こんにちは、リブラです。今回は、アニータ・ムアジャーニ著「喜びから人生を生きる」の第10章を解説をしていきます。
第10章「すべての癌が消えた」のあらすじ
アニータが臨死状態から目覚めて、初めて病室を立って歩けるようになったとき、鏡に映った自身の姿に釘付けになりました。髪が抜け落ち、目はくぼんで眼球だけが大きく目立ち、頬骨が突き出て、右耳下の首のぱっくりと開いた皮膚病変に絆創膏が貼られていました。
「どうして、これほどの苦痛を自分に与えてしまったのだろうか?なぜ、こんな苦しみを課したんだろう?」
アニータは、過去の自分の長い年月にわたる苦しみに共感し、涙を流しました。そして、二度とこんなひどい目にあわせないと誓いました。
一方、アニータの担当医は、彼女の回復ぶりに慎重だったので抗がん剤治療を続け、痛みを伴う骨髄生検やリンパ節生検を指示しました。首の皮膚病変は自然治癒は見込めないため、体力の回復を待って形成手術を施すことが予定されました。
抗がん剤治療も、痛みを伴う骨髄生検やリンパ節生検も、形成手術の予定も、臨死体験以前のアニータならば葛藤や恐怖するところでした。
しかし、「自分を病気にしたのは恐れの気持ちだった」と確信したアニータは、無敵の気分でそれらを受け入れました。この世に戻ってくるという決断が、物質世界で起こっている事柄を完全に覆すと知っていたからです。
その結果、骨髄検査でもリンパ節生検でも癌細胞は見つかりませんでした。それでも疑念を捨てきれない医師が更なる検査や薬を必要とすると言ったときには、アニータは「癌が見つからないのに、どうしてそんなこと必要なんですか?」と尋ねました。
そこで、最終的にPETスキャンでも癌が確認されなかった時点で、アニータの治療は終了となりました。その間に首の皮膚病変も自然治癒したので、形成手術は不要になりました。
昏睡状態で入院した2月2日から、わずか5週間後の3月9日にアニータは退院しました。医師から最低6週間は、買い物やパーティーは慎むようにと退院許可証に注意書きされましたが、アニータはひとつも守りませんでした。
退院翌週の3月16日のアニータの誕生日には家族とレストランで新たな人生を祝い、その10日後の3月26日には、友人の結婚式に出席し、ダンスを踊り、シャンパンを飲みました。
人生は、喜び、自由奔放に生きるためのものなのだと、アニータは痛感していたのです。
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悪性腫瘍=癌は、元は本人の細胞でした。正常な細胞が量産されるうちに、たまに不良品の細胞が出ることもあり、それを白血球が見つけてその細胞にアポトーシス(細胞死)を命じるのです。
アポトーシスを命じられた細胞は、自らの細胞のミトコンドリアにカルシウムを満たして活動を停止させ、細胞自殺をします。たとえ、異型な細胞が生まれても、癌化していなければ白血球の命じるままアポトーシス(細胞死)して、癌化を防いでくれるのです。
白血球が見落とした異型細胞が癌化すると、皮肉なことに不老不死状態になります。
正常な細胞は細胞分裂の度にDNAの両端(テロメアDNA)を徐々に失い、それが尽きるとき寿命を迎えます。
ところが、癌細胞の場合、テロメアアーゼと呼ばれるテロメアDNAの寿命を延ばす酵素が活性化し、無限に生きるようになるのです。白血球のアポトーシス命令に抵抗し、無限に自分のコピーを生み出し、寿命すらない怪物になる癌細胞も、元は間違って生まれたただの不良品の細胞だったのです。
その不良品の細胞も好き好んでそれになったわけではありません。様々な悪条件やストレスにさらされていつの間にか異型な細胞として誕生したのです。
でも、癌化していない異型細胞は、まだ、自分はこの身体のかけがえのない細胞の一つだという自覚を備えています。だから、白血球に死を宣告されれば、静かにそれを受け入れて自殺するのです。自分が所属する身体を守るために、細胞死で最期の役目を果たすのです。
癌化してしまった細胞は、自分はこの身体のかけがえのない細胞の一つだということを忘れてしまいます。自分が何のための細胞で、自分が無限にコピーを生み出し占拠することで、身体にどんなダメージを与えるかなど、お構いなしです。
身体との連携を失ってしまった癌細胞は、自分が何だかわからなくなってしまい、無限に自分と同じ細胞を生み出してやっと存在感を得ているのです。
アニータは臨死体験で身体を離れる体験をしたときに、「自分を病気にしたのは恐れの気持ちだった」ことを悟りました。
自分の存在が、壮大なタペストリーの中の唯一無二の一本の糸というイメージで捉えていました。
ただの一本の糸でも、その糸が自分のカラーでそこに存在していなければ、その壮大なタペストリーは完成しません。だから、アニータは偽りの自分ではなく、「ありのままの自分」で生きることの大切さを自覚したのです。
子ども時代から、キリスト教とヒンドゥー教のどちらを信じたらよいのか?イギリス人コミュニティの中のインド人としてどうかれらに馴染んだらよいのか?アーユルヴェーダと伝統的中国医学と自然な西洋医学のどれを信じたらよいのか?巷に溢れる情報と自分の身体の感覚のどちらを信じたらよいのか?アニータは悩んできました。
外側の世界と内側の世界がいつも食い違い、アニータを葛藤させました。臨死体験前のアニータは、その葛藤の度に、「何を信じたらよいのかわからない」怖れを発生させ、その怖れは身体を責め苛んでいたことに、彼女は気づいていませんでした。
アニータの心と身体の信頼関係にヒビが入っていたからです。けれども、臨死体験後のアニータは、鏡に映った悲惨な自身の姿に、どれほど自身の思考や感情が責め苛んできたかに気づき、その苦しみに共感することができたのです。
何も言えないアニータの身体は、長年耐えてきた苦痛をアニータの心が理解してくれたとき、絆を取り戻したのでしょう。
心と身体がしっかり信頼構築されているときは、無敵の気分になれます。
臨死体験前のアニータが怖れて拒否していた抗がん剤治療も、侵襲性強い検査や処置も、その必要性がないのがわかっていたにもかかわらず、臨死体験後のアニータがそれら受け入れることができたのは、彼女が葛藤によって怖れを発生させなくなっていたからです。
外側の世界の価値観に翻弄されることなく、いつでも、自身の内側(「ありのままの自分」)の声に耳を傾ける安心感が揺るがないものになっていたから、アニータは肉体的苦痛を感じても怖れを発生させなかったのです。こうなると、心の現れであった癌を身体が表現する必要もなくなったので、奇跡のように消失していったのでしょう。
アニータの無敵な気分と感覚は、心と身体の絆の信頼によって保たれるようになりました。だから、退院後は主治医の忠告を破り、誕生パーティーを楽しみ、友人の結婚式でダンスを踊り、シャンパンを味わうことができたのでしょう。
もう、アニータは身体に「二度とこんなひどい目にあわせないと誓った」ので、怖れの動機を棄て、喜びの動機で人生のあらゆることを選択するように意識変革を遂げたのです。
次回は「喜びから人生を生きる第11章」の解説を予定しています。
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