喜びから人生を生きる」の解説を予定しています。
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