こんにちは、リブラです。今回は、アニータ・ムアジャーニ著「喜びから人生を生きる」の第17章を解説をしていきます。
第18章「臨死体験についての質疑応答」のあらすじ
Q「無条件の愛」はどのように定義できますか?
A(アニータ)「向こう側の愛は物質界の愛とは全く違い、本質的に純粋なものです。何の目的や期待も存在せず、感情からの行為でもなく、相手の行動や感情次第で異なった反応をするものでもありません。それは、いつも同じものです」
Q「この物質世界で、無条件の愛を再現するのは可能だと思いますか?
A「わたしたち一人一人は、本質的には純粋で、無条件の愛なのです。けれど、物質世界でそれを表現すると、思考のフィルターを通すので、人間の感情として表現されます。
無条件の愛は、純粋な白光がプリズムを通すと屈折して虹色の、あらゆる色を生み出すようなものです。最初は純粋な無条件の愛だったものが、思考のフィルターを通すと、喜び、愛、不安、ねたみ、思いやり、憎しみ、共感などの様々な感情を生み出すのです。
このすべての色(感情)は、全体にとって等しく必要なものです。しかし、わたしたちは、『この感情は良いもので、他の感情は悪い』とみてしまうことがあります。そうすると、全スペクトルから一部の色(感情)が奪われ、本来のスペクトル(無条件の愛)ではなくなります。
そうすると、ほんとうの自分の一部を抑圧して、自分のすばらしさを表現できなくさせてしまうのです。
特定の感情を否定することは、プリズムを通してある色だけ屈折させないようなものなのです。
何の判断もせずに、自分の感情の全スペクトルを受け入れることのみ、わたしたちは、無条件の愛という自分の純粋な本質とつながれるのです」
Q「わたしたちは身体を持って生まれる前から、すでにほんとうの自分に気づいているすばらしい存在なのですか?
もし、そうなら、この世のに生まれてきたとき、なぜ、わたしたちのすばらしさは損なわれてしまい、真の自分の感覚が失われてしまうのですか?」
A「わたしたちは、ほんとうの自分を忘れるはずはなく、困難に満ちた人生を生きる必要もありません。それが損なわれてしまうのは、自分の的外れな考えや思い込みのせいで、自らつらいものにしているからです。
これを向こう側の世界で理解したときは、『この世へやって来たのは、自分や人生のすばらしさを感じ、自分自身を表現して、楽しむためなんだ。これを知ってさえいれば、どんなによかったかことか』と思いました。
それと同時に『自分のすばらしさをわかっていなかったというだけで、どうして末期癌になるような大変なことが起こってしまったのだろう?』と疑問が湧き、次の瞬間にはその答えがやってきました。
『(すばらしい存在の)わたしは被害者じゃないんだもの。癌は、わたしが表現しなかった力やエネルギーなんだわ!それが、外側ではなく内側へ向かってしまい、わたしの身体に対抗したんだ』
癌は、わたしの持つすばらしい力として現れることを許されなかったために、病気となって自らを表現したわたし自身の生命力だったのです。
すべて、わたしたちのより大きく拡大した、無限であるすばらしい自分の異なる側面にすぎません」
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「無条件の愛」と言いうと、人間レベルを超えた神の愛を思い浮かべるかもしれません。でも、アニータが向こう側の世界から持ち帰ってくれた定義によれば、
「わたしたち一人一人に備わった本質的に純粋なもので、何の目的や期待も存在せず、感情からの行為でもなく、相手の行動や感情次第で異なった反応をするものない愛」ということになります。
わたしたちの内なる本質(魂意識)はこの「無条件の愛」なので、思考のフィルターを通さず、純粋に湧いてきたものを自然に表現するときは、いつでも「無条件の愛」が流れています。
しかし、困ったことにわたしたちのエゴは「条件付の愛=ギブアンドテイクの愛」に親しみを覚え、「無条件の愛」は感じられなかったり、価値を置かなかったりします。
わたしたちが魂意識で愛を表現し、魂意識で愛を受けとっているならば、この地球上で常に「無条件の愛」が循環することになります。
「無条件の愛」は「何の目的や期待も存在せず、感情からの行為でもなく、相手の行動や感情次第で異なった反応をするものでない」ので、とても自然で自由です。それは言い換えれば、義務や約束や取引が存在しないということです。
「愛した分だけ愛される」とか、「特別だから愛する、愛される」というのはありません。人間の恋愛感情や親子の愛情とは真っ向逆だから、「愛」という言葉にすぐ人間関係をイメージをしてしまうと、「無条件の愛」はあるのかないのかわからない愛になるのでしょう。
アニータには心から信頼できる夫のダニーがいましたが、彼女があらゆることに怖れを抱く傾向は止まることはありませんでした。ところが、臨死体験で身体を離れると彼女は「無条件の愛」の至福に包まれ、二度と身体に戻りたくないとさえ思いました。
「無条件の愛」は何も損なわれず全てがあるから、エゴも癌に苛まれた身体も癒す力があるのです。未熟だから、醜いから、劣っているからと分け隔てるものが一切ないから、原初のエネルギーそのものだから、ひねくれたエゴも無制限に無目的に増殖を続ける癌細胞も、本来の在り方を思い出し、病気の幕引きに応じたのです。
アニータは自身の癌は、「自分や人生のすばらしさを感じ、自分自身を表現して、楽しむためこの世にやって来たのに、間違った思い込みで抑え込み、表現しなかったこと」が原因と気づいたことで、
『自分のすばらしさをわかっていなかったというだけで、どうして末期癌になるような大変なことが起こってしまったのだろう?』と疑問を投げかけました。そして、「癌は、わたしの持つすばらしい力として現れることを許されなかったために、病気となって自らを表現したわたし自身の生命力だった」という答えに至るのです。
アニータは「無条件の愛」とワンネス状態になったことで、「闇に光を当て、元の光だった状態に戻す」統合した考え方が備わったのでしょう。
思考で「良い・悪い」などの二元性のフィルターを通さなければ、わたしたちのすべてが持つ「無条件の愛」は自然な循環を続け、どこにも満ちあふれていたことでしょう。
でも、二元性でジャッジすることが習慣になってしまったわたしたちは、「無条件の愛」にも二元性でジャッジして、「喜び」だけ、「愛」だけを取り出そうとして、「不安」や「妬み」や「憎しみ」の感情を発生させてしまうのです。
そうだとしたら、自身の中のネガティブな感情にこそ、避けたり、蓋をしたり、排除するのではなく、慈しみの目を向けて元は無垢な光だったことを思い出すまで、見守ってあげることが必要なのだと思います。
二元性のジャッジで自身の感情を眺めているうちは、ネガティブな感情を認めることは耐え難いと思います。だから、自身の内面に向き合うときは、思考のフィルターは脇に置き、純白の光になったイメージで、様々な彩りの感情の名前(怒り、憎しむ、妬み、怖れなど)をつけてに焦点を当ててみましょう。
意識の中でイメージを送るだけでも、ネガティブな感情は原初の光を感じて癒されていきます。
その心地よさを感じれば、二元性のジャッジで自分の心を責め苛むことがバカバカしく思えて、いつの間にかその思考のフィルターを手放しているはずです。
次回は「喜びから人生を生きる」の解説を予定しています。
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