こんにちは、リブラです。今回は、ウエイン・ダイアー著「老子が教える実践道(タオ)の哲学」の解説です。
第37章「無為自然の策」
「道は常に無為にして、しかも為さざる無し。侯王、もし能くこれを守らば、万物、まさに自ら化せんとす。化して欲おこらせば、われまさにこれを鎮むるに無名の樸(はく)をもってす。無名の樸(はく)は、それまたまさに欲せざらんとす。浴せずしてもって静ならば、天下まさに自ずから定まらんとす」
ー老子 岩波文庫ー
「道(タオ)は何もしないが、何もやり残さない。権力ある者たちがこぞって道(タオ)に従えば、世界は、自然のリズムを刻みながら、自ずと変わっていくだろう。
自然に素朴に生きるなら、見えや衒(てら)いの衣は破れ、生命の素顔の輝きが顕わになるだろう。
欲や望みでかきまわさなければ、世界は自ずと澄み渡る。静かに濁りが消えるのを待って。澄みきった己の心の底に、宇宙の核が見えてくる」
ー老子が教えるタオの哲学ー
他者よりも優れていなくてもいい。競い合って勝たなくてもいい。在りのままの自分をいじり回すのはやめましょう。やり手、金持ち、成功者、そんな評価を忘れ、他者の目という重荷を下ろしましょう。その代わりに、
「わたしの人生の中心は道(タオ)。だから、この人生は決して歪まない。この世界も、ありのままで何一つ歪みはない。何もかも自ずと上手くいく。その確信を持って、黙って、ただ為るがままにまかせればいい」と自ら宣言し、タオとの絆を強めましょう。
他人の問題に踏み込みそうになるときは、ほんの少し立ち止まって、相手の自然な力が見えてくるのを待ちましょう。それが、他者をありのままに受け入れるための第一歩です。
一人一人が自分の中にある宇宙の核を見つけ出す様子を見守りましょう。その新しい原則を実行すれば、相手がどれほど大きな能力を持っているか、見えてくるでしょう。
人は誰でも、命令という強制力よりも容認という包容力によって、真の能力を発揮できるのです。
今日のタオ
「道(タオ)は何もしないが、何もやり残さない」を何度も読み返して記憶したら、30分ほど散歩に出かけましょう。空、雲、草花、風・・・あなたの目にする自然に未完成な箇所はありません。しかし、それらを創り出すために、誰かが何かをしたわけでもない。
ここで思い出すのは詩人ルーミーの「Nibble At Me.(ゆっくり、じっくり)」という作品です。
「ゆっくり、じっくり、わたしを味わいたまえ。
大急ぎで、吞み込まないでくれ。
万事を一人で切り回す、そんな敏腕な客人が
いったい何人、あなたの元を訪れるというのだ」
全知全能の客人に万事の処理は任せて、あなたは、素朴に無為自然で生きていけばよいのです。とダイアー博士はいっています。
1日1億個くらい作られる精子と1か月に1回の排卵で24時間の寿命の卵子が巡り合い、着床し、胎児となってこの世に生まれる確率を考えたら、わたしたちの誰もが奇跡的な生命の存在と思いませんか?
10か月かけて30兆個の細胞で100年生きる身体をつくりあげる自然の力は、奇跡としか言いようがありません。物質次元の乗り物である身体だけでも未知の小宇宙です。その小宇宙に宿るわたしたちの本質は魂意識で、全知全能の「大いなる存在」の分霊です。
そのわたしたちの魂意識が計画した人生が、時間に追い回されたり、物質的欠乏感に苛まれたり、他者からの評価に振り回されることに終始するとしたら、おかしいですよね?
「大いなる存在」が次元降下までして分霊(魂)となって、物質界と意識界の制限に四苦八苦する人間の転生を何百回も繰り返しているなんて。そんな目的でこれほど壮大で完全な世界を用意したりしないはずです。
全知全能で無限の存在が自分をバラバラにしてまで挑むチャレンジは、「自分の発見」です。元の自分を忘却させ、永遠の命に死のピリオドを設定し、物質界の制限の虜となる肉体に封じ込める。これらの負荷をかけることで、無限の可能性が拡がる自らの存在に、どんな自分が発現してくるかの実験をしているのです。
ですから、この世界は「大いなる存在」の意図に反するもの(ありのままの自分を否定する生き方)は、存続し難いシステムになっています。
逆に「大いなる存在」の意図に沿った人生(ありのままの自分を生きる人生)を歩んでいると、神羅万象・万物がタイミングよく黒子のように立ち回り、出会うべき人や物やチャンスに遭遇し、行くべき道を示してくれます。
振り返って見てみれば、人生の大事なシーンは偶然を装ってやってくる必然の出来事ばかりです。こうなるはずと期待し計画したことは、ことごとく裏切られるか、想定を上回る出来事に発展します。意識の5%ほどの顕在意識の想定を意識の95%を占める潜在意識が実行するのですから、想定内に収まらないのは当然と言えば当然ですが。
わたしは子どもの頃から、そんなこの世界の見えない法則の不思議さに興味があり、それで10歳のときから占星術に夢中になったのだと思います。
何十年も自分のホロスコープとにらめっこしながら生きてきてわかったのは、自分の思惑や社会システムを超える壮大な宇宙の流れがあり、その流れに逆らっても逆らわなくても結局その流れの中から逸脱する心配はないということです。
「大いなる存在」の意図に沿った人生(ありのままの自分を生きる人生)を歩んでいてもいなくても、結局、「大いなる存在」の意図通りのところに流れ着くのです。
その違いは「大いなる存在」の意図に沿った人生(ありのままの自分を生きる人生)に至る道に、葛藤して、不安なって、怖れに駆られて、振り回されてたどり着くのか、素朴に無為自然にゆっくり人生を味わいながらたどり着くのかの違いだけです。
ただし、素朴に無為自然にゆっくり人生を味わいながら「ありのままの自分」を生きる人生を歩んでいると、心に欠乏感や焦燥感や不安や怖れから遠ざかるので、「欲や望みでかきまわさなければ、世界は自ずと澄み渡る」と言う通り、霧が晴れるように見えなかったものが「心の目」で見えるようになってきます。
そして、「澄みきった己の心の底に、宇宙の核(大いなる存在)」を見出すのです。自身の人生は「大いなる存在」が共存し、共同創造する無限の可能性が溢れる冒険なのだと自覚するのです。
次回は「喜びから人生を生きる第12章」の解説を予定しています。
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